第17話 約束の試験

 月曜日になると達也は、学校へ1本早い電車で行った。それは図書館にある国家試験の参考書や問題集を調べるためだ。

 叔父が言うには、電気工事士の資格は過去問をやっておけば大丈夫ということだったので、取り敢えずは過去問集を見てみると、確かに、学校で習ったような問題が並んでいる。

 達也は最新の過去問集を放課後に借りて帰る事にした。

「達也、どこに行ってた?」

 信二が、達也に聞いて来た。

「図書館に」

「図書館?何かあるのか?」

「いや、電気工事士の試験を受けようと思って」

「電気工事士の?また、いきなりだな」

「ああ、就職先も部品メーカーではなくて、電気工事の会社にしようと思っている」

「へー、そうなんだ。どういう心境の変化だ?」

「いや、やっぱり、自分の専門を生かした方が良いかなと思って、実は叔父が電気工事の仕事をしているから、色々と教わる事も出来るし」

「そうか、それならそっちが良いかもしれないな」

 信二は納得したようだ。

「それでだ、兄貴の脚が治ったから、またツーリングに行こうかと言っているんだ。達也はどうする?秋だから、山の方がいいだろうって」

「うーん、資格を取らないといけないから、ちょっとパスだな」

「そうか、それは残念だな。兄貴には無理だと言っておくから」

「ああ、頼むよ。真一さんには、よろしく言ってくれ」

 始業のベルが鳴ったので、信二は自分の席に戻って行った。

 終業のベルが鳴ると今度は、上田が聞いて来た。

「朝の話を聞いていたけど、電気工事の会社に決めたのか?」

「ああ、信二にも言ったが、叔父がそっちの仕事だし、アルバイトもした事もあって、大体分かっているから」

「なら、また工場とかで会えるかもしれないな」

「お前は、そのままか」

 まだ教室の中は他の生徒も居るので、スズキの名前は出さない。

「ああ、そのままだ」

「そしたら、卒業しても会えるかもしれないな。その時はよろしくな」

 最後の生徒が教室を出て行き、達也と上田の二人になった。

 すると上田が声を潜めて言って来た。

「俺は、卒業したら、海外に行く」

 上田の言葉に達也は驚いた。高校卒業して海外だなんて。

「海外に、それはどうしてだ?」

「俺はレーサーになる。スズキの育成者として、海外のレースに参加する予定だ」

 上田の言葉に達也は言葉も出ない。

 達也の同級生でレーサーになるなんて、それは達也にとって雲の上の人を見るようなものだ。

 達也は、電気工事士といっても一般の会社員である事に変わりはない。

「凄いな、上田がレーサーか。将来、モトGPとかに出るんだな」

「いや、それは実力の世界だからな。出たいと言って出れるもんじゃないし」

「それでも凄いよ。俺には考えられない世界だし」

「これは川杉だけの秘密な」

「分かっている。それで、いつ海外に行くんだ。やっぱり、卒業してからだよな」

「向こうのシーズンが始まるのに合わせてだな。それまで、英語の勉強だ」

「英語かあ」

 達也は工業高校だけに英語と聞いただけで、拒否反応が出る。

「それも、俺には別世界だ。兎に角、有名になって、あれは俺の同級生だと言わせるようになってくれ」

「ははは、気が早いな。そう、ブレッシャーを掛けるなよ」

「いや、お前なら出来るような気がする」

「お前の期待に応えるように頑張るさ」

 達也は、上田の夢のような話を別世界だと思った。

 家に帰ると早紀が話しかけて来た。

「お兄ちゃん、美姫先輩の事、お母さんたちに話さなくていいの?」

「まだ、いいだろう」

「でも、こう言う事はさっさとやっちゃった方が、後から苦労しないと思うけど」

「うーん、そうかなあ」

 夕飯が済んだら、父と母が居る間に達也は切り出した。

「父さん、母さん、実は付き合っている子がいるんだ」

 父はお茶を飲んでいる手が止まった。母はそのまま、お茶を飲んでいる。

「母さん」

 父の息が止まったような気がした。

「私は、そうじゃないかと思っていましたよ」

「そ、それで、どこの子だ」

「前に行った台湾飯店の子」

 そう言うと父は思い出したようだった。

「あの時の子か?たしか、早紀の先輩とかじゃなかったか?」

「そう、その子」

 父は何も言わない。

「それで、あなた、どうするの?」

「ここに連れて来て紹介したい」

「向こうの親御さんには?」

「もう、紹介して貰った」

「そう、分かったわ、一度、連れて来なさい」

「母さん!」

 こういう時、父親はどうすればいいのか分からない。

「あなたは仕事にでも行って頂戴。父親が居てもどうにもにならないから」

「い、いや、もしかすると娘になるかもしれんからな…」

「まだ、高校生ですよ。なんて気の早い」

「いや、そう言ってもだな」

「今度の土曜日はどうかしら。夕方なら父さんも帰ってきているし。夕食をご一緒にするってことで…」

「予定を聞いてみるよ」

 達也はその後、美姫に電話をして、土曜日に連れて来る事に決まった。


 美姫の家に迎えに行って、着いたのは夕方だ。

「ただいま」

「こんにちわ」

「あっ、美姫先輩。ようこそいらっしゃいました」

 早紀が玄関で出迎えてくれる。

 その後ろに母が出て来た。

「どうぞ、上がって下さい」

「おじゃまします」

 美姫は玄関を上がったら、履いて来た靴を後ろ向きにして並べた。

 母は美姫を和室に案内すると、既に父がちゃぶ台の前に座っている。

 美姫はちゃぶ台の前で正座すると畳に手を付いて頭を下げた。

「王 美姫です」

「あんたは中国人か?」

 父は名乗らずに美姫に聞いた。

「父さん」

 母が父を窘める。

「いえ、祖父が台湾人で、戦前に日本に来ました。今は日本人です」

 美姫は父の無礼に顔を変えずに答えた。

「ごめんね、美姫さん、達也の父と母です。それでは、食べながら話しましょうか。早紀、手伝って」

「はーい」

「あの、私も何かお手伝いすることがありましたら…」

「いえ、お客さんにお手伝いさせるなんて。今日は座っていて下さい」

 テーブルの周りには、父と達也と美姫の3人になったが、父は美姫に話しかけようとしない。

 こうなると、美姫も居たたまれない。

「あ、あのー、お父さんは、中華料理はお好きですか?」

 居たたまれなくなった美姫が、さりげない事を聞いた。

「うん、好きだよ。美姫さんのところの料理は美味かったよ」

「ほんとですか、父も喜びます」

「実はな、あそこは知っていたんだ。会社が駅の近くなんで、たまに昼ご飯で行った事があってな」

「そうなんですか。言ってくだされば良かったのに」

「そうすると、餃子がサービスになったかもしれんな」

「あっ、ならないと思います」

 父のオヤジギャグに美姫が真剣に返した。

「はははっ、そうか、ならないのか。それは残念だ」

「で、でも、今度来られた時はサービスするように父に言っておきますから…」

「美姫さんや、冗談だよ。あんた、真面目だな」

 父のその言葉に、美姫は安どした顔になった。

「父さん、若い子をそんなにいじめるもんじゃありませんよ」

「そうか、別にいじめている訳じゃないぞ」

 父はどちらかと言うと寡黙な方なので、達也はこんな冗談を言う父を初めて見た。

「はい、お待ちどおさま」

 母と早紀が寿司と汁物をちゃぶ台に並べる。

「どうぞ、召し上がれ」

 美姫は達也の家族が先に箸をつけてから、寿司に手を出した。

 それから、母からはどうやって知り合ったのかとかいろいろ聞かれたが、美姫はそれに正直に答えた。

「ねえ、もうキスした?」

 早紀が興味津々という感じで聞いてきたが、それは達也にも美姫にも答えにくい質問だ。

「「……」」

「あっ、したんだ」

「し、してません」

 美姫が顔を真っ赤にしながら反論する。

「美姫姉さん、嘘つくのが下手」

「……」

 早紀が言ったら、美姫が黙った。

 沈黙は肯定である。

「早紀、あんたはおませだから、黙っていなさい」

 母に言われて、早紀は舌を出してから寿司を食べ始めた。

 最初はみんな固かったが、最後になると場が和んで来た。

 食事が終わると片付けになる。

「私も手伝います」

 美姫が言う。

「いいのよ。それより遅くなると美姫ちゃんのご両親に悪いから、達也、あなたはさっさと送って来なさい。早紀は手伝ってね」

「はーい」

「それじゃあ、俺は送ってくる」

 達也は美姫を連れて家を出た。しばらくするとバイクのエンジン音がして、それが遠ざかって行った。

「母さん、どうだね?」

「いい子じゃありませんか。今日ほど私は、達也の事を見直した事は無かったわ」

「そうでしょ、美姫先輩は綺麗だし、気が利くし、私もいいと思う」

「父さんはどう?」

「ああ、いい子だな。このまま嫁に貰うか」

「まだ、高校生ですよ」

「高校生だって、いいじゃないか。法律的には結婚できる年齢じゃないか」

「えー、お兄ちゃん、結婚するの」

「だから、二人でそんな盛り上げないの。少なくとも、高校は卒業して貰わないと…」

「高校卒業したら良いのか?」

「美姫ちゃんは、看護婦の試験を受けるんでしょう。まあ、それからね」

「よし、私も頑張ろうっと」

「あなたは何を頑張るの?もしかして、あなたも結婚するつもり?」

「そ、それは、だめだからな」

 父が早紀の結婚に反対した。


「今日はありがとう。最後にお母さんとお父さんに、お礼を言えなかった」

「そんな事気にすることないよ。それより、試験頑張らないと」

「そうだね、それが条件だもんね」

「それじゃあ、おやすみ」

「うん、ばいばい」

 両親に紹介したので、達也は美姫の家の裏口まで送ってきた。

 美姫はドアの前に立って、達也に手を振って家の中に消えた。


 達也は秋の電気工事士の試験に向けて学校が終わってから勉強するようになった。

 美姫は2月が准看護婦の試験だそうで、美姫も勉強しているが、その合間を縫って電話をしている。

「達也、あんた認められたからって、そんな毎日電話すると電話代が高くなって困るのよ」

 母に叱られてしまう。

 それは美姫も同じで、二人で電話は、2日1回にして時間も6分以内とするルールを決めた。

 二人で時計を持って電話しているが、それでも、美姫の話は長くなって、いつもルールを破っている。

 女の方が話好きだな。

 達也は美姫の話をそう思っても、もちろん声に出して言える訳ではない。

 達也が夜に勉強するようになったので、早紀もまじめに勉強するようになった。

 早紀は元々頭が良いらしく、学校からは合格確実と言われたらしい。

 母が進学相談でそう言われたらしく、嬉しそうに言っていた。

 達也は電気工事士の勉強をするようになってから、学校の勉強もし出した。すると、成績も良くなってきて、志望する会社にも推薦できると先生からは褒められた。

 そんなある日、達也の家の電話が鳴った。

「はい、川杉です」

 電話に出たのは、早紀だった。

「あの、私、本田といいますが…」

「えっ、理恵先輩」

「もしかして、早紀ちゃん?」

「そうです。お久しぶりです。それで何の御用でしょうか?」

「うん、あのね、言い難いんだけど、実はお兄さんに変わって欲しいんだけど…」

「でも、…」

 早紀もどうしたら良いか、分からない。

「お願い!」

「兄に聞いてきます。ちょっと待って下さい」

「お兄ちゃん、理恵先輩から電話だけど、どうする?」

「えっ、理恵ちゃんから?しょうがない、俺が出る」

 昔はこんな時、兄は優柔不断だったようなところがあったが、今の兄は、頼もしくなったような気がする。

「もしもし、達也です」

「あの、理恵です。この前の事は謝らなればならないと思って、実は前から電話しようと思っていたんですが、決心が付かなくて。本当にご免なさい」

 いきなり、誤って来た理恵に達也は戸惑った。

「いや、別に謝って貰う必要はないよ」

「本当は会って謝るべきですよね。美姫先輩にも」

「でも、美姫ちゃんとは学校で会うのだろう?」

「実は、茶道部もあれから行ってなくて。その意味もあってどうにかしたいなって…」

「その仲を俺に取り持って貰いたいと?」

「ええ、それもあります。美姫先輩にも謝らないといけないし」

「分かった、それなら、日曜日の午後に向こうに行けるように聞いてみよう。そっちの電話番号は早紀に聞けば分かるかな?」

「はい、分かると思います」

「では、確認してこちらから電話するから」

 達也は電話を切ると、美姫の所に電話を掛け、理恵からの申し出を伝えた。

「それなら、私も会いたいと思っていました。彼女、あれから部にも顔を出していなかったので、どうしたら良いかと思っていました」

「それなら、日曜日の3時に理恵ちゃんとそっちに行くことで良い?」

「ええ、お待ちしています」

 3時に美姫の実家の前で待ち合わせることにした。

「お兄ちゃん、私も行くからね」

「早紀が?お前は家に居ろよ」

「お姉ちゃんになる人のピンチになるかもしれないでしょう、ここで行かなきゃ女が廃る」

「お前、何訳分からん事を言ってる」

「まあ、いいじゃない。連れて行ってよね」

 結局、早紀の言葉に二人で、出かけることにした。

 3時ちょっと前に行くと、既に理恵は居た。

「それじゃあ、入ろうか」

 達也が促して、3人で中に入った。

 3時から美姫は休憩なので、時間が空く。

 テーブルに座って4人で話をする。

「美姫先輩、この前はご免なさい」

「えっ、もういいのよ。雨降って地固まるだったから、フフフ」

「???」

 その意味は、理恵には分からなかったようだ。

 達也は美姫を見つめている。美姫も達也を見つめている。

 理恵はその二人を見て、心中穏やかではない。

「それで、部の方にも来てね」

 美姫は理恵にそう言い、理恵も頷いた。

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