第5話 事故未満

 コカゲとヒナタは毎日横断歩道ですれ違っている。二人の中学は別だが、決まった時間に家を出る二人は通学経路上、丁度ここですれ違うのだ。ヒナタの制服は白いブラウスに紺色のブレザーかベストに若草色のリボン、典型的な公立中学の制服だ。それに対してコカゲは如何にも私立っぽい、クリーム色にネイビーブルーがアクセントのセーラー服だった。


 ヒナタは指定のスクールバックを持って、時には竹刀袋を担いで横断歩道を渡る。コカゲは学校指定の革鞄を持って、時々参考書や文庫本を読みながら歩いていた。前方不注意で危ないのだが流石さすがに横断歩道を渡るときは信号を見る。すると反対側には大抵ヒナタがいる。二人は互いに『あの子毎日見るな』と思っていたが、それ以上の意識はまだなかった。


 それは二人が中学2年生になって1ヶ月、少々気が緩みがちな5月の曇った朝に起った。月末には中間テストがある。コカゲは早々と試験勉強を始めていた。試験範囲は自ずと判る。学期の初めから今までの所だ。昨晩やり残した参考書の英文を読みながら横断歩道に立った。過去形が試験に出るな、特に不規則動詞・・・。コカゲはポケットからマーカーを取り出し、参考書に線を引く。あ、青や。周囲の生徒は歩き出していた。参考書にマーカーを挟んでコカゲは小走りで渡る。


 信号が点滅を始めた。うわ、急げ。横断歩道の脇には大型のSUVが待っている。その瞬間、コカゲの手から参考書が滑り落ちた。マーカーも転がる。コカゲは慌ててしゃがみこんで参考書を拾ってマーカーを追いかけようとした。背の高いSUVの運転席の視界からコカゲが消え、ドライバーの主婦はアクセルを踏んだ。コカゲに銀色のバンパーが迫る。


 その瞬間、フロントガラスに一本のビニール傘がぶち当たった。SUVは急ブレーキを踏み、コカゲは間一髪で衝突を免れた。丁度横断歩道の反対側にやって来たヒナタが瞬間的に反応したのだった。

固まったコカゲをヒナタが引っ張る。SUVはヒナタのビニール傘を踏んづけて走り去った。


 危ないやろ!ちょっと待っとき。


 ヒナタは車の合間に横断歩道から素早くビニール傘を回収し、コカゲの正面に立った。


「ったくオマエ死にたいんか。横断歩道は右見て左見てまた右見て渡れって習わんかった?あーあ、借りた傘やのにつぶれてしもた」


 ヒナタはかれたビニール傘を持ち上げてボヤいた。


「ごめんなさい。弁償します…」


 ショックで震えながらコカゲは財布を鞄から出そうとした。そしてコカゲはまた参考書を落とした。


「アンタ何してんのよ。しっかりしぃ。傘はええよ、学校のやから。先生には誤魔化すからあたしの心配なんかせんでいい。それより横断歩道は周り見て渡りなさい。判った?ほんならもうええからはよ行き。遅刻するで」


 そう言い残すとヒナタは「おーい!オフジ~!」と叫んで茶髪の友人らしきに手を振った。


 まだドキドキが残るコカゲは、ぺこりと頭を下げ歩き出した。まだ足は震えている。


 翌日から二人は挨拶を交わすようになった。


「おはよう、今日はちゃんと前見て歩いてるやん。その調子やで」

「うん、おはよう、昨日は有難う。気をつける」


「おはよう、髪に癖ついてるで。朝寝坊?」

「おはよう。うん、ちょっと」


「おはよう。今日雨降るって。嫌やなあ」

「おはよう。そうやね、じゃあね」


「おはよう。可愛い髪飾りやん。似合ってるで」

「おはよう、有難う」


 ささやかな挨拶だ。でも心がこもっていた。コカゲの友達にはいないタイプだ。ちょっと嬉しい。コカゲは毎朝挨拶してくれる相手をそっと伺った。あの子、茶髪の友達と一緒の事が多いな。ちょっと怖そうな友達やな。あの子は普通やのに。コカゲはいろいろ想像してみる。栂西中学の制服だ。学年は一緒かも知れない。住んでる所は近所だ。時々剣道の防具を担いでる。剣道部なんや。ちょっとカッコいいかも。黒髪ロングの剣士ってアニメに出て来そうやし。運動もできるんやな、きっと。なんて名前やろ。


 朝の挨拶がしばらく続いた頃、コカゲは帰り道で初めてヒナタに出会った。


「あ、あの。今帰り?」

「おお!初めてやねえ帰りに会うの。あ、そっかあたし部活してるからか・・・」

「剣道部?」

「うん。なんで知ってるの?アンタ忍者?」

「いや、だって前に剣道の道具持ってたし」

「その時は なんでやねん! やろ」


 ヒナタは笑った。


「あたしもアンタの事、知りたかってん。そうか、防具持ってたら判るわな。友愛中やろ?部活やってるの?」

「ううん」

「立って話すのも変やし、あそこのバス停行こか。ベンチあるし」


 ヒナタはコカゲをすぐ近くの屋根付きバス停に誘った。バスが来るたびにヒナタは手で×の合図を作りながら喋った。


「部活やってなかったら暇な事ない?友愛中って勉強ばっかり?」

「そんなことないよ。フルート習ってるからそのまま練習に行くこともあるし」

「へえ、フルート!アンタお嬢様?ってか名前聞いてなかった。あたしは掛川ヒナタ、2年であっちの団地に住んでる」


「わ、同じ学年や。私は松永コカゲ。5丁目」

「へえ、やっぱりお嬢様やね。大きな家ばっかりの所でしょ。コカゲちゃんか。涼しそうで可愛いなあ。あたしの名前、暑そうやろ」

「そんな事ないよ。ポカポカして温かそう。何て呼んだらいい?」

「ヒナタとかヒナとか言われてるよ。あたしはコカゲって呼ぶわ」

「じゃあヒナにしよう」

「うん」


「ヒナ、剣道部やから運動得意なん?前に傘投げて助けてくれたし」

「体育は好きやけどね。あたし、るろ剣に憧れて剣道始めてん。二刀流やりたくて」

「へー、カッコいいなあ。二刀流。カタナ2本持つんやね」

「んー、竹刀やけど、右手で中くらいの竹刀持って、左手で短い竹刀持つんよ。あたし右利きやから」

「ふうん。私は左利きやから反対になるんかなあ」

「剣道は左利きの子も同じ構えやけどなあ。でも中学生の試合ではあかんねん、二刀流」

「え?なんで?」

「さあ。ルールやから?でもね、顧問の先生に言われてんけど、ちゃんと竹刀一本を振れるようにならんと二刀流は無理って」

「そう言うものなんや」


「うん。確かにそうやと思う。だから1年の時からちゃんと竹刀振って、2年から特別に二刀流を教えてもらってんのよ、お巡りさんに」

「お巡りさん?」

「うん。先生の友達らしい。特別に来てくれてる」

「凄いねえ、それって認められてるからでしょ、ヒナの腕前」

「うーん、どうやろ。先生が面白がってるだけにも見える。でも将来警察にお出でって誘われた」

「へえ、もう将来まで決まってる」

「ちょっとだけね、それもいいかなあって思ってる」


 一体何台のバスに×を出しただろう。まだ居るんかいと思ったバスドライバーは1人ではない筈だ。二人は1時間以上喋っていた。ヒナタはコカゲのフルート発表会を見に行くと約束し、コカゲはヒナタの試合を見に行くと約束した。こうして二人は友達になった。勿論コカゲはヒナタを介してオフジとも知り合った。最早完璧な茶髪のオフジだったが、コカゲはオフジと喋ってみて『意外といい子』であることが解かった。人は見かけで判断したらあかん、改めてコカゲは胸に刻み込んだのだ。

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