第5話 裕子の秘密
「啓太郎さん、車も持っているんですか?」
達也は啓太郎に聞いた。
「ああ、中古のパルサーだけど」
達也はパルサーと言われて分からなかった。
バイクはメーカーも型も分かるが、車は正直、大きい車、小さい車しか分からない。パルサーという車が何というメーカーでさえ、分からなかった。
「車には乗らないんですか?」
「通勤は車だからな。正直、バイクに乗るより、車に乗っている方が多いな」
「バイクは土日くらいなんですか?」
「そうだな、こんな暑い日や反対に寒い日、雨が降ったりするとやっぱり車かな。バイクは趣味として割り切って乗っているかな」
交通の足がバイクしかない達也には考えられなかったが、車の方が使い勝手が良いという事だろう。
達也の学校は、12月までは車の免許を取得する事は禁止だ。
なので、1月になると3年生の生徒ほぼ全員が、自動車教習所に通う。達也も就職までには車の免許を取るつもりでいる。
だけど、車の免許を取ると、バイクには乗らなくなるだろうか?自分は車を持っても、出来ればバイクに乗り続けたいと思った。
食事が済んだら、今度は浜松に向けて帰路につく。
信二と裕子が先頭を走り、150号線を再び浜松方面に行くが、夏休みも終わりだからだろうか、今日は道が混んでいる。
掛塚橋に近づくと、停止の時間が多くなった。
真一が先頭に出て、左手を振っている。横道に入れと言っているようだ。
真一に続いて、信二と裕子が横道に入った。それに続いて他のバイクもそれに従った。
「このままだと、掛塚橋を抜けるのに時間がかかる。ここから、国一に出ようと思うが、どうだろうか?」
真一が提案して来た。正直、それは全員が考えていた事なのだろう。特に反対意見も出なかった。
「では、ここから、俺が先頭を走る。俺の後に付いて来て貰う事で良いか?」
ここから、国一に出る道を知っている者が先頭を走った方が良い。真一が先頭を走ることになった。
途中から天竜川の堤防道路に出ると川を抜けてくる風が心地良い。信号もないので、走り易いのも良い。
しばらく、天竜川の堤防道路を走ると、国一に出た。そこから、天竜川に掛かる橋を越えて、浜松市に入る。
天竜川を越えるとさすがに大きなビルが建っている。
たしか、この辺りは大企業の工場とかがあるところだ。工場の近くには大きなマンションもあった。
「あれ、この辺りは来た事がある」
達也は、その記憶を思い起こすと、確か裕子のマンションがこの辺りだった。
裕子はこのまま帰った方が良いのではないか?
達也は思ったが、裕子は帰ろうとしない。最後まで、全員に付き合うようだ。
そうして、集合場所だった、公園の駐車場に着いた。
「お疲れさん。それではここで解散とする。全員、気を付けて帰るように」
真一が言った。
その言葉が終わると、全員が三々五々帰宅につく。
「裕子、送って行こうか?」
真一が裕子に声をかけた。
「ううん、大丈夫だから」
「ならいいが、裕子は三方ヶ原だろう。まだ、距離があるから特に気を付けろよ」
真一が裕子に言うが、達也はそれを聞いて疑問に思った。
エアコンを取り付けに行った裕子の家は、浜松市内だった。三方ヶ原は街中より若干ずれている。そこは住宅地ではあるけど、街中ではない。
「真一さんは裕子さんが、市内の中心部に住んでいる事を知らないんだ。裕子さんも女性の一人暮らしだから、秘密にしているのかもしれない」
裕子は三方ヶ原の方に向かって出発しようとした。
「裕子さん、僕も同じ方向だから、途中まで一緒に行きましょう」
普段の達也なら、女性にそんな事は言えないが、何故か、この時は裕子に言えた。
「ええ、そうね。お願いするかな」
裕子も戸惑ったようだが、了承してくれた。
達也と裕子は前後になって三方ヶ原方面に向かう。
しばらく進むと、裕子が喫茶店の駐車場に入った。
裕子に続いて達也も入る。
裕子はバイクから降りると、達也に向かってきた。
ヘルメットを脱いだ裕子に達也に話しかけて来た。
「ちょっと、休憩しない。もちろん、私が奢るから」
「私が奢る」の一言に達也は、「ラッキー」と思う。裕子に続いて喫茶店に入ると、外とは異なる冷たい空気が身体を包む。
「達也くんは何にする」
「あっと、レモンスカッシュで」
「じゃあ、私はアイスコーヒーで」
裕子のアイスコーヒーはレモンスカッシュを頼んだ達也とは明らかに、大人の印象を受けた。
達也は裕子に、子供だなと思われたかもしれない。そんな事を考える。
「実は達也くんに頼みがあるのよ。私が一人暮らししている事、あそこのマンションに住んでいる事はみんなには内緒にしていて欲しいの」
女性の一人暮らしだから、気を使っているのだろう。
「ええ、分かってます。お客様の信用は第一ですから」
「ホホホ、生意気な事を言うのね。でも、本当にお願いね」
「でも、裕子さんって気を遣う人ですね。この前擦れ違った事も秘密にして欲しいとか。別にお父さんの車に乗っていたぐらいなら誰に聞かれてもいいじゃないですか?」
「う、うん、あのね、あの人、お父さんじゃないの」
「えっ、そうなんですか?」
「ここだけの秘密だけど、あの人は彼氏なの」
裕子から聞いた事に達也はびっくりした。
裕子ほどの美人なら彼氏は居るだろうが、それはてっきり、真一とか啓太郎とかだと思っていた。
それが、裕子の父親ぐらいの人が、彼氏だったのかと思った。
「僕はてっきり、真一さんと付き合っていると思っていました」
「真くんと啓太郎くんは中校の同級生なの。彼らは、仕事に必要だからと先に運転免許を取ったのだけど、私は就職してから自動車学校に通ったのね。
そこで、バイクの免許を取りに来ていた、真くんたちと出会って、私もバイクに乗りたいなと思って、車とバイクの免許を取ったの」
「それで、真一さんに誘われたんだ」
「まあ、話も合うし、私もバイクに乗りたかったし。中校の話なんかも、学生の頃はそんな話もしたことなかったけど、大人になると違ってくるのかな。なんで、中学の時に話さなかったんだろうと思えるぐらい、馬が合うのよね」
達也はそんなもんかなと思った。そういえば、達也も上田とはほとんど会話をしたことが無かったが、上田を知ると意外と話をしていても違和感はない。
「真くんはリーダーシップがあってみんなの事を考えてくれるし、啓太郎くんは真くんのサポートがうまいというか、真くんの隙間を埋めるというか、小さな気配りが出来るのよね」
「裕子さん、どちらが好みなんですか?」
達也は自分でもドキッとする事を聞いた。聞いてしまってから「しまった」と思ったが、口を出た言葉は元に戻せない。
「真くんは素敵な人だけど、私は啓太郎くんの方がいいかな。ガンガン引っ張ってくれる人もいいけど、やっぱり、私の事を見てくれるという人の方が私はいいな」
「裕子さんの彼氏も、そういう人なんですか?」
「ううん、二人とはぜんぜん違うタイプね。なんていうかな、一緒に居て落ち着くって言うのかな。そんな感じ」
そんな感じと言われても、達也には分からない。
「でも、真一さんや啓太郎さんは裕子さんの事が好きだと思いますよ」
「そうね、真くんには『付き合ってくれ』と言われているわ」
「でも、彼氏が居るなら、正直に言って断ればいいじゃないですか?」
「う、うん、それはそうなんだけど…」
裕子は歯切れの悪い返事をした。
「でも、このままじゃ真一さんも期待しますよ。それに、啓太郎さんの方が好みなんでしょう」
「うーん、この際、達也くんには言うけど、私の彼氏は結婚しているの」
「へっ、裕子さんとですか?」
裕子は困った顔をした。
「ううん、私じゃない人と。私は2号さんって事ね」
達也は裕子の「2号さん」という言葉が理解出来なかった。
「え、えっ、それは、どういう事ですか?」
喉の奥から、絞り出すように言った言葉がこれだった。
「私はあの人の愛人をしていることによって、マンションの費用と毎月お手当を貰っているの。正直、OLのお給料では、マンションに住む事も車を買う事も、バイクだって買えないもの。
そういったお金は、彼が出してくれている」
裕子の告白に、達也は何も答えられなかった。
「そ、それは良くない事じゃ…」
良くないと思っても、その後に続く言葉が見つからない。
「そうね、良くない事ね、でも、彼は大人だし、正直、真くんや啓太郎くんと比べると、真くんや啓太郎くんとは付き合えない」
それは、真一や啓太郎が子供に見えるという事なのだろう。
もちろん、達也だって、子供に見られているかもしれない。
達也は何も言えなかった。
「だから、このことは秘密ね」
「どうして、僕にそんな事を言ったのですか?」
「うーん、どうしてかな?達也くんは口が堅そうと思ったことと、こんな私の事を軽蔑して欲しかったのかもしれない。
私も、このままじゃいけないと心の隅では思っているの。だけど、この生活を捨てて生きて行けるかと問われると、そこには疑問があるの。
そういう中で、こういう事を誰かに聞いて貰う事によって、自分自身を蔑みたいのかもしれない」
裕子の言っている事は、達也には理解できない。
高校生にそんな事を理解しろと言う方が無理があるだろう。
達也は、裕子から目を逸らした。
いつの間にか、レモンスカッシュも空になっている。
裕子の方も既に、アイスコーヒーは飲み終わったようだ。
「じゃ、行こうか」
裕子が伝票を取って席を立った。達也も裕子に続いて席を立つ。
レジで裕子が支払いを済ませると、二人揃って喫茶店の駐車場に来た。すると空が暗くなっていて、今にも雨が降り出しそうだ。
「夕立が来るかもしれないわね」
裕子がヘルメットを被りながら言う。
「そうですね。早めに帰った方が良いかもしれないです」
「達也くんは、ここからあるのでしょう。気を付けて帰ってね」
「はい、裕子さんも気を付けて下さい」
喫茶店の駐車場から二人は、別々の方向に向かって走り出した。
XJ400を走らせながら、達也はさっきの裕子の言葉を思い出していた。
あの裕子さんが誰かの愛人だったなんて。
達也も裕子に憧れがあったのかと聞かれると、大人の雰囲気のある綺麗な女性に心時めかなかったと言うのは嘘になるだろう。
だが、誰かの愛人と聞いた今では、前のような気持ちで見れないことも確かだ。
そんな自分を達也は迷った。そして、このことは、真一や啓太郎は知らない事だ。
裕子は何故、自分だけに話したのだろう。
蔑んで貰いたいと言った事は本当なのだろうか?
そんな事を思っていたが、ヘルメットのバイザーに雨粒が降りかかって来た。
「うわっ、降って来た」
達也の服は紺の作業ツナギなので、雨に降られると、水を吸って重くなる。そして、肌に纏わりつくので、着ていて気持ちが良いものではない。
達也は、びしょびしょになって自宅に着いた。
夜、布団に入っても裕子の言葉がリフレインしてくる。その言葉を思い出すとなかなか寝付けなかった。
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