memento mori(2nd)

 マスターの格好はアレですが、あたしの格好は至って普通です。フリルたっぷりのエプロンも着ないし、ミニスカートだってはきません。真っ黒い上下に青いエプロン。それがあたしのバイト服です。


「着替えましたー」

「はい、では早速……」


 今は午後四時。昼下がりと呼べる時間はとっくに終わり、おやつどきも過ぎたころです。お店はそんなに面積も広くないし、大して流行ってもいません。時折常連さんが来て好き勝手に過ごしていく、それだけなのです。

 この間まではもう少し早く来ていたので、多少は忙しく働いたりもしていました。覚えることもいっぱいだからです。でも今日はあたしとマスターだけ。そういう日は、とりあえず店内のお掃除をすることになっています。


「テーブル拭きますねー」


 何かするときは逐一マスターに報告するようになっています。同じことをしないためです、二度手間を省くというやつです。

 あたしは水に浸したクロスを絞り、それを片手にテーブルに向かいました。席はカウンターと二人がけテーブルがちらほら。大きな店ではないのでさして時間もかかりません。

 が。


「仁科さんはメメント・モリについてどう思いますか?」


 ……出ました、マスターの悪癖。こうやって暇になったり喋る時間が出来ると、マスターが話しだしてしまうのです。

 もちろん、普通の雑談ならばあたしだって乗ります。話すのは好きだし。でも、マスターのそれは普通じゃなくって……すっごく考えなくちゃならないから面倒なのです。あたしは考えることが嫌い、というか得意じゃありません。


「そ、それは……お店のことですか?」


 淡い期待を込めて聞いてみます。


「いいえ。メメント・モリという言葉についてです」


 逃げられませんでした。

 察して欲しいのですが、これがマスターの悪癖……。愛とか死とかそういう抽象的なものから、今日の晩御飯は何だろうか、というどうでもいいことまで、マスターの手にかかれば何でもまだるっこしい思考材料になってしまうのです。

 マスターはあたしとは対照的に物事を深く考えるのが生き甲斐みたいな人です。だからこうしてあたしにも問いを投げるわけですが。


「メメント・モリって……マスターが言ってたじゃないですか。死を思え、でしたっけ? あれじゃダメなんですか?」

「ダメです」


 即答されました。


「それは言葉の意味の話でしょう。私が問いたいのは、それについて仁科さんがどう思うか。何を考えるかなんです」

「うう……」


 アルバイトで一番の苦行は、もしかするとこれかもしれません。答えないと帰れない。あたしはなけなしの脳みそをフル活用しなくてはなりませんでした。適当なことを言うとマスターに却下されて、もう一度考えないといけないのです。普段は優しいのに、これだけは譲ってくれません。


「ええっと……死についてどう思うか、言えばいいんですか?」


 問いを整理するために聞いてみます。質問はマスターも許してくれる、むしろ歓迎しているのでそれは遠慮なく使います。


「少し違いますね。『死を思え』……その言葉について仁科さんは何を感じましたか、ということです」


 死を思え?

 マスターの問いはいつも難解です。ここで働いてまだ指折りできる程度の日数ですけど、日数に見あわない苦労を感じます。


「ううん……」


 テーブルを拭いていた手はいつの間にか止まっていました。


「死を思え……確かにその通りかなー、とは思いますけど」

「何故?」

「何故、って」


 出ました。マスターの口癖「何故」。

 ひとつ話すとそこからは何故のオンパレードになってしまいます。あたしがどこで言葉に詰まるか、それを待ってるんじゃないかと思うほどねちっこいです。


「人はいつ死ぬかわからないから、それを忘れるなってことでしょう? 死ぬのは当然じゃないですか」

「死ぬのを忘れない……それで、どうするんでしょう」

「?」

「死ぬことを忘れないようにして、仁科さんはどう行動するかと聞いているんです」


 どう行動するか、なんて。


「別段、どうということもない、ですけど」

「それはよろしくありませんね」


 はあ、と心底残念そうなため息が。ため息をつきたいのはあたしの方なのに!


「仁科さん。私はどんな考えでも受け止める用意があります。ですが考えることを放棄する、それだけは許せないのです」

「はあ」


 許せないとか言われても。マスターは好きかもしれないけど、あたしは考えることが大嫌いなんですってば!

 そう言ってもマスターはあたしに考えることを強要してくるので、正直泣きそうです。考えると身体をほとんど動かしていないのにどっと疲れるからです。


「死を忘れないために、どう、行動するか」


 とりあえず反芻してみます。

 死を忘れないこと。それってまずどういうこと? 人はいつ死ぬかわからない、明日死ぬかもしれない。それを忘れるなってこと?

 だとしたら、それを忘れないためにどうやって行動するか? あたしは忘れないように日々何かしてる? しようとする?

 って言われても、あたしは生きるとか死ぬとか考えたことないし。そんなこと考える必要もないっていうか……

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