メメント・モリの複雑な考察

有澤いつき

メメント・モリの複雑な考察

memento mori(1st)

 春です。


 ……いや、ダジャレじゃなくって本当に春です。季節の話です。桜が咲いたり散ったりする四月です。確かにあたしの名前も「春」だけど、それは言葉のあやというやつなのです。

 あたしはピンクの花びらが緑色の若葉に変わりつつある桜並木を走り抜け、とある場所に向かっています。


 遅ればせながら仁科にしなはる十七歳、華の高校二年生。今日も重力に逆らって跳び跳ねるクセっ毛と戦いながら、放課後のストリートを自転車で疾走中です。

 いわゆるアルバイト先ってやつです。あたしは四月から無事二年生になりました。それを機にってわけじゃないけど、合わせて喫茶店でアルバイトを始めました。憧れの「カフェバイト」です。なんですが……まあ、色々ありまして。


 学校から自転車で五分ほど。高校生御用達のアーケード商店街、「ムーンリバー二番街」。妙に気取った横文字と「二番街」なのに「一番街」がないという、謎めいたネーミングの商店街です。

 あたしのアルバイト先はこの商店街の一角にあります。学校側から入ると大分奥の方、ストリート側からはすぐ見えるお店。


 外側だけを見れば、いわゆる通な喫茶店というやつです。茶系統でまとめられた外観は、中身もそうなんですけどシックで落ち着いた雰囲気です。オシャレと言えるかも知れません。チェーン店とは違う、年季と味を感じるお店です。

 ここまではいいんです。あたしも遠巻きに見た外観に惚れて働き始めたわけだし。見た目にケチはつけません。

 問題は店名なのです。


 喫茶店「メメント・モリ」。


 どう思いますか、このセンスを。

 メメント・モリの意味がわからない人は何とも思わないかも知れません。あたしもマスターに店名の由来を言われるまで気にも留めませんでしたし。


 メメント・モリとは……ラテン語で「死生観」というらしいです。

 死生観、というのは日本語に意訳した場合であり、直訳すると「死を思え」。つねに死ぬということを忘れるな、とかいう教訓みたいなものらしいです。あたしのはマスターの受け売りなので詳しくは知りませんけど。


 で、このお先真っ暗な感じの店名を冠した喫茶店があたしのアルバイト先になるのですが。今ので察してもらいたいのですが、マスターも変わった人です。

 別に変態だとかそういう意味ではありません。ここのマスターは何というか、考え事をよくする人なのです。

 とは言え、百聞は一見に如かず。詳しくは実際にマスターを見てもらって判断してもらうのがいいと思います。ここはあたしが水先案内人となって、マスターという人をきっちりばっちり紹介してみせましょう。


 あたしは木製ドアに手をかけ、静かに引きました。そうです、入るときは「引」なのです。すると、カラコロと古風な鈴の音が鳴ります。古い鈴なのであまりいい音はしません。

 鈴が鳴れば入り口のちょうど正面にあるカウンターからマスターが顔を出すはずです。アルバイトの身としては、先に挨拶をするのが礼儀ですけど。


「こんにちはー」

「……ああ、仁科さん。こんにちは」


 柔らかなテノールの声はまさに楽器のようです。思わず聞き惚れてしまう心地よい声、これがマスターです。

 マスターはバーテンダーみたいなきっちりした格好をしています。それが正装だと言って譲らないのです。確かに雰囲気は出るけど、それは昼下がりの喫茶店ではなく夜のカクテルバーとかでやってほしいとは思います。ちなみにメメント・モリはあくまで喫茶店なのでお酒は扱っていません。


「今日はいつもより遅かったですね。何かありましたか?」

「遅いっていうか……まあ、今日から授業でしたから。これからは毎日これくらいの時間になると思いますよ」

「そうですか」


 柔和な笑みを浮かべるマスター。マスターは温厚で気遣いのできる人です。なんとなく執事さんとかが似合う性格のように思います。あたしの執事さんの知識は昨今のドラマやマンガですけどね。実物は見たことありません。

 マスターは三十歳くらいに見えます。穏やかな態度のせいか、若く見えるのです。歳を聞けるほど親しくもないので、あたしは推測するしかできません。

 でも、マスターにすっごく美人の奥さんがいることだけは知っています。奥さんの話は……ちょっと時間が必要なのでまた次の機会に。


「えっと、じゃあ着替えてきまーす」


 さすがにブレザーとプリーツスカートでは接客できません。あたしはトートバッグに詰め込んだ仕事服に着替えるため、店奥に向かいました。

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