第16話 美姫の両親

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

 帰ると同時に早紀が聞いて来た。こういう時は何かしらおねだりがある。

「何だよ?」

「へへへ、実はまた美姫先輩のお店に行きたいなっと」

 達也は、美姫が今週の土曜日は母親の退院で忙しいような事を言っていたことを思い出した。だけど、達也も美姫の顔を見たい。

「いいけど、いつ、行くんだ?」

「日曜日にしようかと思って。だって、土曜日は塾だし、美姫先輩もいないでしょ」

 そう言えば、早紀は塾に通っていたことも思い出した。

「ああ、いいぞ」

「それでね、もうひとつお願いがあるんだけど…」

「何だ?」

「理恵先輩も行きたいって」

 達也は理恵という先輩の記憶がない。

「理恵先輩って誰だっけ?」

「この前、浜女の文化祭の時、一緒に美姫先輩の所に居たじゃない」

 そういえば、もう一人居たようだが、顔が思い出せない。

「そうだっけ?」

「もう、それで理恵先輩も一緒でいいの?」

「あ、ああ、いいよ」

 達也は日曜日に早紀の足に使われる事になった。


 日曜日に早紀を後ろに乗せて、XJ400で家を出る。

 浜松駅近くの駐輪場にバイクを停めて、そこからは二人で歩いて行く。

「それで、どこで待ち合わせなんだ?」

 早紀の先輩である理恵と待ち合わせているようだ。

「松菱の玄関のとこ」

 確かにそこからだと、美姫の店も遠くない。

「待った?」

 早紀と二人でいると理恵という子が来た。

 自分たちもだが、理恵も当然私服で来ている。

 私服だと、高校生2年生といっても大人びて見えるので、達也は最初誰だか分からなかった。

 しかし、良く見ると、この前文化祭の時に見たような顔だが、今日はこの前より数段綺麗な感じがする。


 早紀は理恵の姿を見てびっくりする。

 とても高校生とは思えない服装に、化粧もしている。

 これは、誰かを意識した姿であることに間違いはない。

 そして、それは自分の兄である、達也であることに間違いはないだろう。

 理恵は美人といっても良いだろう。中学の頃はバレー部にいて、煌びやかな姿がとても印象的だった。

 後輩の面倒見も良くて、男子からだけじゃなく、女子からも人気があった。

 だが、ひとつだけ問題もある。それは他の女子の彼氏を横取りするのだ。

 本人はそんな意識はないが、美人の理恵から言い寄られれば、男子は誰だって悪い気はしないだろう。

 それは本人が意識していないだけ質が悪く、早紀はそこだけは好きになれない。

 だから、理恵が女子高に行くと決まった時はホッとしたものだ。その悪い癖が治ってくれればと思っていた。

 だが、今日の理恵の姿を見て、早紀の心の中に不安が広がる。

 恐らく兄の達也と美姫は付き合っている。それは昨日も達也が電話をしているのを見たので、間違いはないだろう。

 電話の相手が誰かまでは分からなかったが、女の感とでも言うのだろうか、相手が美姫だということはピンと来た。

 理恵は、達也と美姫が付き合っているのをどこかで知ったのかもしれない。

 理恵から、美姫の店に行かないかと電話が来たので、何かあるかと思ったが、狙いが兄だと分かって、早紀の心が騒いでいる。

「それでは行きましょう」

 理恵はそう言うと、達也の隣に立って歩きだした。

 早紀は二人の後ろを歩く。

「達也さんは、美姫先輩のお店に行った事があるんですか?」

「ああ、家族で」

「いいなあ、どうでした?」

「う、うん、中々美味しかったよ」

 理恵は早紀の事が目に入らないのか、達也ばかりと話をしている。

 早紀はその動作で理恵が、達也の事を狙っている事を確信した。

 待ち合わせが12時だったので、台湾飯店に着いた時は昼食の人で混んでいた。

 そこに高校生と思われる3人が入って来たので、人々の目を引く。

「いらっしゃいませ」

 そんな達也達を美姫がすかさず見つけて、応対に来てくれた。

「ごめんね、今、お昼時だから混んでいて」

「ううん、いいんだ。予約もせずに来たこっちが悪いから」

 早紀は達也の口ぶりから兄と美姫が付き合っていることは、もう間違いない。そして、それは、理恵も確信しただろう。

 理恵の顔が強張っている気がした。

「この用紙に名前を書いておくから、それまで待ってね」

 美姫は名前を書く用紙に美姫自ら、「たっくん」と書いた。

 理恵がそれを見て達也に訪ねた。

「達也先輩の事を『たっくん』て、書いてますよ。先輩は美姫先輩とどういう関係なんですか?」

「えっ、いや、どういう関係もないよ。フルネームを書くより、そっちの方が書き易かったからじゃないかな」

「ほんとですか?もしかして、付き合っているとか?」

 早紀には理恵が付き合っていると分かって、わざと聞いているのが分かった。

「あっ、いや…」

 達也は口ごもった。

「へー、付き合ってないんだ、良かった」

 達也は、理恵のその言葉の意味をどう受け取っていいか分からない。

「お待ちどおさま」

 席が空いたようで、美姫が呼びに来た。

 4人掛けの席に案内され、早紀は達也と並んで座り、理恵は達也の前に座った。

 食事が運ばれて来ても、理恵は達也に話しかけている。

 達也も理恵の質問に答えていて、傍から見るとそれは親しい仲のようにも見える。

「早紀ちゃん、どう?美味しい?」

 いきなり、理恵から話しかけられた早紀は少々戸惑った。

「は、はい、美味しいです」

 それだけ言うのが、精一杯だ。

「それで、達也先輩にお願いがあるんです?」

「俺で出来る事なら」

「出来ます、出来ます。今度、私をバイクの後ろに乗せて下さい。私、大きなバイクの後ろに乗る事が夢だったんです」

「そら来た」と、早紀は思った。

 別に早紀は美姫の肩を持つつもりはないが、理恵のこの態度には正直、あまり快く思っていない。

「でも、お兄ちゃん、お母さんから人さまの子は乗せたらダメだって言われてるじゃん」

 早紀は抵抗を試みる。

「うん、そういう事だから、ごめん」

「あら、美姫先輩はいいんですか?」

「えっ、どういう事?」

 早紀は思わず聞いた。

「私、見たんです。水曜日にたまたま学校の帰りが遅くなった時に達也先輩が後ろに女の子を乗せていたのを。私にはそれが直ぐに美姫先輩だと分かりました」

 それを聞いて、達也は何も言えない。

「美姫先輩は良くて、私はダメなんですか?」

 そう言われると、早紀も反論出来ない。それは、達也も同じだ。

「お兄ちゃん、どういう事?」

 食器が空になったところに沈黙が訪れた。

「お済ですか?」

 美姫が食器を下げに来た。

「先輩、お話があるんですけど、後でまた来て良いですか?」

 理恵が美姫に訊ねる。

「ええ、2時くらいになると、お客さまも減るので大丈夫だけど…」

 美姫も何かあったと思ったのか、困った顔をしている。

「達也先輩も早紀ちゃんもいいかしら?」

「ああ、いいとも」

 達也と早紀はもう一度、ここに来る事になった。

 台湾飯店を出ると一緒に歩くと言う雰囲気ではない。全員が黙っている。

「えっと、2時にもう一度、ここに集合で良い?」

 理恵が言う。理恵もこの場に居たたまれないのだろう。

「では、2時にここで」

 達也と早紀は理恵と別れた。

 達也と早紀は、遠州鉄道の高架下にあるベンチの所に来た。

「ねえ、お兄ちゃん、どういう事?」

「実は、俺は美姫ちゃんと付き合っている」

 今までは推測に過ぎなかったが、はっきりと兄の口から、美姫と付き合っていると言われた早紀にとっては、そう驚く事ではなかった。

「そう、それで。理恵先輩って人はいい人なんだけど、昔も友だちの彼氏を取った事があって、そういう人なのよ」

「俺たちは、まだ付き合いだしたばかりだし、理恵ちゃんは可愛いと思うけど、今の俺は彼女の想いに答える事は出来ない」

「なら、はっきりと言った方がいいわ。有耶無耶にすると後を引くと思うから」

「ああ、そうだな」

 早紀は、達也より先を見る目があるのかもしれない。

 2時に再び、台湾飯店の前に来ると、既に理恵は来ていた。

「入りましょうか」

 理恵に促されて中に入ると、お客も1組を残すだけで、そのお客も既に食事は済んでいる。

 従業員も休憩に入っているようで、美姫の他に一人しかウェートレスもいない。

 その一人も最後の客が会計を済ませると、美姫に後を頼んで、後ろの扉に消えて行った。

 美姫はウーロン茶を4つ用意して、窓際のテーブルに来た。

「美姫先輩も座って下さい」

 理恵が美姫が座るように促した。

「実は確認したい事があって、美姫先輩と達也先輩に来て貰いました。お二人は付き合っているんですか?」

 理恵はストレートに聞いて来る。

 その問いに達也と美姫は黙ってしまった。

「……」

「どうなんですか?」

「理恵ちゃんの言う通り、俺たちは付き合っている」

 達也が答えた。男として、責任を感じて答えたのだろう。

 それを見た理恵は達也を男らしいと思った。有耶無耶にしないで、はっきりと断言したところが好感が持てる。

 付き合いを認めた達也の言葉を聞いた美姫も頷いている。

「やっぱり、そうだったんだ」

「でも、付き合っているのとバイクに乗せないのとは違いますよね」

 達也はちょっと黙った。

「理恵ちゃん、それは俺の気持ちの問題なんだ。もし。事故して美姫に何かあったら、俺は責任を取る覚悟でいる。

 だけど、君と乗って、そうなった場合、俺は責任を取る自信がない」

 達也は絞り出すように言う。

「それは美姫先輩が大事な人だからという事ですか?」

「そう受け取ってくれて良い」

 その言葉を聞いて美姫は、とても幸せな気持ちになる。

 早紀も自分の兄がそこまで言い切るとは思ってもいなかったので、びっくりしている。

 早紀は自分の兄の事を男らしいと思った。

「分かりました。私の方が達也先輩にとって大事な人になれば、後ろに乗せて貰えるんですね?」

 そう言うと、理恵は立ち上がった。

 あとに残されたのは3人だ。

「お兄ちゃん、かっこいい」

「早紀、ちゃかすな」

「だけど、お兄ちゃんと美姫先輩がねえ」

「お前は、少女漫画の読み過ぎだ」

「いいじゃん、結婚式の時は呼んでね」

「バカ、まだ高校生だぞ、俺たちは。それに結婚式は親族は出席するだろう」

「あっ、そうか。ハハハ」

 早紀が笑うと、達也と美姫も吊られて笑った。

「でも、理恵ちゃん、大丈夫かな?」

「まあ、気持ち良く振られた訳だし、いい教訓になったんじゃない」

「早紀、お前はなんというか、楽天家だな」

「たっくん、私もお話があるの?」

 美姫が言って来た。

「えっ、何?」

「実はお母さんが、一度連れて来なさいって…」

「えっ」

 意外な展開に達也は驚いた。まだ、高校生で連れて来いって、まるで結婚を前提としているような対応だ。

 しかし、ここは断る訳には行かない。断ると美姫に対して遊びだと思われる事が達也には怖かった。

「分かった。いつがいい?」

「ちょっと、待ってて貰っていい?母に聞いて来ます」

 美姫は達也と早紀の前から姿を消すと、厨房の後ろにある扉から入って行った。するとものの2,3分で出て来た。

「3時に交代になるので、それでどうかと?」

 達也は早紀の方を見た。

「私は、いいよ」

「では、3時で」

「これから、時間を潰すのも何だから、ここで待って貰っていいよ」

 美姫はお客さま対応の敬語から、いつものフランクな話し方に変わった。

 美姫がフロア担当している間、お客は来ずに、達也と早紀と話をしている。

 早紀は、美姫が達也だけと話をせずに、早紀とも話をしてくれた態度を見て、好感を持った。

 理恵にこういう態度が取れたら、早紀も達也と理恵との交際を認めていたかもしれない。

 3時になると交代のウェートレスが来たので、美姫に案内されて、店の2階にある自宅の方に上がって行く。

 達也の後ろには早紀も付いて来た。それは美姫が許可したからに他ならない。

 6畳ほどの和室に通された達也と早紀は、四角いちゃぶ台を挟んで、美姫の両親と向かい合った。

 達也は、まず頭を下げ、名前を名乗った。

「川杉達也といいます。こっちは妹の早紀です。一緒に来たので、店の方に居て貰う訳にもいかないので、連れて来ました」

「あなたたち、どういうつもりなの」

 美姫の母だろう、いきなり叱られてしまう。

「美姫さんとお付き合いさせて下さい」

 達也は美姫の母親の言葉に答えが見つからないので、いきなり、付き合ってくれと言った。

 その言葉に両親は驚いている。それもそうだ、いきなり、娘と付き合いたいと言われたのだから。

 母親は達也の、その言葉を聞いて黙った。父親は何も言わない。

「美姫はどうなの?」

「私も達也さんと、お付き合いしたい」

 美姫もはっきりとした口調で言った。

「条件がある」

 今まで黙って来た父親が言う。

「二人はまだ、高校生だ。だから、付き合ったとしても、その…、世間に顔向けができないような事はだめだ」

 それは性的関係の事を言っているのだという事は、達也にも美姫にも分かった。

「僕たちは目標があります。僕は電気工事士の資格を取る事、美姫さんは看護婦の資格を取る事、それが出来ない間は一人前とは言えないと分かっています」

「そこまで、言うなら、認めよう。だが、今言った約束が守れないようなら二人の仲は認められん」

「あなた…」

「いいじゃないか、約束が守れないようなら、そこまでだったという事だ」

 美姫の両親には二人の仲を認めて貰った。しかし、反対に達也は電気工事士の資格を是か非でも取らなくてはならなくなった。

 もう、叔父に頼み込んで修業させて貰うしかない。

「はい、一生懸命頑張ります」

「わ、私も頑張る」

 美姫も達也に続いて言う。

「早紀ちゃんといったかしら、お兄さんってどんな人?」

「正直、兄は目標があれば頑張る人です。オートバイの免許も頑張って取りました。それと、母が送り迎え出来ないときは、兄が私の送り迎えをしてくれます」

 早紀は暗に、優しい兄だと言った。

「そうね、優しいお兄さんなのね」

 母親が自分を納得させるように言う。

 それから、達也の家の事を2,3聞かれただけだった。

 2階から降りて、店の裏口から出る時に美姫が見送ってくれた。

「今日はごめんね」

「ううん、いいんだ。いつかは会わないといけないと思っていた。それがたまたま今日だったということだけだ」

「お兄ちゃん、格好良かったよ」

「早紀、余り言うなよ、恥ずかしいじゃないか」

「ううん、そんな事ない。でも今度は美姫先輩をうちに連れて来ないと…」

 早紀の言葉に達也と美姫は顔を見合わせた。

 達也と早紀は、駐輪場に停めてあるXJ400の所に戻り、家に向かう。


 達也は自分の部屋で、電気工事士の勉強をしていたが、下の階から母の呼ぶ声がする。

「達也、王さんて言う人から電話」

 美姫が電話を掛けて来たようだ。

 達也は階段を急いで降りて行き、受話器を取った。

「もしもし、達也だけど」

「美姫です。今日はご免ね」

「あっ、いや、いいんだ。それで、何の用」

「用がないと掛けちゃいけないの?」

「いや、そんな事はないけど」

「フフフ、一応、両親の許しを貰ったから、堂々と掛けて良いかなと思って…」

「そうか、そう言えばそうだね」

 そんな話をしていたら、うしろに早紀が来た。

「美姫先輩、うちの兄貴をよろしく」

「こらっ、早紀、何で来た」

「だって、母さんが呼んだから」

「お前を呼んだ訳じゃないだろう」

「いいじゃない、ねえ、先輩」

「ホホホ、いいわよ」

「お兄ちゃんも美姫先輩も頑張らないとね」

「お前だって、浜女に入らないといけないだろう」

「ゲッ」

「ホホホ」

 受話器の向こうから美姫の笑い声がした。

「もう、お邪魔虫は消えるとするか」

「そうしろ、そうしろ」

 美姫が自分の部屋に戻って行ったら、達也と美姫は何でもない事を話をする。

 美姫との電話を切ると同時に電話のベルが鳴った。

「ジリリリリン」

「はい、川杉です」

 置いた受話器を達也は再び持ち上げる。

「あのう、本田と言いますが達也さんはいらっしゃいますか?」

 理恵からだった。

「はい、達也ですけど」

「あっ、達也先輩ですか、理恵です。今日はすみませんでした」

 電話口からは、理恵が謝る声がする。

「いや、もういいよ。気にしていないから」

「でも、私もちょっと感情的になって、後から考えたら、とっても恥ずかしくって、どうしても先輩に謝らないとと思って…」

「いや、大丈夫だから」

「ほんとに、ご免なさい」

「ああ」

 理恵はただ、単に謝って来ただけだった。

 そして3分も経たずに理恵との電話は終わった。

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