3− Ⅲ タイム・リミット・カウントダウン

 ヴィンツェンツがこの店に腰を下ろしてから二本目のタバコの煙を彼はゆっくりと肺へと溜め込み、静かに吐き出す。ガラス玉のように感情の抜け落ちていた美しいライトブルーの瞳には、光が宿っていた。四半世紀、彼は今日の為だけに生きていた――今日、シュンメは死ぬ。タイムリミットは刻一刻と迫っていた。ヴィンツェンツは静かに一人口を開き、誰に告げるでもない言葉を放つのだ。

「絶対に、死なせない。ボクが、シュンメだけは死なせない」

 それはこの世界への宣戦布告であり、自身への決意表明であった。その決意と共に、彼は灰皿へと短くなったタバコを押し付けその灯火を消し去る。そうして彼はカップに残ったブラックコーヒーを飲み込み、席を立ったのだ――もう、時間がない。小さく浮かべた彼の笑みは悲しげなものであったが、それでも未来を見据え何事も諦めないような意志のあるそれであった。

 

 カフェから歩いて数分、その場所はかつてヴィンツェンツ自身も足繁く通った研究所。その門の前で、彼はひとりの男を待っていた――そろそろ来る筈だ。ヴィンツェンツの脳内では、忘れる事など出来なかったひとりの男の死までのタイムスケジュールが繰り返されていた――この時間に、この場所に居れば、きっと彼は来る――ヴィンツェンツは脳内でそう結論付けて、昨夜身体を重ねた男を待つ。そんな時間すらヴィンツェンツにとっては愛おしいものであった。愛する男を喪ってからの四半世紀。忘れる事などなかった彼の最期の言葉が耳元で静かにリフレインしていた。

『愛してる、お前は俺にとっての北極星ポラリスだった』

 旅人が行先の標にしていたその星を、彼は愛する人へと送った。しかし、それは彼にとっても同じ事で。「今までも、これからも、シュンメはボクの北極星ポラリスだ」小さく零されたヴィンツェンツの言葉に呼応するように、彼の視界には二人分の人影が現れる――ヴィンツェンツの視界に現れたのは、喪ってからも変わらず愛し続けたひとりの男と、この世界で生きる彼自身の姿であった。

「……トキ?」

 男――瀬波駿馬はヴィンツェンツが名乗った彼の兄の愛称をその唇から零す。驚いたように低く零されたその男の声は、優しくヴィンツェンツの耳へと届いた。瀬波の呼び声に、ヴィンツェンツはその美しい双眸を緩やかに細め笑みを浮かべる。静かに笑みを湛える人形のように整った男の姿によく似た歳若い青年は驚いたように彼と同じライトブルーの瞳を見開いていた。

「シュンメ、誰?」

 少しだけ咎めるような色を含んだ青年の言葉に、瀬波は「さっき話した、昨日会った人だ。ヴィンの親類じゃないのか?」と首を傾げる。瀬波の言葉に青年はゆっくりと首を横に振り、敵意に満ちた視線をヴィンツェンツへと向けた。

「ボクに、こんな親戚はいない――誰です、あなた」

 敵意に満ちた過去の自分自身からの視線を受けるヴィンツェンツは柔らかな笑みを崩す事なく、彼らの元へと足を進める。瀬波と青年、そしてヴィンツェンツとの距離はゆっくりと縮められていく。そうして、ヴィンツェンツは青年に向けて笑みを浮かべ「確かにボクはキミの親戚じゃぁないね」と口にする。

「――一体何者だっていうの。シュンメに近付いた目的は何?」

 兄の名まで使って――そこまでを言ってしまいたいのであろう青年の表情にヴィンツェンツは確かにこの青年は自分自身だ。なんて感想を抱く。彼の表情を見るだけで、次に何を言うのかが手に取るように分かっていた。青年が唇を震わせた瞬間を見計らい、ヴィンツェンツも静かに唇を開く。

「「反科学組織が何の用?」」

 一分の狂いもなくユニゾンした言葉に、青年は驚いたように瞳を見開きヴィンツェンツは柔らかに笑みを深める。そして、青年の左手に光るプラチナを見つけ、ヴィンツェンツは安心したかのように息を吐き出すのだ――この世界のボクは、間に合ったのか。彼の手ずからそれを受け取ることが出来た事を心底安心しながら自身の薬指に光る古いそれを小さく撫でる。

「それで、一体何者だっていうの?」

 もう一度、はっきりとヴィンツェンツを見詰めて言葉を放つ青年に彼は柔らかく言葉を紡ぐ。「」短く告げたヴィンツェンツの言葉に、彼以外の二人は息を飲む。

「ボクはヴィンツェンツ・フェルマー。今から二十五年後のキミだよ、ヴィン」

 ゆっくりと、ものを教えるように青年へと口にしたヴィンツェンツは、隣で信じられないものを見るようにダークブルーの瞳を見開いていた瀬波へ視線を向ける。

「シュンメ、ボクはあなたに未来の話をしに来たんだ」

 ヴィンツェンツの言葉に、瀬波は戸惑いながらも頷いた。

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