第3話 未来予知者
「優しい、ひと?」
「うん。だって、心が視えるってことは、相手の人を最大限慮れるってことでしょ?」
「ええ……? ああ、うん。そうなのか?」
俺のオウム返しに、月島は笑顔でそう答えた。俺は、彼女の考えを聞いて眉を顰める。
確かに、月島の言った内容は理論上は正しい。理論上は、だ。心情を理解してあげられるというのは、双方にとって有益であるはずだ。
だが、俺はその言葉が間違っているのを知っている。
こっちが気を遣っていても、向こうから勝手に離れて行くのだ。尤も、離れていく原因はこちらにもあるのかもしれないが。
そんな俺の内心をくみ取ったのか、月島は眉を下げて困ったような顔になる。
「でも、そんなに上手くいかないよね」
「……そうだな。簡単に行ってれば、俺や祖母ちゃんも苦労してない」
「そっか」
それきり、月島は口を閉ざしてしまった。俺もなんて言えばいいのか分からず、二人の間に微妙な空気が流れる。
だが、月島の言わんとしている事は伝わった。だから俺も、それに応えなければいけない。そう思って、口を開く。
「あー。有難う。そんな事言われたの、初めてだよ」
「そうなの?」
正直に言えば、月島の一言は、俺に大きな衝撃を与えていた。
なぜなら、俺は今日にいたるまで、他の誰かにそんな優しい言葉を掛けてもらった事が無かったから。
家族に疎まれ、友人に怯えられ、赤の他人には恐れられ。
ありもしない嘘八百をまるでそれが事実であるかのように扱われ、結果として俺はとても捻くれた嫌な奴になった。
「ああ。だから、その。――た、た、助かった」
「……うん」
普段、滅多にお礼の言葉を言わないものだから顔の筋肉が緊張してどもってしまった上に、言い終わった後も気恥ずかしさと違和感ばかりが残る。
それでも、月島は俺に笑顔で頷いてくれた。
「……それで?」
「え?」
「まだ、答えを貰ってない」
放課後の教室に漂うむずむずした雰囲気に耐えられなくなり、俺は強引に話題を変える。
そうなのだ。そもそも俺はまだ、月島が何故、回答用紙にあんな答えを記入したのか聞かされていない。
月島は今更聞かれると思っていなかったのか、意表をつかれて目を丸くしている。
「あー、その事。私が適当でいいなんて言った、そのことだよね?」
「おう」
「ええっと、誠人君にはひじょーに申し訳ないんだけど」
「おう。……おう?」
「分からなかったんだよねー! だから、私も適当に書いちゃったの!」
「……oh」
月島はごめんっ、と言いながら両手を合わせ、片目を閉じる。
俺としては、まさかそんな答えが返ってくるなんて思ってなかったので、ただただ絶句するしかない。
このヤロウ、俺の今までの緊張と期待を返せ。
俺は心の中で悪態を吐きながら、月島にとびきりの笑顔を向けて近づく。もちろん、指に力を込めながら。
「いやー、だろうと思ったんだ。そもそも心なんて何処にあるか分かんねーし」
「え、誠人君?」
「心が及ぼす影響なんて、そんなの状況によって変わるしなー」
「ち、ちょっと待って。だってほら、私だって色々考えたんだよ? だけどさ、分からないことぐらいあるよね」
「知らんがな。天・誅!」
俺は怒りを込めて、月島の額にデコピンをかます。
ばちこーん、と良い音が鳴って、喰らった月島は大きく仰け反ると額を抑えて蹲った。
やり過ぎたか、と思ったが、どうやら心配はいらないらしい。
だって、月島の心に浮かぶ色は、淡い黄色に淡い緑。薄い黄色は安心を、そして新たに出た淡い緑は、月島の心は今幸福感にあるという証。
これに関しては、我ながら随分適当だなとは思う。が、それ以外に表わしようが無いのだから、どうしようもない。
月島は涙目になって俺を睨んで来る。白髪交じりの長髪の美少女が怒りの形相を浮かべるというのは、案外恐ろしく感じるものなのだろうが、残念ながら心の色が視える俺には当てはまらない。
それどころか、今の俺は月島の可愛さに口角が上がるのを必死に防いでいる状況なのだ。
俺は、女子が涙目で怒る姿も可愛いと、そんな事を思っていた。
「うー……。誠人くん、女子に暴力はいけないんだよ」
「ちょっと何言ってるか分かんないっす、俺、男女平等主義なんで」
「分からないはずないでしょっ! 誤魔化し禁止!」
夕日が差し込む教室に、俺たちの声が響く。暫くの間、俺たちはきゃいきゃいと他愛もないバカ騒ぎを続けていた。
だが、楽しい時間というのは、本当にあっという間に過ぎて行く。
追いかける俺を笑いながら避けていた月島が唐突に立ち止まり、教室の壁に設置されていたデジタル時計を見上げる。
俺はというと、危うく月島にぶつかりそうになって、寸前で回避する。
「おい、いきなり立ち止まるなよ」
「誠人君、先生が来るよ」
「はあ?」
「取り敢えず、席に座ろっか」
そう言うや否や、月島は勝手に俺の隣の席に腰かけると、俺にも席に座るよう促す。何が何だか分からないが、兎にも角にも先生が来るというなら仕方ない。
俺はしぶしぶ椅子に座ると、机の上に放り投げていたペンを手に取る。その直後、廊下から誰かが歩く音が聞こえてきた。小さな足音は次第に大きくなり、真っ直ぐ俺たちの教室がある方に向かってきた。
俺が慌てて問題を解いている風を装うと、足音は俺たちの居る教室の前でピタリと止んだ。
小さなため息が聞こえ、ガラリと扉が開かれる。
「寺崎、課題終わったら持って来いって――Wow!」
「あ、せんせー。こんちゃーん」
俺が一人で課題に取り組んでいると思っていたのか、月島の姿を見た先生が飛び上がって驚く。俺と月島の顔を交互に見比べ、戸惑いの表情を浮かべる
先生に心に宿る色は、恐怖。暗い鈍色が、じわじわと体の心臓の辺りから漏れ出して体全体に広がっていた。
その時の俺は、きっと冷めた顔をしていただろう。
「月島、挨拶はきちんとしなさい。それより寺崎、課題は終わったのか?」
「ああ、いや。まだ終わってませ」
「終わったよ。はいこれ」
俺が席について問題を解こうとすると、月島が俺の机から回答用紙をさらりと抜き取り、勝手に先生に手渡す。
嫌そうにそれを受け取った先生は、全て埋められた回答欄を見て目を丸くし、その直後眉間に皺を寄せる。
「おい月島。お前、手伝っただろう」
「うん。だって可哀想だったし。誠人君、成績悪いしねー」
「これは寺崎個人に出した課題だ。いくら可哀想だからといって、やたらに手伝うんじゃない」
どうやら俺は、月島に可哀想な奴と思われていたらしい。その事に内心で深く傷ついている間に先生が俺が格闘していた問題用紙を取り上げる。
どうやら、俺はこれで解放されるらしい。先生は俺たちに下校時刻までには帰れよ、とだけ言って大きなため息を吐きながら職員室へと戻っていった。
「おい、どういう事だよ?」
完全に足音が聞こえなくなるのを見計らって、俺は月島に訊ねる。
あの時、先生が歩く足音なんて一切聞こえなかった。月島の聴力が極端に優れている可能性もあったが、違う。
なぜなら、月島は時計を見上げてから、先生が来ると言ったのだから。
まるで、先生がその時刻に教室に現れるのを知っていたみたいに。
喉から出た声が思いのほか低い事に自分でもびっくりして、同時にしまったと顔を顰めた。これじゃあまるで、月島は俺が怒っていると勘違いしてしまうだろう。
だが、結果的にそうはならなかった。
俺の表情を見て軽く噴き出した月島は、あのバカ話をしていた時と全く同じトーンで、あっさりと自分の秘密を打ち明けた。
「んーと、あのね? 私は未来が視えるの」
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