補足 (なろうにて、図解をつけました)
登場人物紹介とあわせまして。
この小説は1068年を意識しております。
が、1069年のできごとも取り込んでいます。
第一話
宰相中将
モデルは藤原宗俊(23歳)。参議になったのは1069年。
ちょび鬚権中納言
モデルは源隆綱(26歳)。兄の源隆俊(44歳)と人格・官位を統合しました。
もじゃ鬚右近衛少将
モデルは源俊明(25歳)。ちょび鬚・もじゃ鬚は創作です。
左衛門権佐(廷尉)
モデルは大江匡房(28歳)。1068年当時は蔵人。
弁官(蘭台)と左衛門権佐、三事を兼帯するようになったのは1069年。
年齢は数え年によります。
若手男性の改変は、官職がかぶらないようにという事情によるところ大です。
想像されている形象と違うところも多々あるかとは存じますが、お許しください。
第二話
女官制度について
平安時代の女官制度は、後宮十二司から内侍司への統合を経て、「所々」へと発展していくという流れだそうです。
1130年代には「所々」であったことは、各種史料また先生方の論文により明らかなようです。
しかし1068年にどうであったかは、明確ではないように感じられました。
この小説では、内侍司の一元管理としてしまいました。
采女・得選の件では御匣殿に触れるべきところかとは思いましたが、逃げました。
第三話
三位非参議
モデルは藤原隆佐。1068年時点で84歳。
上東門院
一条天皇中宮彰子。1068年時点で81歳。
第四話
即位礼について
登場人物に改変を施した結果として、また登場人物を目立たせるために。
史実とは異なる「おはなし」を作ったところがあります。
ご了承いただきたくお願い申し上げます。
前関白
藤原頼通。1068年時点で77歳。
関白左大臣
藤原教通。1068年時点で73歳。
この時期の最高権力者たちはかなり長命みたいです。
宇治大納言
ちょび髭・もじゃ鬚の父、源隆国。1068年時点で65歳。権大納言だが、通称の宇治大納言を採用しました。
第五話
主人公の屋敷、その敷地面積について
寝殿造ではなく、町屋でもなさそうだというイメージで書きました。
『儀式』縫殿寮第二十五条、「女官地」によりますと、六町の土地のうち四町を東豎子、女嬬、膂力婦に賜与したそうです。
後にこれが縮小移転され広さ四町の縫殿町になったのでは? と、先生方の論文によりますと。
その四町を百人で分ければ、ひとり百四十四歩。
五位格をもつ東豎子は、どうも女嬬と同格でありながら身分が高い(?)ようでしたので、ならば傾斜配分があったかも? と考えてその倍、三百歩としてみました。
季明と季成は官職としては別名義ですので、ふた口で六百歩と計算。
これがその半分の三百歩でも、町屋のイメージではなかったもので。
また、もうひとつの参考としまして。
律令によれば四位・五位の家屋敷は半町、千八百歩まで。六位の官人なら九百歩までという規定があったそうです(実際はあまり守られていなかったみたいです)。
女官の地位を考えれば、男の官人と比較しちゃいけないような気もしますけれど。
六百歩は、田んぼ二枚分。サッカーコート三分の一、フットサルコートぴったり三面ぶん、五十mプールみっつぶんぐらい。
高陽院は――批判も多い単位ですけれど――これぞちょうどまさに東京ドームひとつぶん、でした。
第七話
承香殿女御
藤原昭子。右大臣藤原頼宗三女。
女御宣下は1069年ですが、書き分けの都合です。
梅壷女御
源基子。参議源基平女。女御宣下は1071年ですが(略)。
御息所
滋野井御息所藤原茂子。中納言藤原公成女。養父は大納言藤原能信。
中宮
馨子内親王。後一条天皇女、母は藤原威子。
典侍
藤原行子。近江守藤原実経女。
第八話
史実から大きく逸脱しました。
卜二との契約は信託です。綜芸種智院、高陽院は信託契約により運営されていたと聞きましたので、「なら、平安時代に無かったとは言えないよね~」という悪ノリです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます