第57話 姉の来訪

 マンションに戻ってくるとエントランスの辺りに見知った人影を見た。私は一旦地下駐車場に車を停めるとエントランスに上がった。

 エントランスに向かう足が少し重い。あの人にはあまり会いたくない。苦手というわけではないが、少し後ろめたい気持ちがあるのだ。

 何処からか現在の私の状況を聞いたのだろう。多忙な身でありながらわざわざ来たのだ。無視する事もできない。

 仕方がないのでこちらから声をかける。


「こんな所で何をしているんですか?姉さん」


「少し話がしたいからよ」


「それなら電話でよろしいでしょう」


「電話をかけても無視されるか、でてもはぐらかすのではないかしら?」


「私のことをよくお分かりですね。……部屋で話しましょう。コーヒーくらいなら出せますよ」


「そうしましょう。人に聞かれるのはあまり聞かれたくない話なのだから」


 暗証番号を入力してマンション内に入る。エレベーターに乗りこんで12階を押す。


「随分と久しぶりではないかしら?」


「そうですね。警察に入ってから会った事ありましたか?」


「無いわね。噂だけは耳に入ってきていたけれどね」


「そうですか。では、今私がどういう状況かもご存知で?」


「ええ、ある程度はだけれど」


「……今日墓参りに行きましたか?新しい花が供えてありましたが」


「私は行っていない。行ったのは父よ。一月に一度は行くから珍しいことではないわ」


「父さんはまだ」


「まあね。随分と良くなったけど、まだ心傷は癒てはいない」


 エレベーター内に音が鳴り、扉が開く。私が先に降りて、自室の鍵を開錠し、扉を開けて姉を迎え入れる。


「少々汚れていますが、どうぞ」


 姉はお邪魔しますと小さく呟くと、靴を脱いで綺麗に揃えて中に入って行く。


「この絵は何?随分と狂気じみているけれど」


「それは、赤宮康介からの贈り物といった所です」


 私がそう答えると姉は少し驚いたようだった。しかし、すぐ平静を取り戻してソファと机を動かして話しやすいようレイアウトし直すとソファに腰を下ろした。

 私はコーヒードリップマシンに豆をセットして、タンクに2人分の水を入れるとスタートボタンを押した。

 冷蔵庫から買っておいたカカオ73%チョコレートを取り出した。

 抽出されたコーヒーをカップに注ぎ、チョコレートと共に差し出した。


「ありがとう。……それで、あの絵は本当に赤宮康介が描いたものなの?」


「ええ、直筆の手紙も同封されていました。筆跡からして間違いなく本人です。絵の具の塗り方や技法から彼らしさが滲み出ている」


 私は先程六路木探偵事務所から持って帰ってきたファイルを開いた。中央付近、山寺宏海なら大学在学中に描いた絵の写真を見せる。


「画風は少し違うように感じるけれど、色の乗せ方や構図の取り方はそっくりね。しかし、よくこんなに資料が集まったものね。何処の探偵?」


「六路木心護という警察内でも名の知れた元精神科医の探偵です」


「ああ、毒舌で偏屈な探偵って有名な。納得したわ」


「ご存知ですか」


「私の知り合いがお世話になってね。すこし話を聞いたのよ」


 姉はコーヒーを一口飲んで一息つけると、本題に入った。


「才児、貴方グループに戻る気はないの?」


「……ええ。今更戻っても迷惑になるだけでしょう。本来、私もグループの立て直しに尽力しなければならない立場でした。しかし、そんな状況の中、私は姉さんに全て押し付けて私は家を出て警察官になりました。それに、大量殺人を引き起こした大罪人を捕まえられず、部下も死なせた私の世間の印象は良くない」


「世間の関心なんてすぐに別の方向に向く。私はね才児、帰ってきて欲しいと思っている。貴方の能力はグループに必要。帰ってきてくれるなら特別待遇で迎え入れるわ。どう?考えてはもらえないかしら?」


 姉の提案は私の思っていた通りのものだった。こんな話を人のいる場所でできるはずもない。

 姉は月城グループの更なる発展を目指してずっと止まることなく進んできた。グループの再建、そして更なる発展は姉が死んだ母に誓った約束であり、長女としての責任。

 背負っているものはあまりにも重い。それは重々理解している。

 だが、それでも私の意思は変わらない。


「……それは有り難い事です。必要としてくれるというのは。しかし、どんなに好待遇でも戻るつもりはありません」


 姉は私の返答を聞くと、ため息をついて斜め上を見上げた。


「そう言うとは思っていた。貴方頑固な所が昔からあったから説得も無駄なのでしょうね。時間をとって損したわ」


 姉は残ったコーヒーを飲み干すと立ち上がって玄関に向かう。


「帰るわ。もう来ないから安心なさい。……じゃあね」


「ええ、お気をつけて」


 玄関を出る姉を見送ると部屋には静寂が訪れた。

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