第16話
「星宮さん!」
声の調子など知ったことか。ただ力任せにその名前を呼ぶ。いや叫んだのかもしれない。
星宮さんは肩を一瞬上下させたが、歩は止まらない。
「ちょっと待ってよ!星宮さん!」
半ば強引に肩を掴み、無理やり正面を向かせる。が、首を横にし、目を合わせようとしない。更に頰に手を当てて正面を向かせる。
相手に逃走・反撃の機会を与えないように、素早く叫んだ。
「僕を避けるな!」
言い放って、初めてお互いの呼吸が乱れていることに気づいた。
「わた…」
「なんで僕を避けるんだよ!今まで色々話をしたじゃないか!傘のことも!美推のことも!古賀さんのことも!」
次の瞬間に星宮さんが何かを言いだしそうなのを、再び自分の大声でかき消す。
僕は、頰から手を外し、ギュッと強く握りしめている右手と、握りしめられている左手首を包むようにそっと持ち上げる。
「この、ブレスレットの話だってしたじゃないか…」
あぁ、ダメだ。今俺は星宮さんを追い詰めている。
いや、それ以上に、避けられていたという現実がはっきりと目の前に現れ、その事実に泣きそうなんだ…。
今の俺は、ワガママだ。だから、泣いてすがるようなことだけは…。
そう思うのに涙が徐々にこみ上げてくる。
ダメだ!泣いちゃダメなんだ!
「…ごめん」
ポツリと言ったその一言に、全てが砕かれた気がした。
「避けるな」と言ったのに対しての「ごめん」の指すところは、避けないことへの否定、即ち関わることの拒否、絶縁宣言だ。
その瞬間、溜め込んだものが決壊しドッと溢れ出る。
避ける以前に嫌われていた。また一つの事実が胸に突きつけられ、苦しくなる。
星宮さんの両手を掴んでいた手を離して、後ろを向く。
すでに溢れた滴は隠せなかっただろうが、泣くところを見られたくなかった。
「ありがとう…」
背中越しに聞いたその声で、今度は自分の中の全てが止まった。
なぜこの場面で「ありがとう」なのか…。
「なに、が…?」
星宮さんの方をゆっくりと振り向くと、優しい微笑みが待っていた。
「なん、で?僕、もう、星宮さんとは…」
「ごめんなさい!」
もう一度謝ると、深々と頭を下げた。
訳が分からず、混乱する。
どれくらいの時間頭を下げてくれただろうか、でも実際にはそこまで時間は経っていないだろう。
それぐらいの空間が、二人の間にはあった。
ようやく、顔を上げると、ゆっくりと話し始めた。
「私、黒瀬くんのこと避けてた。でもね、それは別に黒瀬くんが嫌いになった訳じゃなくて、私が黒瀬くんの優しさに甘えてるって思ったからなの。優しくしてくれるのはありがたいよ!ありがたいけどさ、その…黒瀬くんばっかりに負担というか、迷惑というか、かけてるみたいでさ…」
「そんなことない!」
「黒瀬くんはそうかもしれないけど、私はね、ちょっと息苦しくなるの。私のちゃんとしたい事とかがしなくて良くなってしまって、力の入れどころがわからなくなるの。私だってちゃんと責任を持ってるんだよ。自分の事は自分でできるんだよ」
なんとなくだが、理解できた。
美推の事なら、星宮さんは三年目だ、ちゃんと仕事も役割も全てわかっていて、ひょっとしたらプライドもあるのかもしれない。それなのに、一年生同等の僕に助けてもらったり、庇ってもらったりするのは、優しさとは捉えられない。それは辱めだ。
それ以外のことだってそうなのかもしれない。傘を貸した時はともかく、古賀さんとのことも、「自分は二人が良い人だから仲良くしてほしい」という自信に溢れていたのに、上手くいかず、僕を嫌悪した。そして、僕が直接古賀さんに話しに行ったことも、心のどこかでは気に食わなかったのかもしれない。
ブレスレットのことも、無くしたのはあの時が初めてじゃないかもしれない。だから、「見つかるだろう」という軽い気持ちで探しに戻ってきたのに、ずぶ濡れの僕を見て、自分がブレスレットを忘れた事を酷く責めたのかもしれない。
星宮さんのためにした事が、全て星宮さんを苦しめていたなんて、なんて皮肉だろう。
「そうだったんだね。僕らさ、何気に結構会話とかしているし、仲良くなれてきたのかなぁとか、思っていたけど、全然そんな事なかったね」
「うん、そうだね」
本当は否定して欲しかった。だが、自分の口から出た言葉は事実だ。だからこそ、否定される余地はない。
プラスに考えれば、今はお互いに腹を割って話している状況と言えるのかもしれない。
「だからさ、星宮さんさえ良ければ、その、僕と話したりしてくれないかな?」
何気なく聞いたつもりだったが、星宮さんにはそこそこのインパクトがあったのか、目を丸くしている。
もしかしたら図々しかったか!?
「いや、話してください!」
きっちりと頭を下げ、目まで瞑る。
「…やだ」
「えっ?」
「そういう言い方じゃ、やだ…」
そういう言い方、って…どこっ!?っていうか、言い方の問題!?
「えっと、言い方の問題…ですか?」
なぜか自然に敬語が出てしまった。
星宮さんは大きく一度頷いた。
ジト目に口のへの字を引っさげて、不機嫌を表す表情の中に、心成しか頰が赤らめて見える。
「あの…言い方が気に食わなくて嫌だとしたら、言い方を正せばこれからも話して良いんだよね?」
星宮さんは一瞬驚いたような表情をして、今度は小さく頷いた。
「でもさ、言い方で返答が変わるなら、本心ではもう既に話しても良いって事じゃ…?」
まともに自分で答えを言っている事に気付いて恥ずかしくなったのか、俯いて黙り込む。
言い方、別の言い方…。
「僕と…」
「やだ」
「ねぇ!まだ何も言ってないよ!?」
「いや、言ってるから!」
もう言ってる?どういう事?え、もしかして…。
「俺と…またお話してください!お願いします!」
「…はい」
言わせたのは星宮さんの方なのに、少しばかり照れているのはどういう訳なのだろう…。
いやいや!それよりも!
「なんで、“僕”じゃなくて“俺”なの?」
「違和感がすごいから」
「え?でも、“僕”の方が違和感が無いって言われたらから変えてみたんだけど…」
「そんなの気にしなくて良いの!私の中ではもう黒瀬くんは“俺”って言うのが耳に残ってるの!」
客観的には、本質的はどうでも良い話題なのだが、こうまくし立てられると、星宮さんにとっては重要な事なのだろう。
そんな事より気になるのは、なぜそんなにムキになっているのか…。
「っていうか、俺の言葉、ちゃんと聞いててくれたんだね」
「当たり前だよぉ…」
言った後に、風船がしぼんだかのようにシュンとした。
「っていうか、中学入ってから、男子で一番喋ってるのは黒瀬くんだし…」
「そうだったんだね…。でも、別に男子と話すのに抵抗があったわけじゃないでしょ?」
「それは、まぁ、そうなんだけどさ…」
星宮さんも、俺に近い感覚を覚えているのかもしれない。
女子が男子の事を考えてる、という事を男子目線では妄想する事がよくある。少なくとも俺は、自然と女子が自分の事をどう思ってるのか気になってしまう。
「自分から話しに行きづらい、っていうのが最もな理由かな?」
星宮さんがコクリと頷く。
「俺も、女子の中には入って行きづらいかな…」
「同じだね」
「正直言うと、女子と一対一でこんなに話しているのが不思議だよ」
「私も」
お互い合致のいく部分でクスクスと笑いあう。
そこには、本来あるべきであろう、いや、俺が一方的に望んでいるかもしれない姿が、そこにあった。
今日の帰り道は、ちょっと特別な時間に思えた。
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