3-Ⅳ 世界が変わる瞬間

 ヴィンツェンツの静かな言葉に頷いた瀬波は彼が紡ぐ次の言葉を待つように自身より歳上であるヴィンツェンツの姿を見つめる。瀬波の隣に立っていたこの世界のヴィンツェンツである青年は、敵意を全て消し去る事はせずに瀬波と同じように未来の自身を見つめていた。

「単刀直入に言おうか。シュンメ、んだ」

 淡々と、事実を告げるようにヴィンツェンツはその言葉を口にする。そんなヴィンツェンツの言葉に青年が吠えるように声を上げた。「やっぱりお前、反科学組織の――ッ」青年が続けようとした言葉を押しとどめたのは、正面に立つヴィンツェンツの鋭い視線に射抜かれた所為だ。彼の真剣な、それでいて鋭い他者を寄せ付けないような冷たいライトブルーの瞳は、かつての自身へと注がれていた。

「だから、ボクはあなたを死なせない為に今ここに居るんだ」

 鋭い視線は、年若い自分自身から瀬波へとスライドし、彼は柔らかな笑みを無理矢理に浮かべたような少しだけ泣きそうな笑みを瀬波へと見せる。

「ボクが居なくなっても、あなただけは生きていて欲しい。シュンメ――ボクの居ない世界で、幸せになって?」

 その言葉は甘やかな響きを持って瀬波とこの世界のヴィンツェンツに向けられる。そうしてようやく青年は未来の自分自身が告げる言葉の意味を理解するのだ。「……キミは、ボクを殺しに来たんだね」青年はヴィンツェンツへ答えを確かめるようにその言葉を紡ぐ。青年の言葉にヴィンツェンツは小さく首を横に振った。「そんな生易しい事じゃないかもしれない。でも、キミはボクだから分かるでしょう? この世界からボクが消されても、シュンメには生きていて欲しいって」ヴィンツェンツの言葉に青年は小さく頷く。「……本当に、キミはボクなんだね」呟くように零された青年の言葉にヴィンツェンツは笑う。

「世界を、運命を変える代償に、ボクが居なくなるってくらいで済むのなら――本望だよ」

 重ねられた青年の言葉に隣に立つ瀬波はギョッとしたように彼らを見つめる。「そんな事、許される筈がないだろう!」思わず口から飛び出した瀬波の叫びに、ヴィンツェンツは二人揃って首を横に振る。

「シュンメ、ボクらは世界を敵に回してたって、あなたに生きていて欲しいんだ」

「あなたはボクらを北極星ポラリスだと言ったけれど、ボクらにとってあなたが北極星ポラリスなんだ」

 青年であるヴィンツェンツと、瀬波よりも歳上となったヴィンツェンツは口々に瀬波への想いを口にする。

「「あなたは、生きて。ボクらのいない世界で幸せになって」」

 まるでステレオ音声のようにユニゾンする青年と壮年の言葉に瀬波は彼らを振り払うように地面を蹴り研究所がある門の向こうへと走りだそうとする。二人のヴィンツェンツはそんな彼の動きを止めようと彼の両腕を力一杯に掴むのだ。

「ヴィン、頼む。そんな事しないでくれ――俺はお前と居て、幸せだったんだ!」

 どちらのヴィンツェンツに告げたのかもわからない言葉に返したのは二十五年の歳月を瀬波が存在しない世界で生きたヴィンツェンツであった。

 柔らかく、ゆっくりと告げたその言葉に、瀬波はその身体を硬くする。「知ってる――だから、これはボクらのエゴだ」ゆっくりと紡がれたヴィンツェンツの言葉に呼応するかのように青年であるこの世界のヴィンツェンツは言葉を重ねる。

「あなたを喪ったボクを見ていてもわかる。ボクは、あなたの居ない世界で生きるなんて出来ないし――きっとよ」

 美しい相貌に笑みを湛えた二人の男は、まるで宗教画のようであった。二人の男に挟まれた瀬波は苦しげに言葉を零す。「お前は――お前たちはまだこれからだろう」瀬波の言葉に「「それはこっちのセリフ」」と二人は笑みを浮かべたままに優しく告げる。瀬波が向かう筈であった門の向こう側からは、轟くような爆発音が響きはじめていた。門の詰所で詰まらなそうに携帯を眺めていた守衛は慌てたように爆発が起こった場所へと駆けていく。瀬波は呆然とその光景を見つめ、二人のヴィンツェンツはその爆発音を耳にしてその相貌に浮かべていた笑みを深める。

「「ボクらのだ」」

 ユニゾンしたその言葉に、瀬波がダークブルーの瞳を大きく開く。そんな驚きに満ちた瀬波の表情を愛おしげに見つめた二人のヴィンツェンツは瀬波の両頬へとそれぞれに口付けを落とす。

「愛している。今までも――これからも」

「きっと、あなたが瞬きをする間にボクらは消えるけれど――あなたは幸せになって」

 青年のヴィンツェンツが愛を告げ、壮年となったヴィンツェンツは瀬波の幸せを祈る。そんな二人の姿をその瞳に焼き付けるようにダークブルーの瞳を見開いていた瀬波は、瞼の反射に負けるかのようにその瞳を瞬いてしまった。次の瞬間、その場に立っていたのは爆発の現場を目撃し、間一髪のところで助かった研究員である瀬波駿馬――一人の男の姿のみであった。

「――何で、涙なんか……」

 彼は自身の瞳から零れ落ちる涙の理由も分からずに、彼は炎と煙を上げる研究所を呆然と見詰めていた。

 

 その瞬間、のだ。

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