第53話 入道雲、海、堤防、祖父

 長く伸びる海沿いの道路を歩いている。

 遠くに入道雲が見えて、吹き付ける風は潮の香りがする。

 隣にいるのは祖父。大きな手でまだ小さな僕の手を優しく握っている。

 見上げてみても表情が見えない。麦わら帽子の陰で黒く塗りつぶされたようになっている。


 空の向こうで甲高い鳥の声がする。

 じりじりとした日射が肌を焼いている。

 祖父は堤防に立って海の向こうをじっと見つめている。

 打ち付ける波の音を聞きながら、祖父は何かを呟いている。

 その言葉を聞き取ろうと必死に背伸びをする。

 僕の様子に気が付いた祖父はこちらを見て微笑んだように感じた。


 空が茜色に染まっっている。視線の先には沈みゆく夕日が海に光の道を作っている。

 祖父は私から手を離すと堤防を歩き出す。

 海に落ちてしまうと思った。

 僕は必死に祖父の手をつかもうとする。だけれど小さな僕は祖父に追いつけない。

 海に落ちていく祖父を見て僕は目を閉じた。


 …………。


 目を開けると、祖父は夕日に向かって伸びるような光の道の上に立っている。

 こちらを振り返って、麦わら帽子を取る。

 逆光で黒いシルエットのように見える。

 それでも祖父の表情を見ることができた。

 祖父は悲しそうな、やるせないようなそんな表情を浮かべていた。

 それが祖父の思いなのだろうか。

 僕の視線が高くなる。

 

―ここまでやってきた以上、今更戻れはしない。僕は自分の正義を貫き通すしかない。貴方は望まなかっただろうし、生きていたら殴ってでも止めただろう。いや、生きていたらそもそも僕はこうならなかったのだから関係ないか。

必要とされているのだ。僕のような悪党でも。

この現状を変えない限り世の中には世に出ないような陰湿な犯罪が増え続ける。

警察は表面に現れた犯罪を掬っているだけだ。深い深い深淵のような場所にある犯罪は見逃されている。

僕は縛られない。権力に屈しない必要悪だ。

……説教するなら向こうでいくらでもすればいい。僕の役目はもうすぐ終わる。

最後の作品をもって。

だから、もう少し、もう少し待ってくれないか。


 祖父は、俯いたまま僕の声を聴いて頷くと麦わら帽子をかぶって夕日に向かって歩いていく。

 藍色に変わりゆく空。

 太陽は祖父を飲み込むと水平線に消えていく。

 僕はそれを見送って堤防を後にする。

 視界は少しずつ歪んで、とたんに真っ暗になった。




 目を覚ますと私はソファの上にいた。

 ぼうっとした頭を揺り起こして、診察が終わった後眠ったのを思い出す。

 時計を見るとすでに11時になっていた。体を起こすと体中がきしむようにいたんだ。あまり気持ちのいい目覚めではない。やはりソファで寝るものではない。


「しかし、なんて夢だ。あれは、迎えだったのか?それとも、今更ながらに私を止めようとしていたのか」


 恐らく考えても答えは出ない。所詮は夢だし、何より祖父の気持ちがわかるわけではないのだ。

 私はストレッチをすると、キャンバスの前に座った。

 早々にこの絵を完成させなければならないのだから。

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