第2話

 それから俺は、何度か同じ駅で、アンケートをもらい、それに記入してきた。例えば、

タバコのポイ捨てを目撃した時は、

「そこのおっちゃんが、タバコを拾って、灰皿に捨てますように。」

とアンケートに記入した。すると、そのおっちゃんはタバコを拾い直し、灰皿がある所へ行き、それを捨てて帰っていった。

また、俺が電車に乗っている時、優先座席に座っている若い姉ちゃんが、お年寄りがいるにも関わらず、その席からどこうとせず、化粧ばかりしていた時は、

「そこの姉ちゃんが、電車の中での化粧を止めて、お年寄りに、席を譲るように。」

と、アンケートに記入した。すると、その姉ちゃんも、化粧を止め、立ち上がってお年寄りに席を譲ったのである。

 そんなこんなな一件が何度も続き、俺は、「このアンケートは本物だ。」

と思った。そして、こんな俺でも、世の中のために、微力だが役に立つことができ、本当に嬉しかった。

※ ※ ※ ※

 話は変わるが、俺には、好きな女がいる。その女と出会ったのは、高校時代であった。

俺は高校の時、色々あって周囲と馴染めない時期があり、若干不登校気味の時があった。その頃から俺は、髪の毛を茶色に染めるなど、少しではあるが非行に走るようになっていた。それで、そんなどうしようもない俺であったが、たまたま俺が登校し、クラスでポツンと浮き、1人で椅子に座っていた時、声をかけてくれたのが、その女であった。

 「はじめましてかな?よろしく!私、藤森理加子って言います。あなたの名前は?」

「真山、優季だけど…。」

「そっか、じゃあ、優季って呼ぶね。後、私のことも、理加子って呼んでいいから。ちなみに優季は、趣味とかあるの?」

「えっと…。」

それから俺と理加子は、共通の趣味、例えば音楽の話や、好きな小説の話などをした。理加子は、天真爛漫という言葉がよく似合う女で、背が低くてかわいらしく、誰とでも仲良くなれる、明るい器量を持ったヤツだった。

そんな理加子が、何で俺なんかに話しかけてきたのかは分からないが、多分、誰とでも仲良くしたかったからであろう。

 しかし、俺たちはあっという間に意気投合し、一気に仲良くなった。見た目は全然違う俺たちであったが、意外と好きなアーティストや、作家が同じなど、共通点、共有できるものがあり、理加子とそんな話をしていると、時間があっという間に過ぎるように感じられた。それから、俺が理加子に対して恋愛感情を持つようになったのは、しばらくしてからのことである。理加子に対する特別な感情を、俺は最初、強い友情であると思っていた。しかし、それは違った。ずっと理加子と一緒にいたい、理加子と離れたくない、もっと言えば、理加子を独り占めしたい、という気持ちを、俺は持つようになった。また、それは今まで俺が、経験したことのない感情であった。こういう気持ちを、「恋」と言うのか…。俺は、高校生になって、(遅ればせながら)初恋をしたのである。

 しかし、そんな俺の思いも、全く実らなかった。理加子と出会って、学校にも来るようになった俺は、休み時間などは、ずっと理加子と過ごすようになった。もちろん、昼食の弁当を食べる時も一緒で、2人きりで過ごすことも多かった。しかし、理加子の口からは、

「私たち、本当に仲がいいね。優季とは、高校卒業しても、ずっとずっと親友でいたいから、よろしくね!」

という言葉をよく聞いた。もちろん、俺の存在がそれだけ理加子の中で大きいということは分かっているつもりだ。ただ、理加子に対して恋愛感情を持っている俺には、「親友」という漢字2文字が、俺と理加子との間に、超えることのできない大きな溝を作っているように、感じられたのである。

 そんな理加子との関係は、大学生になった今でも、続いている。お互い、俺は福祉関係、理加子は看護関係の学校へ進学した。なぜ、俺が福祉関係の大学に進学したか、それは理加子の、

「私、将来は、人の役に立つ仕事がしたいんだ。例えば、…看護師とか。」

という一言がきっかけである。それまで俺は、はっきり言って自分のことしか興味がなかったが、理加子との出会いをきっかけに、

「世の中の人に貢献したい。」

という思いを、強く持つようになった。それで、自分にできることは何かと考え、福祉関係に、進もうと決めたのである。

 そして俺は、このアンケートを手にし、今こうやって、世の中のために役立とうとしているわけだ。いや、アンケートで人を操っていることは、世の中のためでも何でもなく、単なる自己満足かもしれない。でも、今の俺にはそれでもいい。何も世の中のためになることをせずに、日々を無為に過ごすより、たとえ偽善でも何かをする方が、よっぽどいい。俺はそう、開き直ったのである。

 しかし、俺の頭の中にはその時、悪魔の囁きに似た、ある考えが浮かんでしまった。それは…。

「身の回りの人を動かすことができるなら、もしかしたら、人の心も、動かすことができるのではないか?」

さらに、

「そうしたら、自分の『意中の人』を、振り向かせることも可能なのではないか?」

ということは、

「俺は理加子に、『ずっと親友でいようね』と言われているが、もしかしたら、理加子が俺のことを、恋愛対象として見てくれるように、なるかもしれない。そして、理加子と俺は、両想いになれるかもしれない。」

という考えであった。

 俺はその考えを、すぐに頭の中から消そうとした。

「何て、恐ろしい考えだ。これは、はっきり言ってマインドコントロールじゃないか!そんなこと、できるわけない。」

しかし、俺の頭の中の、もう1つの人格が、「このまま、親友で終わるより、いっそのこと、このアンケートを使って、両想いになった方がいいのではないか?」

と囁いている。

 人間とは、利己的なものなのかもしれない。俺は理加子に救われ、理加子の影響で、「世の中の役に立つ」ということを意識し始めた。そんな俺が、今は理加子を独り占めにしたいがために、とんでもなく自分勝手なことを、考えている。

いや、人間は決して利己的なだけではない。俺の中には、理加子を心から愛する、気持ちがある。そして俺の良心は、

「親友としてでもいい。理加子の力になれれば、そして、理加子が笑って暮らせれば、それでいい。」

と俺の頭の中で叫んでいる。

 人間というものは、相反する2つのものを同時に所有し、矛盾する感情も、内包するものなのだ。俺はこの時、自分自身で、そのことをまざまざと思い知らされた。俺の理加子を愛する気持ちは、この2つの、良心と邪心の間で揺れていた。そして、理加子から、

「優季に、相談があるの。」

とメールが来たのは、そんな時であった。

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