第2話 全てを知っていた臣尻

 聴取は一向に進まなかった。まず臣尻という男には前科がない。住所不定職業不明で、近隣の役場に彼の住民票などのデータベースを洗ってもらったが、一向に成果が出ず、一体この男が何者であるか明らかにならなかった。裁判までこの男は拘置してあったが、証拠不十分、情状酌量で不起訴処分となり、とうとう最後の取り調べとなった。


 聴取室で、夏目警部と秦野警部補はこの臣尻という面の皮の厚い男の相手をしなくてよいのだと内心ほっとしながら、最後の取り調べを始めた。

「まったく、二度と警察に来るんじゃないぞ」

 そう言って、お茶を突き出した。

 臣尻はくすくす笑って、

「本当に、いいのかな。夏目さん。どうして今の今まで殺人を担当する捜査一課に私が引き渡されたか、疑わなかったのですか?」

「さぁな。上からの命令で、なんとも言えん」

「だから日本の警察はダメなんだよなぁ……」

「なんだと!」

 夏目は大きなガタイを乗り出して、臣尻の胸ぐらをつかんだ。

 そこへ、

「夏目警部。署長がお呼びです」

「ああ?」

 わけもわからず警察官に連れていかれる夏目であった。


□◆□


 署長室には、容姿が中学生くらいの婦人警官が据わっていた。袖がだぼだぼの制服を着て、ニンテンドー3DSをやっている。

「……なんの用だ、氷堂署長」

 署長、氷堂涼音警部。警察庁に勤務していたのだが、どういう由縁か川崎警察署に。年齢はなんと28。キャリア組の中でしかも女性でこの年齢にして警部まで出世したのは大したもんである。

「夏目ぇ。酒買ってきて」

「いいからてめぇの魂胆を話せ」

 夏目は上司に敬語を使わない。「敬語を使うと変な福岡弁になる」と言って、いろんな上司に一九〇ある身長で威圧してきたのであった。

 氷堂警部はふくれっ面をして、

「まだまだだねぇ、夏目ぇ。臣尻って男はすごく面白い。ステキな犯罪者だよ、彼は、なんせ」


「殺人事件の証拠を窃盗して、迷宮入りにしようとしているんだから」


「なんだと……?」

 夏目警部帆はわなわな震えた。氷堂警部は、夏目を弄んでいたということだ。しかし職務は履行している。腕時計の窃盗と殺人事件がリンクしていることで、夏目警部を殺人事件の担当に任命するということに違いないからである。それが氷堂警部の言葉の真意だった。

「まぁ、そういうわけだから、せいぜい頑張りな。検察には拘留延長の申請しといたから。ヨロシク~」

 夏目警部は肩をいからせて署長室を出て、聴取室に戻ってくるなり、椅子を蹴り倒した。

「……隠していることをすべて話せ。でなけりゃてめえは殺人隠避で懲役刑だ」

 臣尻は肩をすくめ、

「それは困りますねぇ……いいでしょう」

 彼は席を立ち、ぐるぐると夏目の回りを回りながら、

「事件は八月十七日の午前七時に起こりました。被害者の名前は及川陽菜。湘南国際大学付属高校の二年生です。現場の状況は、水の溜まったプールで彼女は水死体となって浮いていた。秦野さん、死因はなんだと思われますか?」

「そりゃ……溺死かと?」

「溺死体が水に浮かぶかよ。まぁ、肺に水が入っていなkとも溺死は考えられるが……」

「彼女は溺死ではなく中毒死。何者かがプールに毒物を混入してたかと思われます。使用された毒物はオレアンドリン。夾竹桃に含まれる毒物で、青酸カリよりも致死量が少ない劇物です。昔は毒矢に使われたそうで」

「ちょっと待て、なんで貴様がそこまで知っているんだ。及川陽菜の殺人事件は俺たちがヤマを張っていて知ってはいたが、そこまでの情報、誰から……あっ……。」

 即座に、あの女……と舌打ちした。こんな悪ふざけをするのは、氷堂署長以外考えられない。

 臣尻は得意げな笑みを浮かべるだけであった。夏目警部はシガレットケースを開けたが煙草が入っておらず苛立ちのあまりそれを投げ捨てた。

「どうするんです……夏目さん?」

 うろたえるしかない秦野。夏目はため息をついてから、

「この腕時計は、押収させてもらう」

「おや、自分たちだけで捜査するおつもりで?」

 自分たちだけ? 夏目は彼の言葉を疑った。

「貴様の力を貸してほしいと懇願しろと?」

「ええ。懇願はしていただかなくて結構ですが」

「貴様に何ができるというのだ?」

「氷堂署長が何故拘留期限を延ばしてくださったか、その真意をご存じで?」

 知るか、と夏目警部は思った。

「私には逮捕権も捜査権もございません。しかしこの拘留期限の間、警察の監督の下なら、或る程度の融通を利かせて捜査ができる! 聞いた話ですと、明日から私、現場に出られるらしいのですが……」

「何だと!」

 夏目警部は唖然とした。

「そんなの、わしが認めんぞ! 氷堂の馬鹿に直訴してくる!」

「あー、無駄だと思いますよ。もう上層部にも私のこと通してあるみたいですから」

 どれだけガバガバな組織体制なのであろうか。それよりも、何故警察はこの男をここまで贔屓するのであろうか。夏目警部はそれが一番気に入らなかった。

「あー、それと」

「なんだ」

 視線だけで殺せそうな目を向ける夏目。しかし臣尻は目を細め、

「私の監督は、夏目さんと秦野さんのお二方が担当なさると聞いてます」

「え、僕も?」

 秦野警部補はきょとんとしていた。

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