2− Ⅳ 薬指のプラチナ

「ヴィン、朝メシどうする?」

 にこやかな笑みを浮かべて瀬波はヴィン――ヴィンツェンツ・フェルマーへ声を投げる。「だいじょーぶ、自分で出来るよ」鼻歌交じりで上機嫌を隠す事なくヴィンツェンツは肩から下げていたボストンバッグをソファへと投げてそのままキッチンへと足を進める。彼の立てる生活音を聴きながら瀬波はマグに残ったコーヒーを飲み干してヴィンツェンツの居るキッチンへと足を進めた。

「帰ってくるの、明日だったろ」

 瀬波がヴィンツェンツへ問えば、彼は少しだけ笑い「面倒くさくなっちゃった」と言葉を返す。「だってさぁ、早く局に戻ってこいだとか父親の跡継ぐとか、ボクはまだこっちでやりたい事もあるんだし」重ねられたヴィンの言葉に「俺も居るし?」と揶揄う口調で瀬波が横槍を入れればヴィンは少しだけ膨れっ面を見せてから肩を竦める。「まぁ、それもあるよね。ドッペルシュテルンの打ち上げ訓練始まるまではこっちに居ようと思ってるし」連星の名を冠したその宇宙船は月を目指して飛ぶ予定であった。その宇宙船のメインエンジンの開発を行なっているチームに瀬波とヴィンツェンツは所属している。そして瀬波は長年の夢をその手に掴み、ドッペルシュテルンに乗り込み月を目指すクルーの一員でもあった。

「ごめんな」

 トースターのベルが鳴り、焼けたトーストを皿に移しているヴィンツェンツを見つめながら、瀬波は小さく彼に謝罪の言葉を告げる。瀬波の言葉に振り向いたヴィンツェンツは首を傾げ「浮気でもした?」と揶揄うように笑う。

「そうじゃなくて、お前を置いて月に行く事」

 瀬波が謝罪の理由を口にすれば、ヴィンツェンツは声を上げて笑うのだ。そうして首を横に振り、彼は静かに口を開く。

「シュンメが月に行く事はボクに会う前から決まってた事。だから、ちゃんと帰ってきてそのあとまたボクの所に戻ってきてくれればそれでいい」

 真っ直ぐに瀬波へ告げたヴィンツェンツはそう言ってからライトブルーの瞳を柔らかに細めて口元で笑みを浮かべる。「ま、置いて行く事が決まってるのにボクを骨抜きにしたコトについての謝罪なら受けてあげてもいいけどね」そう言っていつもの自信に満ちた笑みを浮かべたヴィンツェンツに瀬波は笑い、「本当、お前は可愛くて仕方ないな」と彼の頬へ小さく口付けを落とした。

 

 瀬波とヴィンツェンツはそれぞれコーヒーとトースターを持ち、ダイニングテーブルへと移っていく。そうして思い出したように口を開くのは瀬波であった。

「そういえば、お前の親戚にウチに来る人って居るのか?」

 唐突な瀬波の問いにトーストを口にしながら首を傾げるヴィンツェンツに、彼は「年明けに新しいエンジニアが来るらしいんだけど、お前によく似てたからもしかしたらと思って」と言葉を重ねる。瀬波の言葉にトーストを飲み下したヴィンツェンツは小さく唸り、首を横に振る。「帰った時にそんな話は無かったし、そもそもボクは母親似であっちには航空工学専攻は居なかった筈なんだよなぁ」少し考えるように視線を彷徨わせながら言葉を口にしていくヴィンツェンツに瀬波が「名前はトキっていうらしいんだけど」と重ねれば、彼ははっきりと言葉を投げ返す。

「トキなら居るよ。でも、ボクに似てるんなら別人」

 笑みを浮かべながらはっきりと告げたヴィンツェンツの言葉に瀬波が首を傾げれば、彼は美しい顔によく似合う美しい笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「だって、トキはボクの兄貴だし、外見は母親似だけど母親が違うから」

 そう言ってジーンズのポケットから出した端末を操作して瀬波に画面を見せながらヴィンツェンツは笑う。「トキに会う為に帰省してたんだ」そう告げた言葉と共に瀬波に見えるよう差し出された端末の画面には、楽しそうに笑うヴィンツェンツと彼とは似ても似つかない黒髪に緑色の瞳を持つアジア系の青年が困ったように笑っていた。

「お兄さんはアジア系なんだ」

 瀬波がヴィンツェンツの見せる写真に感想を述べれば、楽しそうなヴィンツェンツの声が返ってくる。「トキの母親は日本人なんだって。父親が学生の頃に知り合って結婚したんだけど、亡くなったって聞いてる」彼の答えに瀬波は「そうだったのか」と小さく呟く。「まぁ、その後添いで見合い結婚したのがボクの母親なんだけど。会ってみたかったな」瀬波の言葉への返答か、独り言だったのか判別のできない程度の声でヴィンツェンツがそう口にする。そうして彼は気を取り直すようにわざとらしい明るい声で言葉を重ねるのだ。

「あ、でもトキは今度出張でこっちに顔出すって言ってたから会ってみる? 本業はプログラマーなのに、語学と数字に強いから通訳とか経理で引っ張りだこなんだ」

 至極楽しそうにそう告げるヴィンツェンツに瀬波は笑い「弟さんを下さいって言えば良いのか?」と揶揄う調子で言葉を告げる。そんな瀬波に「トキがひっくり返りそうだけど、いいんじゃない?」とヴィンツェンツは嬉しそうにライトブルーの瞳を溶かして甘やかな声で言葉を返すのだ。

「じゃぁ、これも渡しとかないと」

 瀬波はそれだけを告げて椅子から立ちあがり壁際の棚へと向かう。そこには、ヴィンツェンツが帰って来た後に渡そうと決めていた深いブルーの小箱があった。その小箱を軽く掴み、瀬波はヴィンツェンツの前で跪く。そうしてその箱を開ければ、台座の中央で光り輝くプラチナがヴィンツェンツの視線の先に現れるのだ。

「俺が安心したいだけだけど。よかったら貰ってくれないか?」


 そう言って瀬波が差し出すプラチナの指環へヴィンツェンツは白く細い指を伸ばす。「もちろん、薬指に付けていいやつだよね?」悔し紛れに呟いたヴィンツェンツの言葉に、瀬波は「勿論だろ」と笑みを深めた。

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