第70話 月城才児の正義

 壇上の赤宮が私が近づくたび、少しずつ後ずさりをして一定の距離を保とうとしている。右手をポケットに入れて何かを操作しようとしているところを見るに、大掛かりな仕掛けを設置しているようだ。ここで追い込みすぎると仕掛けを作動させる可能性がある。細心の注意を払ってじっくりと前に出る。


「私を捕まえるのは警察官としてですか?」


「いえ、私自身の正義を示すためです」


 赤宮の額か汗が流れ落ちる。私が突然行動に出るとは思っていなかったのだろう。


「私を捕まえたところで裁判中に死にますよ?」


「その姿を見ればそんなことはわかります。それでも、君を逮捕する。それが君を救うことにもなると、私は信じています」


「何を、言っているんです?」


「君のことは、私の後輩である探偵に調べさせました。君に関する情報は殆ど入手できました。すべての情報を基に私なりに君の行動原理、思考を読み取りました。そして分かった。君は自分の行動に迷いがあったのではないかとね。

 君は私の質問に回答するとき、山寺寛治の言葉を言いましたね。私も彼の下で事件を追っていました。だから、あの人がどういう人間なのかはよく知っています。確かに言っていることは事実です。だからこそ山寺寛治という人は未解決にしないための努力を続けていた。それは君も知っているでしょう。だからこそ君が凶行に至ったのが疑問だったわけです。君の大好きだったお爺さんの意思とは全く違う方法を取るなんて矛盾している」


 赤宮は私の目をじっと見つめ、唇をかみながら話を聞いている。


「だが、君の言っていることに嘘はないのでしょう。本当にそう思っているからこそ行動に移せたんです。しかし、心の底ではその行動が正しいことではないとわかっていた。その気持ちはだんだん強くなっていたのではないですか?君にはお爺さんの言葉と意思が残っている。

 ……矛盾に気が付いた時にはもう君は後戻りできなくなっていたのではないですか?後戻りできないから必要悪として、[血の芸術家]赤宮康介として突き進むしかなかったのではないですか?」


 赤宮は俯いて沈黙したまま顔をゆがませている。強く握る手が小刻みに震えている。


「君のやったことは決して許されることではありません。たとえ誰かの苦しみを癒したとしても、同時に多くの人民に恐怖を与えたのです」


「……やっぱり、最後にあなたに会ってよかった」


 涙を流して顔をくしゃくしゃにしている赤宮が声を出した。その顔は憑き物が取れたどこにでもいるただの青年のように見えた。


「宏海君……」


 その顔を見て口からその名前がこぼれた。彼は今、赤宮康介から山寺宏海に戻っている。そんな感覚があった。


「月城さん、あなたの言う通りだ。自分の正しさを否定するのも、爺さんの言葉を裏切っているのも嫌だった。矛盾を抱えたままでいるのは辛かった。だからそれを押し殺して、無常で狂気にまみれた殺人鬼として生きていく。そう決めた。走り出している足を今更止められなかった。

 今更言うことじゃないのもわかっているんだ。でも、同じ人間に大事な人を奪われた月城さんになら、話せると思ったんだ」


 赤宮康介という仮面が外れたことで山寺宏海の本心があふれているのだろう。キャラクターを作ることで今日この日までやってきた。しかし、もう限界だったのだろう。


「宏海君。今からでも生きて罪を償いなさい。残り僅かな余命全てを使って、誰にも許されないとしてもね」


 山寺宏海は涙を拭って前に出る。どうやら捕まる気になってくれたようだ。私はセーフティをかけて拳銃を懐にしまうと、手錠をもって近づく。


「……月城さん、すみません」


 突然頭上から爆発音が響いた。轟音とともに建物が揺れて天井からがれきが落ちてくる。


「なんですこれは!宏海君!」


「時間になると起爆するようセットしてあったんです。俺はあの絵のようにここで死ぬつもりでしたから」


「なんですって……」


 あの絵というのは、私の部屋に送られてきた『殺しの美術-FinalDance-』のことだろう。思い起こせばあの絵は今まさに彼の立つ壇上に酷似している。ということはこの後この部屋は炎に包まれるということになる。


「宏海君、こっちに来なさい!そこにいては……」


 再び爆音が響く。建物が揺れてとても山寺宏海に近づけない。

 何とか立って、前に歩こうとするが、不用意に動くと瓦礫が落ちてきて危険だ。


「くそっ!宏海君!宏海君!!……アツっ。今度は何です?」


 地面がどんどん熱くなってくる。壇上の方を見ると、彼は舞台の中央に立って手を広げている。


「月城さん、逃げてください。ここは火に包まれます」


「何を言っているんです!君も来なさい!」


「残念ながらもう無理なんですよ」


 その瞬間、炎が下から吹きあがってきた。一気に大広間が真っ赤に染まり温度が急上昇する。舞台の山寺宏海は炎の幕の奥にいて、どうやっても近づけないようになっている。こうなるよう計算していたのだろう。


「お別れです月城さん」


「宏海君!!」


「……私は[血の芸術家]赤宮康介!これが私の最後の作品!血のように赤く燃え上がる狂気の炎に焼かれ踊り狂うのです!」


 爆発音が響く。大きく腕を開き声を上げた姿は、まさしく彼の描いた狂い踊る男の姿であった。

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