第18話 理恵の相談
その日はそのまま帰ったが、理恵はあざとい。しかも、理恵は達也の中学の後輩にあたるので比較的家も近いところにある。
理恵は、偶然を装って、達也の帰る電車に一緒に乗るようにした。電車が一緒にならないときは駅で待ち伏せをする。
帰りの電車では、理恵は始発から乗るが、達也は途中から乗って来る事になるので、すれ違う事もあるからだ。
「先輩!先輩も、この電車だったんですか?」
「理恵ちゃん」
達也は、その後の言葉が出て来ない。
達也の方が家と学校は近いので、帰る時間は当然違うが、達也は最近、学校で勉強してから帰るようになったので、電車に乗る時間が合うようになった。
それは偶然、達也を目にした理恵に、電車で待ち伏せする方法を思いつかせた。
「ああ、遅いね」
「先輩こそ、私の方が学校が遠いから、今まで一緒にならなかったですけど、先輩も遅くなったのですか?」
「うん、最近、学校で勉強してから帰るからね」
「凄いですね。もう就職なのに勉強ですか?」
「ああ、国家試験を受けなければならないから」
「そうなんだ、先輩も頑張ってますね」
「理恵ちゃんも、看護婦試験があるのだろう」
「私はまだ、1年あるから。それと、その情報って、美姫先輩からですか?」
「あ、ああ、そうだけど」
「先輩は何の試験を受けるんですか?」
「電気工事士って試験だけど。今度の秋に試験があるんだ」
「もう少しじゃないですか?大変ですね」
「そうだね、高校も3年になるといろいろあるからね」
達也は前に理恵と会った時と違って、今の理恵には好感を持った。こっちの方が本当の理恵の姿なのだろう。
電車は最寄りの駅に着いた。
「それじゃあ、お疲れさま。理恵ちゃんはここからバス?」
「いえ、母が迎えに来ています。バスは時間が悪くて」
確かに、こんな田舎のバスは時間が悪くて使い勝手が良くない。
理恵は駅前で待っていた軽自動車に乗ると、達也に手を振って帰って行った。
達也は駅前の駐輪場からXJ400を出すと、家に向かった。
翌朝、達也が駅で待って居ると後ろから声を掛けられた。
「先輩」
「あっ、理恵ちゃん」
「先輩も、この電車だったんですか?」
「ああ、勉強をしなくちゃいけないしね」
「でも、この時間は混みますから」
「まあ、それは仕方ないよ。中心地に向かうから…」
電車は通勤通学の人で、ほぼ満員だ。
「なら、先輩の近くに居ていいですか?たまに痴漢が出るんですよ」
「ええっ、そうなの?」
「そうですよ、男の人には分からないかも知れませんが」
そう言うと、理恵は達也の前に来た。理恵は背を扉のところのコーナーの位置に居るので、今は達也と向かう合う形になる。
理恵は達也の胸に抱かれる格好になり、そこから背の高い達也を見上げると達也はどきっとした。
理恵は10人が10人とも美人だという美貌があり、笑うと男心が掴まれる。
それが今、自分の中にいる感じになった。
「それじゃあ、俺はここで」
「はい、試験、頑張って下さい」
達也が先に電車を降りた。理恵は浜松まで出て、そこからバスだろう。
ところが、帰りの電車でも一緒になる。
今までは達也の方が学校に近かったので、理恵より1本遅い電車でも良かったし、帰りも理恵より1本早い電車だったが、こうなると達也が理恵に合わせているように思える。
そんな事が2,3日続いた帰りの電車だった。
「先輩、相談があるんですが?」
「えっ、何?」
理恵は声を小さくして話をして来るが、電車の音が大きくて良く聞こえない。
「電車の音が大きくて、良く聞こえないよ」
達也は首を傾げると、理恵は爪先立ちするような恰好になり、達也の耳に口を近づけて来た。
「実は手紙を貰ったんです」
まあ、理恵の美貌ならラブレターの一つも貰うだろう。
「へー。凄いな」
そんなラブレターなんて、達也には縁がない。美姫からも貰った事はない。
「どうしたらいいと思います」
手紙の内容も知らないし、相手の男も知らないので、どうしたらいいと聞かれても困る。
「それは何と言っていいか、分からない」
「男の人の立場からだと、どういう感じで手紙を出すんですか?」
「それは理恵ちゃんの事が好きだからだろう」
「そうなんですか?だけど、いきなり貰っても、私としても困るし」
そんな話をしていると駅に着いた。二人で電車を降りる。
達也が駐輪場の方へ行こうとすると理恵が引き留めた。
「先輩、相談に乗って下さい」
「お母さんが迎えに来ているんじゃない?」
「今日は帰りの時間が分からないから、まだ連絡はしていません。後で、駅前から電話します」
理恵はそう言うと、テレホンカードを出した。
「それじゃ、今から電話して来て。そしたら、お母さんが来るまでという事で相談に乗ろう」
達也がそう言うと、理恵は駅前の電話ボックスに向かった。
「ちょっと、忙しいので、あと30分ぐらい掛かるそうです」
達也と理恵は駅のベンチに腰を降ろした。
「それで、どういう事だっけ?」
「多分、ラブレターだと思うんです」
男子が手紙を送るなんて、ラブレター以外はないだろう。達也はそこのところに突っ込みたい気分だ。
「だけど、私はまだ学生じゃないですか。看護婦試験も受けなきゃいけないし。どうしたら、良いと思いますか?」
「理恵ちゃんは、その人をどう思っている?」
「うーん、良く分からない」
「良く分からないって、どういう意味?好きなら好きでいいじゃない。反対に嫌いなら嫌いで」
「いえ、良く知らない人なんです」
「顔ぐらいは知っているの?」
「それも知らなくて」
「へっ、なら何も知らない人からラブレターを貰ったと、相手はどうして理恵ちゃんの事を知ったんだろう」
「えっと、電車が一緒とか書いてありました」
「すると、俺たちが乗るあの電車に乗っているということか?」
「そう、みたいです」
それでどうして達也に対して、あの態度を取ったのか達也には不明だ。
「理恵ちゃんが、その人を知らないなら知ってみると言う手はあると思うが…。もしかしたら良い人かもしれないし」
「でも、私は好きな人が居ますから」
「それなら、断るべきじゃないか」
「やっぱり、そうですか?」
「普通は、そうだろう」
「もし、断ったら、先輩、責任取ってくれますか?」
「えっ、責任って?」
「冗談ですよ。フフフ」
理恵はいたずらっぽく笑う。
「やっぱり、お断りしよう」
「うん、その方がいいと思う」
「先輩、私が他の男の人と付き合ったら、どう思います?」
「えっ、それは…」
「気になります?」
「あ、いや」
「気にならないんですか?」
「いや、幸せになって欲しいと思うよ」
「ふーん、美姫先輩は、今、幸せだと思いますか?」
達也はいきなり、美姫の事を振られたので、答えに困った。
「あ、ああ、お母さんも退院してみたいだし、今は幸せなんじゃないかな?」
「先輩、どうして美姫先輩のお母さんが退院したのを知っているんですか?」
「あっ、い、いや、美姫ちゃんから聞いたから」
理恵の言葉に達也は戸惑った。
「いつ、聞いたんですか?」
さらなる質問に、達也は答えに窮する。
「い、いつだったかな」
「先輩って、もしかして美姫先輩と付き合っているんですか?」
「あっ、いや…」
達也は口籠る。付き合っていると正々堂々と言って良いものか、どうか迷った。
「付き合っていないんですね。だったら、その手紙の人の事は断ります」
「いや、それは俺と関係ないだろう。あくまで、理恵ちゃんの事だから最後には自分で決めないといけないじゃないか」
「そうだけど、気になる人がいるから、断ります」
「ま、まあ、それでいいと思うよ」
そこまで話して、理恵の母が迎えに来た。
「それじゃあ、先輩」
「ああ、お疲れさん」
理恵は車に乗り込むと、車は発進して行った。
夜、美姫と話をするが、理恵の事を話して良いものか、達也は悩む。美姫に話してしまうと、口が軽いと思われるかもしれない。
なにしろ、美姫と理恵は同じ学校で、しかも同じ部の先輩後輩の仲だ。
結局、その日は美姫に理恵の事は話さなかった。
美姫の母は退院をしたが、それでも、体調は優れないようで、店の方には出ていないということだ。
そのため、日曜日は相変わらず、美姫が店に出る。なので、達也と会う日は土曜日の午後ぐらかしか時間がない。
達也と美姫は電話だけが、二人を繋いている糸だった。
そして、理恵とは電車で毎日一緒になる。美姫と会うより、理恵と会っている方が断然時間が多い。
朝と夕方、達也と理恵が一緒に通学する姿は、同じ電車で通学する人には二人が付き合っているものと思わせるには十分だった。
そして、理恵の美貌からすれば、その噂は達也の学校にも美姫の学校にも広がる。
「達也、聞いたぞ、お前、付き合っている子がいるんだって」
朝、教室に入ると信二が聞いてきた。
達也は信二の問いに美姫の事がバレたと思った。
「信二、どこでそれを知ったんだ」
「それは否定しないと言う事だな」
まあ、お互いの両親には紹介した仲だし、今更否定しても仕方ない。
「まあ、そうだが、それは秘密にしてくれ」
「いいなあ、彼女かよ。かなりの美人だと聞いたぞ」
達也は美姫を思い浮かべる。たしかに美姫は美形だ。だが、それは信二も知っているだろうに、何を信二は言っているのか。
「まあ、お前も知っているだろうけど」
「いいよな、彼女かよ。まったく、高校生活満喫って感じだな。羨ましいよ」
信二が言うが、その事はクラスの中でも、既に何人かは知っている事実だ。
それは、美姫の学校でも同じだ。美姫の学校は女子高なだけに、誰には彼氏が居るということは、それこそ耳年増の噂話として広まる。
「理恵、彼氏が出来たんだって?」
ある日、学校に行くと友人からそう言われた。
「えー、そんな事ないよ。まだ、仲の良い友達ってとこ」
「えー、ね、どこまでした」
かなり、大胆な聞き方だが、この年頃の女の子はそんなものだろう。
「そんな、人に言えないって」
この言い方は誤解を与えるに十分だ。理恵も、それを分かっていて答えた。
そして、これは美姫の耳にも入る。
美姫はこの噂話を聞いて不安になった。
理恵と達也は同じ中学だ。当然帰り道は一緒になるだろう。理恵が、達也に親しく接したとしたら、二人の仲が噂にもなるかもしれない。
それに今は、達也とは土曜日にしか会えていない。
美姫の心の中に不安が広がった。
「もしもし、達也だけど」
夜、達也が電話してきた。
最初はたわいもない話をしていたが、美姫は理恵の噂話の事を達也に聞いてみる。
「あのね、理恵ちゃんのことだけど、理恵ちゃんに彼氏が出来たみたいなの、知ってる?」
「いや、知らないけど」
達也にこの前、手紙を貰ったって相談をしてきて、その時は断ると言っていたが、結局は断らなかったんだと達也は思った。
だけど、その事を美姫に言うには、相談者の秘密をバラすようで、男らしくないと思っている。
「そう、理恵ちゃんに会う事はあるの?」
「電車で時々会う」
「その時に、そんな話は?」
「そんなこと、彼女だってして来ないさ」
「そうか、それもそうね」
「だからと言って、俺の方から聞くのもちょっとな…」
「そうね、私だって聞けないもの」
美姫は達也の言葉から、理恵の彼氏は達也ではないと思った。
だが、美姫の心から完全に払拭された訳でもない。
お互いの両親には紹介したが、前にキスしてから、時間がなかったこともあり、キスをしていない。
それは、理恵を不安にさせるには十分なほど、スキンシップが無い。
そんな時、東海電気工事から達也に採用を知らせる通知が来た。その事を美姫に伝えると美姫は自分の事のように喜んだ。
その姿を見た達也も幸せな気分になる。
だが、達也には電気工事士試験に向けた国家試験がまだ残っている。筆記については勉強しているが、実技は叔父のところで日曜日に練習している。
叔父にも大分上達したと褒められた。
「どうだ、達也、東海電気工事より、うちに就職しないか?」
「えっ、叔父さんのとこ?」
「はははっ、冗談だよ、一流に入ったんだ、そっちを蹴るのは勿体ない」
達也は採用通知を受け取ると、もう一つやった事がある。それは自動車学校の予約をした。
年が明ければ、自動車学校への入学が解禁される。解禁と同時に、自動車学校に通うつもりだ。もちろん、その事は美姫には電話で話をしている時に報告した。
「自動車学校かあ」
「美姫ちゃんはどうするの、車の免許は取らないの?」
「まずは看護婦免許かなあ。ちゃんとした看護婦になれば、一人前と認められるから、それからかな」
美姫に聞くと、准看護婦になってから、正看護婦になるには、さらに2年掛かるらしい。車の免許を取るのは、それからだという事だろう。
「ねえ、たっくん?」
「うん、どうしたの?」
「前にキスしたの、いつだっけ?」
いきなり美姫から聞かれたが、男がそんな事、覚えている訳がない。
「えっ、い、いつだっけっか?」
「覚えてないの?」
「ご、こめん」
「もう、あたしの事、大事に思っている?」
「も、もちろん」
「どれ位?」
「えっ、どれ位って」
「ねえ、どれ位、大事に思っているの?」
「それは言えないくらいだよ」
「たっくんって、本当に私の事が好き?」
「も、もちろんだとも。決まっているじゃないか」
「どれ位好き?ねぇ、どれ位好き?」
美姫の質問に達也は、ちょっと腹が立って来た。
「たくさんだよ。たくさん」
少々投げやりに言ってしまった。
「何よそれ。なんだか面倒臭さそうみたい」
達也は、しまったと思ったが、もう遅い。
「そういう訳ではなくて…、今日の美姫ちゃんは何だか変だぞ」
「変じゃないもん、変じゃないもん」
受話器の向こうで、とうとう美姫は泣き出した。
「美姫ちゃん、どうしたんだ?」
「ううん、何でもない」
「待って、今から行く。絶対、待ってて」
達也は電話を切ると、着替えてXJ400に跨った。
夜は車の量が少ないので、美姫の家にはいつもより早く着いた。それでも、10時は回っている。
下にある店の方はまだやっているようだ。玄関にあるベルを押すと、目を赤くした美姫が出て来た。
美姫はドアの中に達也を入れてくれた。
「どうしたんだ、一体?」
「……」
美姫は、何も言わない。
「どうしたんだって」
達也は少々、言葉を強めた。すると、美姫は小さな声で話し始める。
「あのね、理恵ちゃんに彼氏が出来たって、噂になっているんだ」
「ああ、その事か」
「それが、たっくんだって」
「へっ、何、それ?」
「噂だけどね」
「どうして俺が、理恵ちゃんの彼氏なんだ」
「電車でいつも一緒に行き帰りしていて、凄く仲が良いって、そういう話を聞いたの」
「確かに、電車は一緒になるし、会うと話をするけど、顔を知っているのに話をしない方が可笑しいだろう」
「それはそうだけど…。でも、私たちって付き合っているんだよね。ね、そうだよね」
「当たり前だろう。俺の彼女は、美姫ちゃんだけだ」
「信じていいんだよね」
「当たり前だって。俺は絶対、美姫ちゃんを裏切らない」
そう言うと、達也は美姫を抱きしめた。そして、キスをした。
美姫は落ち着いたのか、ちょっと笑顔になった。
「うん、私もたっくんを信じる。それと、美姫ちゃんじゃなく、美姫って呼んで。その方がたっくんの彼女って感じがする」
「分かったよ。今度からそう呼ぶ」
「うん」
「美姫」
「え、何?」
達也はもう一度、美姫を抱きしめキスをした。
「ありがとう」
「じゃあ、俺はこれで帰るから。夜来てごめんな」
「ううん、いいの。来てくれて嬉しかった」
達也は、美姫の家の玄関を出ると、家の前に停めてあったXJ400に乗り、家に向かった。
家に帰ると母には叱られたが、達也は気分が良かった。
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