第43話 逃亡者の夜

 ヘリコプターに乗り込むと救急キットを取り出して右腕の止血を始める。

 右肩辺りからシャツを破って傷を確認する。どうやら弾は貫通しているようだ。これなら手術をするほどではないだろう。

 私はその場で軟膏をつけて包帯を巻いていく。あくまでも応急処置でしかないが、今はそれができるだけでもいい。

 痛みに耐えて処置を終えると、通信機から聞き慣れた声が聞こえてきた。


『よう、荻原邸から脱出はできたかよ?』


 車で先行しているジョンソン山中からの通信のようだ。


「ええ、なんとかね。少々痛い目に遭いましたが生きてはいますよ。ハンクのお陰です。ジョンソン山中、弟は捕まりましたよ」


『そりゃ仕方ねぇ。別に気にすんな。弟だが、そう関わりがあるわけじゃねぇ。腹違いなんて他人みてぇなもんだ』


「そうですか……。相変わらず金と酒以外にはドライな人ですね」


『そりゃ今に始まったことじゃねぇ。俺はもうアジトの入り口まで着いたぜ?警察もここまでは警戒できていないらしい。今頃ヘリを追いかけて必死こいてるはずだ。どっかでヘリに積んであるダミーの人形を降下させろよ』


「わかっていますよ。それでは後で」


 通信を終えると尾堀にサーチライトを消して高度を上げるように頼んだ。

 私は自動で開くようにした落下傘をダミー人形に取り付けると高度1000メートル程の高さから海の方に投げ捨てる。

 これで警察を揺動出来れば話が早いがそう上手くいくものでもない。

 後ろを見るが、どうも警察のヘリや報道ヘリは追ってこない。


「うまくいっているようですね。」


「ああ、お前さんのお仲間が上手くやってくれてるお陰で、警察のヘリは出てこないし、報道のヘリは燃料不足で追ってこれねぇ。ヘリのスピードにパトカーで追いつくのは不可能。ま、簡単に逃げ切れらぁ」


「そうですか。では、隠れ家上空で降ろしてください。そこで君と身代わりにパイロットを代わることにしましょう」


 地上の状況は完全に理解できないが、恐らく神奈川県警の方からも出動しているだろう。あちらに悟られないようにするには素早く隠れ家に行く必要がある。

 勿論、SNS全盛の時代。一般人の目も気にしなければならないから骨が折れる。

 月城警視とあの場所で面会する前日くらいまでは隠れ家の位置を特定されたくはない。


「そろそろ隠れ家上空だぜぃ。降下するから降りる準備しとけよ」


「わかりました。ジョンソン山中、聞こえますか?身代わりのパイロットは既にそちらに?」


『ああ。もう準備できてるってよ』


「わかりました。尾堀くん、低空でのホバリングはどれほど持ちます?」


「2分くらいかねぇ。結構シビアな操作が必要となるからなぁ」


「わかりました。……そろそろですね。焦る必要はありません。慎重かつスピーディーに事を進めましょう」


 隠れ家上空に到達すると、低空ホバリングを維持してもらう。

 私はハーネスを身につけて、体の前のカラビナにウインチをかけて体をヘリから乗り出し、ゆっくりと地面に向かって降下する。

 降下すると素早くウインチからハーネスを外すと、代わりのパイロットがウインチをハーネスにつけて上がっていく。

 この後、操縦を交代するのだが、この時が最も危険だ。交代する一瞬の時間でバランスを崩すことがあり得るからだ。

 一度バランスを崩して仕舞えば墜落は避けられない。そうなれば警察もすぐさまここを嗅ぎつけてくる。ヘリには陽動の意味合いもあるのだから失敗は許されない。

 尾堀は素早く操縦席から離れた。ガタンと機体が傾いて墜落寸前になるが、これをなんとか立て直す。

 裏社会でも指折りのパイロットを呼び出しておいてよかった。


「おーうまいねぇ。これなら最初から彼に任せればよかったんでねぇの?」


 モーター音でよく聞こえないがそんな事を尾堀は叫びながらハーネスにウインチのフックを取り付けた。


「彼は忙しい人でね。こうする他なかったのですよ。彼にはこのまま逃げ切ってもらいます」


「ま、そういうことで納得してやらぁ」


 尾堀はゆっくりと降下してくる。

 下ではジョンソン山中が隠れ家の入り口を開けて待機している。

 地上に着地するとすぐフックを外して、そのままヘリには退散してもらった。


「お疲れさまです。後はうまく家に帰ってください尾堀くん」


 私は彼に報酬として分厚い封筒を手渡した。彼は中身を軽く確認すると無造作にズボンのポケットに押しこんだ。


「そうさせてもらうさ。結構疲れたもんでな」


 尾堀は少し間を開けてボソリと呟いた。


「これで、会うのは最期か?」


「そうなると思います」


「そうかい。…………俺様はもう一度お前の本気の作品を見てみたかっぜぃ。コウっち」


 コウっち。久しぶりにそのあだ名で呼ばれた。既に忘れかけていた。

 尾堀くんは小さく丸めた背を向けて私たちの前から去っていった。


「おい、とっとと隠れ家に入れ」


「ええ、分かっていますよ」


 あともう少しだ。その日が来ればきっと私は、なんの後悔もないだろう。


「月城警視、貴方には分かってもらえると信じている」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る