最終話 旅立ち
4月12日。私は約3か月の世界一周クルーズに旅立つため横浜港へと来ていた。この豪華客船でのクルーズのための準備は大変ではあったが、これからの旅を考えれば些細なことだ。
港に停泊している飛鳥Ⅱを見つめて私は少年時代以来の幸福感を感じていた。26年ほど前のホテル火災で母が死去してからは復讐心で警察官になり、大間事件から、山寺寛治から教わったものと、私の正義に基づいて事件を追ってきた。
常に緊張状態にあってまともに休んでいなかったし、貴重な休日であっても趣味を楽しむようなことはなかった。
「月城さん、乗船受け付け始まりましたよ」
私の荷物を重そうに持って黛君が歩いてくる。丁度非番で時間があるという彼に荷物持ちとして来てもらっていた。
「そうですか。では行きましょう。そのまま持ってきてください」
「てか、なんでこんなに重いんです?」
「長期の旅行なんですから必要なものは多くなるものです」
「サービス充実してるでしょう?そんなに重くならないと思うんですけど!」
「まあ、勉強の道具も入っていますから」
「えぇ?クルーズ船で勉強ってどうなんです?」
「弁護士になることを決めましたからね。船の上にいる間は暇な時間もあるでしょう。試験対策はしておきませんとね」
「そうですか……。もったいない気しますけどね」
乗船受付へと向かい、諸々を済ませる。どうやらもうしばらく乗船開始まで時間がかかるようだ。近くの椅子に座って黛君と他愛のない話をして時間を潰すことにした。
「いよいよですか。しかし憧れますね。僕もいつか行きたいですね」
「定年退職してからの楽しみとして仕事を頑張ってください」
「そうしますよ。……その前に結婚したいですけどね」
「それは君次第でしょう。頑張りなさい」
「そういうこと言って、月城さんはどうなんです?」
「今は考えていませんね。やるべきこともありますから」
「そう言い続けて結婚しないまま独身貴族になりそうですね」
「ふむ、そうかもしれません」
「ああ、余裕があっていいですね」
「余裕が生まれたのは退官したからですよ。警察にいたら余裕は生まれなかったでしょう」
「そういうもんですか」
「そういうものですよ」
話しているとアナウンスで乗船時間になった事を知らせてくれる。私は大きなキャリーケースと黛君に持たせたトラベルバックを持ち上げると席を立つ。
「さて、では行ってきますよ」
「はい。楽しんできてくださいよ月城さん。土産話期待してますから」
「ええ、ではまた会いましょう」
黛君に見送られ、私は飛鳥Ⅱへと乗船する。クルーズ船というだけあって豪華だ。二層吹き抜けの開放的な空間が広がっている。
レセプションでカギを受け取り、私の部屋へと向かう。客室にはツインベッドにシャワー付きトイレ、冷蔵庫など必要な設備が一通りそろっている。
荷物を置いて貴重品を備え付けの金庫にしまうと、デッキに出た。潮風が吹き波の音が心地良い。
大きな汽笛が鳴り響く。離岸してタグボートに牽引られて横浜港から離れていく。
湾内からでて、船は速度を上げる。大海原をかき分けて船は進んでいく……。
殺しの美術 ひぐらしゆうき @higurashiyuki
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