繰り返す日常と私と親友

緑黄色野菜

第1話

「……また保健室にお世話になってしまった」


 高校に入学してから既に三回ほど保健室のベッドで横たわっていることになる。私は学校のベットの硬さと掛け布団の温もりを感じつつ、天井を眺めた。


「あ、綾子あやこちゃん。気が付いた?」


 近くから私の名前を呼ぶ聞きなれた声が聞こえた。


 声の主は、私の親友である恩田知美おんだともみだった。知美は私の隣で椅子に座りながらこちらを眺めていた。知美とは付き合いが長く、昔から私が倒れた時はこうして介抱してくれた。


 私は幼い頃に両親を亡くし、残された財産を遠い親戚に管理してもらい、昔から一人でこの街で両親が残した一軒家で暮らしてきた。家のことは親戚のおじさんおばさんが雇ってくれた人たちが家のことをしてくれたが、私はとても寂しかったし、暮らしていて心を開ける存在がいなかった。


 そんな不幸な少女の前に現れたのが、この知美だった。私はいつも一緒にいてくれる知美の存在にとても感謝している。


「また私、貧血で倒れちゃったの?」


「うん。お手洗いに行く途中でね」


「この貧弱体質は嫌になるわね」


 私は毎度毎度、すぐに倒れるこの体に愚痴をこぼした。


「体質だもんね。そればっかりは仕方が無いよ」


「そうだけどさ――」


 優しく語り掛ける知美に私はふて腐れながらもベットから起き上がった。


「今、何限目?」


「もう四限の数学が終わりそうなとこ」


「一時間近く眠ってたのか。ほんとにいつもゴメンね、知美」


「私なら今日の範囲は予習と自習済みだから大丈夫よ。問題は綾子ちゃんの方よ」


 うっ、さすが勉強のできる子は違う。私はもともと勉強ができる方ではないし、この貧血持ちのおかげで勉強のペースを乱されることが多々あるため、常に赤点予備軍である。


「また勉強を教えてもらってもいい?」


 猫撫で声でわざとらしくお願いをする私。


「親友に赤点を取らせるわけにはいかないからね。ちゃんと教えるよ」


 いつもの笑顔で了承する知美。


「サンキュー」


と、知美と話をしていると四限の終わりを知らせるチャイムが学校中に鳴り響いた。






 教室に戻ると、クラスメイトたちが持ち寄った弁当や購買のおにぎりやパンに舌鼓を打ちながら談笑しながら仲良く食べている光景が映った。


 そんな学生の束の間の休息の中、いちごジャムパンを食べている私に向かい合って、一緒にお弁当を食べている知美が唐突に聞きなれない言葉について話してきた。


「ねえねえ、綾子ちゃん。スワンプマンって、知ってる?」


「スワンプマン?なにそれ。新しい芸人?」


「違う違う。芸人さんじゃなくて、アメリカの哲学者が考えた思考実験の話」


と、少し笑いながら話す知美に私は口を尖らす反応をしながらも知美の話を聞き続けた。


 知美は、右手に持つスマホを見ながらスワンプマンについて私に説明した。


 簡単に言えば、落雷で死んだ人物の隣にその人物のコピーが産まれて今までと変わりのない生活に戻っていくという内容だった。


 知美の言葉を聞きながら売店で買ってきた紙パックジュースにストローを差し、ちびちびと飲みながら、またネットで面白いものが見つかったから話したいんだなと思った。説明し終わった知美は満足げにスマホをポケットに戻した。


「で、綾子ちゃんはどう思う?」


「何がッ!?」


 私は知美の言葉の足りなさに驚きながら反射的に言葉を返した。


「このスワンプマンは本人かそうじゃないかってことよ。綾子ちゃん、ちゃんと聞いてた?」


 そう言われると半分で聞き流していたが、私は今の話の内容を整理してから自分なりの答えを切り出すことにした。


「同じ構造の体で知識も変わりなく、記憶も途切れたりしてないんでしょ? なら、それで別に問題ないんじゃない? 死んだ人の方が誰かに見つかったら問題だろうけど」


 だが、私の答えに珍しく知美が反論してきた。これには少し驚いた。いつもなら、そうだよねーうふふっと彼女が微笑む場面だと想像していたからだ。


「で、でも。雷に打たれた人は死んじゃってるんだよ。だから、新しく産まれてきた人はその人じゃないよ。その人は雷で亡くなっているんだから」


 でも、知美の声からどんどん力強さがなくなっていった。自分の主張に自信が無いからだろうか。


「私の考えは、『自分』として認める者は自身ではなく、自分を見る他人だと思うの。例え、元の人間が雷に打たれて死のうと、社会で必要とされる私の役割に問題がなければ、それが私なんじゃないのかな」


 そして、私は勉強しながらご飯を食べるといったまま、机に置かれていた四限の数学で配られたプリントを手に取って、


「このプリントもコピー機で作られたけど、これが先生が作った原本だろうとなかろうと、私たちには問題ないでしょ?」


 と、笑顔で知美に語りかけた。知美は腑に落ちないようだったが、こくりと頷いた。


 何故か私の返答に気を落としている知美を見て、話題を変えることにした。


「でも、知美は優しいねえ。そういう死んだ人のことも考える優しさがあるから男子にモテるのかな?」


 私は椅子を上下に揺らしながら知美のことをいじり始めた。


「い、今はいいでしょ……そんなこと」


「二組の斉藤も『露骨に恩田から避けられてる気がする』とか、四組の川辺も『話しかけようとしたら逃げられた』という内容を幼馴染だからといって私に相談してくるのよ?別に全員に愛想よくしろとは言わないけど、もう高校生になるんだし、露骨に男子を避けるのはやめてあげたら?」


 私は窓の外を眺めながらジュースをちゅうちゅうと吸い、残りを飲み干す。


「最近は慣れてきたら、そんな酷い扱いはして……。はい、善処します……」


 男子が知美に近づきたい気持ちは良く分かる。知美は可愛い。女の私も可愛いと思うし、妹にできるなら妹にしたいぐらいだ。髪はすらっと絹のように長く綺麗な黒髪で目鼻は整い、まるで日本人形と西洋人形を足して二で割ったような感じだ。理想的で綺麗なバランスなのだ。


「知美のその男嫌いはもう物心ついた頃にはあったわよね。いったい、それ何が原因よ」


 私は純粋な疑問とモテ具合に対する少量の嫉妬を加えて聞いてみる。


「別に男の子が嫌いなわけじゃなくて、気になる人がいるからあまりそういうのには関わらないほうがいいかなと思って……」


「えっ!? 他に好きな人がいるの!?」


 初耳だった。


 私は身を乗り出して、気になる人というワードに食いついた。知美は、あははっと私の勢いに押されて戸惑いながらも話を続けた。


「でもね、その気になる人は、『気になっていた』になっちゃったって言えばいいのかな。なんてね」


 知美は笑顔でごまかしながらも、私に気になってた人の存在を教えてくれた。どこか遠くに行ってしまったのだろうか、もしくは亡くなられたのだろうか。だから、さっきもスワンプマンなんて死んだ人間が関わってくる話題を持ち出したのだろうか。私はそう捉えた。


「知美、私でよければその気になってた人の話をいつでも聞いてあげるわよ。あっ、食後用に買ったプリン食べる?コンビニの高いやつ」


「どうしたの?改まっちゃって」


 知美は急に優しくよそよそしい態度をする私に笑いながら答えた。


「ありがとね。綾子」


 そう言うと、知美は私から献上されたコンビニの高いプリンを幸せそうに食べた。






 その日の夜。私は知美と学習塾へ行く待ち合わせをし、バス停で待っていた。しかし、知美はいつもの時間になっても現れないままバスの時間が近づいて焦りはじめた。


「もう、何してるのよ。いつもなら私より早く来ている癖に」


 普段の私の行いは棚に上げつつ、携帯の連絡にも出ない知美を心配する。そして、いつものバスが定刻通り到着した。運転手さんに少しだけ待ってもらうようにして知美を待っていると、全力疾走してバス停に走ってくる女の子が見えた。


 案の定、知美だった。


「早くしなさい!!バスが少し待ってくれたのよ。ありがとう、運転手さん」


「ありがとうっ……ございます」


 私とへとへとになって息切れしながら乗り込んできた知美は運転手さんに感謝しつつバス乗り込んだ。


「電話ぐらい出なさいよね。最悪事故に巻き込まれたかと思ったじゃない」


 席に座り、私は怒り気味に話すと、知美は私の言葉に気づいて鞄から携帯を取り出してた。私の着信履歴が数件入っているのを確認して、ごめんと謝った。


「でも、事故じゃなくてよかったわ。でも、本当はなんで遅れたの?いつもなら私よりもはやく待ち合わせ場所に来ているのに」


 私の質問に知美は言いにくそうな様子で少し考えた後、


「ちょっとお腹が痛かったから今日の塾は休もうと考えたんだけど、よくなってきたからやっぱり行こうと思ったら、……遅れました」


 しょぼんとする知美。


「え?大丈夫なの?授業中にまた痛くなったら大変じゃない」


 心配する私に知美は、


「大丈夫大丈夫。本当に大丈夫だから、本当に……」


 まだ調子が悪いのか心なしか元気が無い知美を気遣いつつも私たちは塾へ向かった。


 だが、塾に着くと同時に知美はトイレに駆け込み、そのまま今日の塾は終わってしまった。






「無理して塾なんて行くものじゃないわよ」


 私は自分の鞄と知美の鞄を抱えてバス停まで向かった。後ろには調子が悪そうな知美がとぼとぼととついてゆっくりと来ていた。彼女の息は乱れて不規則に呼吸を行いとても苦しそうだった。


「ほんとに知美、大丈夫?バスじゃなくて家族の人に迎えに来てもらう?」


 振り返って心配する私に知美は俯いたままで無言で頭だけを横に振る動作をしてそれを拒否した。


「頑張れそうなら、私は止めないけど……」


 私は腑に落ちぬまま二つの鞄を持って改めてバス停まで歩き始めた。道を曲がり、バス停が見える道を眺めたとき、私は乗る予定であったバスがもう既に到着している光景を目の当たりにしてしまった。


「待ってッ!!」

 思わず叫んだ私は、全速力でバス停に向かって走るが運転手は知ってか知らずか、ほとんど乗客を乗せてないバスを走らせて次の目的地まで向かった。ハザードランプで照らされる後部の広告を凝視しながら、暗闇に消えていくバスを眺めるしかできなかった。


「……明日、クレームいれてやるからな」


 悪態をついていると、突然痛みに堪えて悶える様な声が聞こえてきた。後ろを見ると知美が倒れていた。


「知美!?」


 私は知美に駆け寄り、


「その痛み方、尋常じゃないよッ!? 今から救急車呼ぶから」


と、携帯を取って電話を掛けようとした瞬間、


 知美は「駄目。絶対、駄目!!」と私の腕を掴んできた。普段の華奢な風貌の知美からでは想像ができないような強い力で握られ痛みを感じるほどであった。


「何言ってるのよ。そんなに苦しんでて」


 再度電話を掛けようと試みると、知美は止めて!っと叫ぶと同時に私をおもいっきり突き飛ばした。思わぬ突き飛ばしに私は驚き、体勢が崩れて尻餅をつく。


 知美の自分の状況を理解していない行動はさすがに堪忍袋の緒が切れてしまった。


「知美、アンタいい加減にしなさいよ!!」


 私が知美に向かって言った瞬間、私に不可思議な光景を目の当たりにしてしまった。


 突如、か細い知美の左腕が大きく膨らみ始めた。


 炎症とかそういったレベルではない。腕が赤くはれ上がってしまったという言葉では説明がしがたいほど膨張し、血液と体液が噴出し筋肉繊維が浮き上がり痛々しく脈を打ちながら、痙攣しぴくぴくと動いていた。


 そして、腕が変化し始めて触手となり、何本も巻きつきロープのような絡まりあって一本の腕のように形を変えていった。


「なによ、これ……」


 私は絶句した。


 足と膝を震わせながら親友の左腕の変貌を眺めるしかできなかった。


 すると、重たい左腕にバランスを取られながら、ゆっくりと知美が立ち上がり始めた。足を一歩一歩まるで歩行訓練でリハビリをしている入院患者のような足取りで私の方へ歩いてきた。


「あ、綾子ちゃん……」


 疲れきり、息が絶え絶えな様子の知美。私はいつも聞きなれているはずの知美の声だったが、


「ひいっ……!?」


 ぞっと背筋が凍り、思わず私は逃げ出してしまった。


「お、お願い。綾子ちゃん! ま、待って!!」


 一気に距離を離れた私は後方を振り返ると、知美は重い足取りで追いかけてきた。


 知美は力いっぱい必死になって追いかけているようだったが、速度は三輪車を漕ぐ幼児ほどの速さしかなかった。知美の荒い息遣いが十数メートル離れた先でも聞こえてきた。


 私は当方に暮れながら、どうしたらいいか分からないでいた。必死に歩いていた知美は地面のくぼみに躓いて転倒し、動けなくなってしまう。


「知美ッ!!」


 私は思わず知美まで走っていった。知美を抱きかかえると、酷く衰弱し呼吸も浅く、ぐったりとしていた。


「大丈夫ッ!? ……とりあえず、どこか人がいないところに行くわよ」


 今の知美の姿をほかの誰かに見られるわけにはいかない。知美のその腫れ上がった腕のようなものを私の制服のジャケットで隠し、知美に肩を貸した。虚ろな目で知美が自分の左腕を見つめる。


「ダメ……。綾子ちゃんの制服が汚れちゃう」


「この状況で制服の汚れなんて気にしてるんじゃないの。それより知美はちゃんと意識を持ちなさい」


 私は外見は変わっても、中身は知美のままだと感じて少し安堵しながら、人気のない落ちつける場所を探した。






 運よく近くで公園を見つけることができた。


 敷地には公衆トイレと数個のベンチが設置されており、公園には誰もいないようだ。


 知美は意識が朦朧として、私は半分引きづりながら背もたれ付きのベンチを見つけたのでそこに腰掛けさせた。


 まるで紐が切れた操り人形のように知美は動かない。私は鞄に入れていたペットボトルのお茶を取り出し、知美に優しく飲ませてあげた。


 げほげほと気管にお茶が入ってむせたたりもしたが、先ほどよりも呼吸は安定し、汗も引いていっているように見えた。


 お茶を飲ませた後はしばらく二人でそのままベンチに座り続けて同じ夜空を見上げた。 


 先ほどの慌てようから様変わりしたかのように、静寂が二人の女子高生を迎え入れてくれた。


 風で公園の草木が触れ合う音が鮮明に聞こえてくる。いつもと変わらない自然の情景。


 もしかしたら先ほどの騒動は夢だったのではないかと思ったが、知美の腕に巻いた血と液体が染み付いた私のジャケットを見て、現実に送り返されることになった。


「綾子ちゃん、ありがとう……」


 細々と知美が声を上げた。


「落ち着いた?」


「うん、さっきよりは良くなったよ」


「なら、よかった……」


 だが、その後二人は会話を途切れさせてしまい、無言が続いた。


 まだ受け入れ切れていない現実に対してどう話を切り出したらいいか分からなかった。そんな重苦しい空気の中、知美が口を開いた。


「この腕のことを、話さないといけないよね……」


 私は頷いて、知美の話を聞いた。


「この腕について私もよく分からない。こうして現れたのは今回で三回目かな……。一回目は幼稚園児の時だった。外でひとりで遊んでいたら今回みたいに急に腕がおかしくなって、私は慌てふためくしかなかった。そして、腕が痛くて熱くて苦しくて泣いてた。でも、泣きつかれたのか気を失ったのか何時しか私は眠っていた」


「気が付いて起きたときには両親が近くにいて私を抱きかかえいた。私が倒れていた地面は血と液体でびちゃびちゃだったけど、腕はいつの間にか元に戻っていた。私もその時は悪い夢かと思った。そして、こんな夢はやく忘れてしまおうと考えた……」


「でも、昔あった悪夢のことを忘れた小学校四年生の頃、深夜自室で眠っている時にまた現れた。あまりの痛みと異変に声を上げてしまった。私の声に気づいて、お母さんが私の部屋に向かってくる足音が聞こえた」


「でも、そのときも元に戻ったんでしょ?なら今回も時間が経てば戻るんじゃ……」


 私は知美の話を遮り、今回の現象も時間が解決してくれるのだと決め付けたかった。が、知美の反応は違っていた。とても言いにくそうで自分の口から話すのをかなり拒んでいる様子だった。


「……一回目の時みたいになればよかったんだけどね。でも、二回目は違っていたの」


 そして、知美は一度、私の顔を見て何かを決心したのか話の続き続けた。


「お母さんは私の部屋の扉を叩いて私の安否を確認しにきたわ。でも、私は扉を開けさせないために押し続けたわ」


「なんで、お母さんを部屋に入れなかったの……?」


 私の言葉に一瞬知美は言葉を詰まらせたが、続けた。



「……食べたかったから」



 私は知美の言葉を理解することができなかった。


「あの腕が現れて、無性にお母さんを……食べたくて食べたくて、しょうがない衝動に駆られていた。このままお母さんと会えば、私の理性を置き去りにして、この変化した腕で食べてしまうと直感して、扉を開けさせなかったの」


「お母さんには悪夢をみて大声を出したといって寝室に戻ってもらった。まあ、本当に悪夢を見ていたんだけどね……」


 私は知美の言動に現実味が無さ過ぎて、そのまま聞き続けるしかなかった。


「この空腹感を満たすために台所へ向かった。台所にあるお米や魚や野菜、調味料を全て集めてこの腕に食べさせた。でも、効果はなかった。そして、私はふらふらと深夜の街に向かった。で、そこで酔って倒れているサラリーマンを見つけたの……」


 私は思わず、まさか……呟いた。


「ええ、そうよ。彼をこの腕で『食べた』の。でも、台所の食材と同じだった。いやむしろ、余計なものを食べてより空腹感が増してしまった。だから、私はお母さんが待つ自宅に帰ったの。……続きは話さなくてもいいよね?」


 知美は申し訳なさそうな口調で話した。私は親友が隠していた秘密をただただ受け入れることしかできなかった。そして、私は一つの疑問が湧いてきた。


「……今はその、食欲はどんな状態なの?」


「食欲はある、ね」


「食べたいのって、それはつまり……」


 知美はゆっくりと腕を動かして指を差した。


 私だった。


 頭の中がまっしろになった。まさか死ぬにしても親友に食べられるなんて想像していなかった。


「今日、腕の様子がおかしかったから包丁で切り落とそうとしたけど、筋肉も皮も硬くなってて歯が立たなかった……。自殺もしようと思ったけど、怖くて怖くてできなかった。弱くてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 知美の大粒の涙を流し続ける姿を見て、私は大きな決断をした。



「食べればいいじゃない、私を」



「そんなことッ! できるわけないじゃないッッツ!! 何言ってんのよッ!!!」


 激昂しながら反対する知美。


「なら、知美はこれ以上関係ない人たちを巻き込むつもり?知ってるでしょ、私には親しい家族はいないし、誰も悲しまないわ」


「そんなことないっ……」


「私はね、知美がみんなに化け物扱いされて嫌われる方がもっと辛いよ」


 私も死ぬのは怖い。


 でも、私が生き残って待ち受ける未来の方がもっと怖いと、直感した。自分でもバカだと思う。親友に自分の命をあげるって。それでもね……。


「綾子ちゃん……」


 今度は鼻水も流して知美が泣き始めた。


「知美が泣いてどうするのよ」


 そういうと、私は知美の頭を撫でた。



「いつでもいいよ」



 心の決心は何故かもう、ついていた。


「綾子ちゃん、確認させてほしいの?」


「何?」


「私、こんな化け物だけど、まだ綾子ちゃんの友達?」


 知美は鼻水と涙でぐしょぐしょになった顔で聞いてきた。


「そうだよ、大切な友達」


「……ありがとぅ。綾子ちゃん」


 知美の笑顔とその言葉のあと、私の意識が途切れた。






 夜の小さな公園で女の子が一人泣いてた。


 彼女の姿は、まるで遊園地で両親と逸れてしまい途方に暮れてないてしまっている子どものようだ。


「綾子ちゃん、おいしかったよ……。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」


 感謝と懺悔の感情が入り混じったなんとも言いがたい口調で、彼女はいなくなってしまった親友に向けて話した。


「綾子ちゃんは『いつも』私のために犠牲になろうとする。感謝しているし迷惑かけているのは私だけどやっぱり、綾子ちゃんの行動は毎回理解できないよ。なんで……なんで……拒否してよ、拒絶してよ」


「でも、そんな綾子ちゃんを。私は、また勇気を出せず騙してしまった……」


 彼女の独り言は静まり返った公園の狭い空間をかすかにこだまする。誰も彼女の苦悩を聞き、理解してくれる人はいない。虚しくこだまは暗闇の中へ消えていった。


 ベンチで数十分間、石像のように座り込んでいる彼女に異変が起き始めた。


「あぁ、もう、そろそろかな」


 彼女は慣れた反応をして、大きくなった左腕を眺める。


 左腕は粘土のように形を変えていった。その変化の過程で少しずつ肉が零れ落ちて、肉片が地面に溜まっていった。何度も何度も変化を重ねて、いつしか彼女の腕は昼間の時のようなか細い女子高校生の腕に戻っていた。


  そして、その左腕からそぎ落とされた肉片で地面は沼のようになっていた。肉片は熱を持ち、細胞はまだ生きているようだった。


  すると、驚いたことにその肉片も周りの肉を絡め合うように活動し始めた。その肉の塊たちは、いつしか人型となっていき、活動が終わる頃には完全な人間の姿にとなっていた。


 そして、先ほどの肉の塊は綾子になっていた。可愛らしい寝息もしていた。


 知美は綾子を抱きかかえると、自分の膝に頭を乗せて膝枕をさせた。眠っている綾子は穏やかな表情を浮かばせて、気持ちよく眠っていた。そんな綾子を見て知美は安堵した表情を見せた。



「今回も無事に元に戻ってよかった……」



 知美は寝ている綾子に微笑みかけて、優しく頭を撫でた。


「でも、あなたは、『本当』の綾子ちゃんなの?」


と寂しげに、そして心配そうに知美は語りかけた。


 それから一時間ほど経つと綾子は目を覚ました。


「えっと、あれ?知美ここはどこ?」


「塾の近くの公園だよ」


 知美は、優しい口調で答えた。


「もしかして、また私倒れちゃった?」


「……うん」


「そっか、また迷惑かけちゃったわね。ありがとう、知美」


 綾子ちゃんは目覚めたときには私との一部始終を忘れている。綾子ちゃんの中では貧血を起して気を失って倒れたという記憶になっているようだ。幸か不幸か、この記憶の改変が今日まで私を私として生かせてもらえている要因でもあった。綾子ちゃんは私の左腕のことだけ、すっぽりと忘れているのだ。


 そして、私はそんな綾子ちゃんに真実を話さずに利用している。何度も何度も私に対する彼女の勇気を利用して、心も体も醜くこの世で生きている。


 綾子ちゃんと仲を深めるたびにその回数が多くなっていた。始めは二年に一回、今に至っては二ヶ月に一回のペースまで増えてきた。


 でも、綾子ちゃんから離れるなんて私には考えられない。


 こんな自己中心的な自分が憎いし、綾子ちゃんからの拒絶されるを恐れ、自分の死を恐れるただの化け物だ。


「気にしないで。綾子ちゃんは私の大切な人だもん」


 その大切な人をつい先ほど、食い物にしたのは私だ。


「おお、いい言葉だね。知美が女の子じゃなくイケメン男子なら完全に恋に落ちてたよ」


「ふふふっ、イケメン男子じゃなくて残念ね」


 女の子でもイケメン男子でもない。私はただの化け物だ。


「真っ暗だね。そろそろ帰らないと」


 綾子ちゃんは起き上がり、背伸びをして立ち上がった。屈託の無い笑顔で振り向き、未だ座り込んでいる私に綾子ちゃんが左手を差し出してきた。


「知美、帰るわよ」


 私は、綾子ちゃんの左手を一瞬掴もうとか躊躇したが、だが私はまた綾子ちゃんの優しさに甘えてその左手を掴み、彼女の力を借りて起き上がった。


 にしししっと笑う綾子ちゃんを尻目に私はこれから何度彼女を苦しめないといけないのか、何度嘘をつきながら生きていかないといけないのか、そのようなことばかり考え、とても胸が痛い。


 張り裂けそうだ。


 この日常を装った悪夢を終わらせたい。でも、死ぬのも本当の化け物になるのも怖い、とてつもなく怖い。


 まるで悪夢の泥沼に沈んでいくような日々。


「そういえば、おいしいって話題のお菓子が最近出たみたいだからさ。近くのコンビニに寄っていかな?」


 いつもの他愛の無い話が始まる。


「いいよ。でも前もそんなこと言って、『おいしくない!騙された!!』って怒ってたじゃん?」


 私はにやにやしながら以前の失敗談のことを綾子ちゃんに話した。


「う…、今度こそはおいしいんだから、絶対!!」


「そうかな――?」


「そうよっ。今度こそ、うまくいく」


 そんな彼女の姿を見るたびに、この日常のような悪夢の続きがダメだと思っても気になってしまう。


 もっと見たいと感じてしまう。


 彼女の笑顔は悪夢の中の唯一の幸せだった。だから、弱い私はその幸せにすがって、いつまでもこの悪夢を彷徨い続ける。



 今度は自分が夢から覚めることを信じて。

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繰り返す日常と私と親友 緑黄色野菜 @osmk2

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