第7話 引き抜き
幽霊との生活にも慣れて来た。朝になると麗は太陽の光で身体が透けてくるし、そのままだと人にも見つかるので、身体自体を消している。これだと透明人間みたいだ。
それでも麗とは脳内会話で話が出来る。俺も脳内会話に慣れて来て、歩きながらでも麗と話が出来るようになった。
そして、俺はいつものようにうどん屋にバイトに行くと、店の前に行列が出来ている。
何かあったのだろうか?従業員用の通用扉から店の控室に入って、ユニフォームに着替え、厨房に入った。
「藤原君、直ぐにうどんを出してくれ」
森下主任が俺の姿を見て、言って来た。
「ち、ちょっと待って下さい。どうしたと言うんです?」
「店の前の行列を見ただろう。あれは全員君のうどんを食べに来ているんだ」
「はっ?ここはファストフード店ですよ。誰が、うどんを作っても同じじゃないですか?」
「いや、そのはずなんだが、君が作ったうどんだけが美味いという評判で、実際、このように客が押し寄せている。兎に角、早くやってくれないか」
主任に急かされ、俺はうどんを作り始めた。
「おお、やっぱり、この味だ」
「そうだ、この味を求めて来たんだ」
「早くしてくれ。こっちは、そのうどんを食べたくて昨日から何も食べてないんだ」
俺が厨房に立つと行列の客が騒ぎだした。
俺はうどんを次から次へと作って行くが、それでも行列の方が伸びて行く。
昼飯時になるとその行列が1時間待ちとなり、とうとうテレビ局までもが取材に来ている。
「藤原君、申し訳ないが、今日は昼抜きでがんばってくれないか。そうじゃないと捌き切れない」
「でも昼抜きなんて、俺はどうすればいいんですか?腹が減って死にそうです」
森下主任では埒が明かないので、佐藤店長に訴えてみる。
「誰かサンドイッチを買って来てくれ」
佐藤店長がお金を渡すと、新人のバイトがコンビニに走っていった。
俺はコンビニのサンドイッチを頬張りながら、うどんを作るが、作っても作っても追い付かない。
この行列の事はテレビでも放送された。そのテレビ放送の影響もあって、お昼が過ぎる頃には行列は、既に3時間待ちまで膨れ上がっている。
「店長、どこかで切ってくれないと俺の体力にも限界がありますし、うどんだって在庫がありませんよ」
俺は店長に訴える。
すると店長が指示をして、今日の受付は終了する事になった。
うどんの在庫の方は、近くのチェーン店から回して貰う。
これでどうにか、行列に並んだ客全員に、うどんを提供する事が出来た。
それでも、翌日分の行列が出来始めている。
「店長、既に明日の分のお客さまが並び始めましたよ。どうするんですか?」
「あっ、いや、ちょっと、本社に相談する」
店長が電話を掛けようとしたところへ、高級車が止まった。中から出てきたのは、このチェーン店の平田社長と鈴木部長だ。
平田社長と鈴木部長に佐藤店長が事情を説明していたが、そのうち、平田社長がこっちに来た。
「藤原君、君を急遽、本社の課長として採用したい」
平田社長が、いきなりそう言って来た。だが、これは課長になると残業代とか払わずに済むからだろう。それで、休みも無く働かされるのが目に見えている。
「お断りします。私はまだ学生です。それが課長なんてありえないでしょう」
「いや、学生のままでもいい。受けてくれないだろうか?」
「いえ、私はバイトで十分です」
「い、いや、それでは困るんだよ、君」
俺と社長の話に聞いていた鈴木部長が入ってきた。
「何が、困るんですか?」
「一つ目は、ライバル会社に行かれては困る。二つ目は、これだけの業績を上げた人に対してその功績を称えないといけない」
「本当は課長にすれば、残業代を払わなくてもいいとか、こき使うとか出来るからじゃないですか?」
「……」
二人の間に一瞬の沈黙が訪れる。
「そ、そんな事は無い。何を馬鹿な事を言っているんだ」
『怜さん、この二人の考えている事は怜さんの言う通りですよ。もちろん、ライバル会社に引き抜かれては困る、というのもあるみたいですが』
『麗は、どうしてそれが分かった?』
『二人の頭の中を探りました』
俺は麗と脳内会話で話をする。
「いえ、お断りします。強制するようなら、今日限り辞めます」
「あっ、いや、それは困る」
平田社長が慌てて、引き止めてきた。
「もし、辞めると言うなら、バイト代は払わんぞ」
「それは、労基法違反でしょう。そんな事をすれば、コンプライアンス違反で会社が困りますよ」
「何、君は誰に向かって言っているんだ!」
「もちろん、社長と部長、それに店長です」
「バイト風情で、何を言っているんだ。貴様なんぞいなくても、うちの会社が潰れる訳ないだろう。
いいだろう、辞めたまえ、その代わり給料も払わん」
鈴木部長が大見栄を切った。
「分かりました。それでは失礼します」
俺は、ユニフォームを脱ぎ、私服に着替えると、その店を後にした。
『怜さん、良かったんですか?』
『ああ、社長と部長があんなだったとは、あまり会社も長くないだろう。給料は惜しいが、あそこの会社でバイトするよりはいいだろう』
ところが、店から出て来た俺の手を引いた人が居た。
「もし、藤原さんですよね」
「はい、どちらさまですか?」
「私はこういう者です」
その男は名刺を出して、俺に渡した。そこには、平安うどんチェーンであるライバル会社の名前があった。
名刺には、「鎌倉うどんフーズ営業部長 服部 正幸」とある。
「は、はあ?」
「良ければ、私どもの所で働いてみませんか?」
「はっ、はあ?どういう事でしょうか?」
「大体の事情は推察しています。あなたは今、平安うどんのバイト先を辞めましたね。そこで私がスカウトしたという訳です」
「えっ、どうして、俺が辞めた事を…」
「知っているのか?と、いう事ですね。それは簡単です。平田社長と鈴木部長が来て、あなたが飛び出して来た、何か揉めたという事は一目瞭然です。それにまだバイトが終わる時間でもない」
「確かに、仰る通りです。ですが、私はあなたの会社にも入るつもりはありません」
「ははは、社長に課長として社員にならないか?とか言われたんじゃありませんか?私共はそんな事はしません。バイト待遇でかまいませんよ。お客さまが来ても特別メニューとかにして、君の待遇は守るつもりですから」
『怜さん、この人の言う事に嘘はないです』
麗がこの服部と言う人の頭の中を探ったようだ。
「分かりました。それであればお世話になります」
「それで、今までの分のバイト代はどうなりましたか?」
「鈴木部長から、払わないと言われました」
「なら、支度金と言う事で、私共が払いましょう。それで、道を隔てたあそこの店で働いて貰う事でいいですか?」
俺も平田社長と鈴木部長に仕返ししたい。それが、目の前の店だったら、こっちも望むところだ。
「では明日からという事でお願いしますが、その前に店の従業員に紹介したいと思いますので、一緒に来て貰えませんか」
俺は服部部長に連れられて、向かいの鎌倉うどん店に入った。
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