第2話 好意の理由

 「おい、何すんだよ」

 「誠人君。答えなんて、適当でいいんだよ」

 「は?」


 抗議の声を上げる俺に構わず、彼女は空欄だった回答欄に何かを書きこんだ。先生に見つかれば大目玉を食らう事確定なのだが、その先生は今職員室でお茶を飲んでいる事だろう。

 僅かに浮かんだ心配を排除して、俺は彼女の答えを覗き込む。回答欄には、彼女の可愛らしい文字で、『大脳』、『分からない』と書かれていた。


 「はあ?」

 「あれ、そんなに変かな?」

 「いや、だってこれ。随分適当な答えにしか思えないだろ」


 俺が戸惑いをそのまま口にすると、彼女は何故か可笑しそうにクスクスと笑った。その時、月島の心に浮かんだ色は、薄い紅色。そして淡い薄紫。

 薄いピンク色は、喜びを表す。何故かは分からないが、彼女が何かに喜び、同時に楽しいと感じている。

 淡い薄紫は、期待。何を? 彼女は俺に何を期待しているっていうんだ?

 纏まらない思考は濁流となって頭の中を掻きまわす。そんな俺をよそに、月島は所々空欄だった回答用紙に好き勝手に答えを書きこむと、満足そうに鼻から息を吐いた。

 呆気に取られる俺を、月島は面白い事を思いついたような、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 「ねえ、誠人君に質問していい?」

 「なんだよ?」

 「私の心って、どんな色?」

 「え?」


 今までそんな事を聞いて来る奴なんていなかったから、俺は思わず聞き返してしまった。まず、聞き間違えかと思ったんだ。心の色が視えるなんて、友人はおろか家族にすら明かしてないというのに、目の前で可愛らしく小首を傾げる彼女はさもそれが当たり前な事の様にさらりと口にしたんだから。

 俺を真っ直ぐに見つめてくる月島の眼はキラキラと輝いていて、でも何処か挑んでくるような、そんな風にも思えた。

 だから、ついムッとして、俺は月島の中学生にしては少しばかり大きく成長した胸――中心から僅かに左側にずれた辺りに目を凝らす。心の色が視えるときは、いつもソコだった。


 「えっち」

 「バっ、ちげえよ!」


 恥ずかしいのか、月島がからかう。俺は反射的に反論してみるが、確かに女子の胸を凝視する男は傍から見れば相当なケダモノに映っただろう。

 意識しないようにすればするほど、月島の言葉が頭の中で再生されて顔が熱くなる。俺は誤魔化すように大きく咳ばらいをすると、改めて意識を集中する。

 月島の心に灯る色は、やっぱり淡い光を灯していた。期待、心配、喜び、安心。月島の胸の内に、強い負の感情などどこにも無かった。


 「ね、どう?」

 「薄い紅色、薄紫、薄い水色、薄いオレンジ。――なんか、変だな」

 「うん、確かに変だね。やだ、私の感情、薄すぎっ!?」

 「違うわ。俺に対して、負の感情が一切無いんだよ」


 俺がそう言った途端、月島の顔に朱が差した。それと同時に、月島の心が色を変えた。校庭の花壇に植えられているパンジーの様な、綺麗なオレンジ色は羞恥。青よりも深い、海のような藍色に近い青は狼狽。そして、春に咲き誇る桜の様な、美しい桜色は――恋慕。

 月島は、誰かに恋をしている。


 「お前、えっと……」

 「別に変じゃないし! その、そう! 別に普通だよ、これぐらい! 今何色かわかんないけどねっ!」


 俺がその事を指摘するべきか言いよどんでいると、月島が早口で言い繕う。言えば言うほど墓穴を掘っているような気がしないでもないが、この時俺は月島の余りの慌てっぷりに触れてはいけない話題に突っ込んでしまったと勘違いしたのだ。

 それも、彼女が誰かを好きになって、心の色が視えるという俺に相談を持ち掛けたのだ、という相当頭の悪い方向に。


 「うーあー。は、恥ずかしいっ!」

 「止めろ、俺まで恥ずかしくなってきただろ。そもそもお前がこんなことを頼んでこなけば、恥ずかしい思いをしなくて済んだんだ」

 「いや、うん。そうなんだけどさ……」


 誰もいない教室で、意味の分からないうめき声を上げながら顔を赤くする女子と、顔を赤くして頭を抱える男子を想像してみてほしい。

 これ以上、間抜けな光景はないだろ?


 「あー、あのさ。何で、いきなり心の色なんて聞いてきたんだ?」

 「へっ?」


 回復してきた頃を見計らって、俺は月島に問いかける。そもそも、自分の心の色を視ろなんて言う奴なんていない。


 「あー、えっと。怒らない?」

 「別に怒りはしないけど。答えによって軽蔑はする」

 「ナニソレコワイ」

 「早く言えよ」


 俺が催促すると、やや躊躇うそぶりを見せてから、月島が口を開いた。


 「――誠人君は人の心が視えるって、君のお祖母さんから聞いてたから」

 「は? 俺の祖母ちゃん?」

 「うん。私、昔から図書館に通ってて、そこで誠人君のお祖母さんと知り合ったんだ」


 月島の答えを聞いて、納得した。確かに、祖母は昔から本を読むのが大好きで、純文学やライトノベル、専門書や図鑑に至るまで大量に買い込んでは祖父に呆れられていた。

 確かこの時は、ひと昔前の漫画にはまっていた筈で、本屋ばかりでは金がかかるから暇を見つけては図書館に行っていた。

 月島とはこの時に知り合ったのだろう。にしても、他人の秘密を絶対にばらさないほど口が堅いはずの祖母が、同じ高校とはいえ一女子高生にそんな事を打ち明けるなんて、らしくない。

 俺が渋い表情になっていると、月島が弁解をする。


 「違う違う、お祖母さんは悪くないよ。あのね、最初は世間話程度だったの

けど、私が青豊せいほう高校に通ってますって言ったら――」

 「あー。祖母ちゃん、嬉しくなっちまったんだな」


 俺が思わず笑うと、月島も顔を綻ばせた。きっと、その時の状況を思い出しているのだろう。


 「ええと、そうみたい。それで、お祖母さんが昔は心が読めたんだーなんて冗談を言ったの」

 「それ、冗談じゃなくて本当の話なんだけどな。でも、それでよく俺まで結びついたな」


 そう言うと、月島は苦笑いを浮かべた。


 「私がね、高校でも心が読める人が居るらしいですよって、言ったの。誠人君の名前は伏せてね」

 「へえ。そしたらなんて言ってた」

 「あの子も辛い思いをしているのかって。悲しそうだったよ。だから、分かったんだ」


 そう。俺の祖母もまた、俺と同じように心の色が視える人間だった。この時はもう普通の眼に戻っていたが、全盛期の祖母は半径500メートル以内の対象全ての心の色を視ることが出来たというのだから、俺の能力なんて比べ物にならない。

 が、俺が今苦しい思いをしているように、祖母にもまた辛い時期があったのだと考えると、少しだけ楽になるような気がした。


 「成る程な。――それで?」

 「ふぇ?」

 「実際、自分の心の色を視られて、どう思った?」


 それは、俺にとっても、嘗て能力があった祖母にとっても気になることだ。

 人は他者に自分と僅かでも異なる点があれば、そこに違和感や嫌悪感を抱く。人が古来より自分の身を守るための防衛本能といっても良いのだろうが、抱かれた方は堪ったもんじゃない。

 結果、俺は多くの人間に傷けられ、恐れられ、避けられてきた。

 それでも。俺は希望が欲しい。家族でも友達でもいい。他の誰でもいいから、俺という存在を受け入れてほしかったんだ。

 そんな俺の願いが通じたのか、月島は満面の笑みで、こう答えたのだ。


 「優しいヒトなんだって、思うよ!」


 きっと、この瞬間。俺は、月島華という優しい少女に恋をしたんだ。

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