第6話 向こうの世界
片づけが終わると、俺はバイトに行かなければならない。
「片づけが終わるとバイトに行くから、麗さんはここに居てくれ。下手に外に出ると、皆が驚く事になるかもしれないから」
「外では姿を消しますから大丈夫です。なんたって、私は怜さんに憑いて行く事に決めましたから」
いや、付いて行くと憑いて行くには大きな違いがあるだろう。別に俺に憑いて来て欲しい訳ではない。
「だけどさ、麗さんって、昭和3年生まれにしては、現代の事に詳しいね」
「それは、ずっーと霊として生きてきましたから、これまでの事は、ほぼ知っています。インターネットだって分かりますよ」
「霊として生きるって、正しい言い方なの?」
「そうですね、霊自体が死んでいますから…。でも、霊として死んでいるって言い方も変ですよね」
「まあ、確かにそうだが…」
俺は、着替えてバイト先に向かった。
『どこへ行くんですか?』
脳内に麗の言葉が響く。
「うどん屋でバイトしているんだ。そこに行く」
俺は、麗の質問に答えるが、なんだか独り言を言っているようで、人が居る中では会話は出来ないと思った。
「えっと、声に出さなくても頭の中で思うだけで、会話できますから」
「そうなの?では、やってみる。麗さん、聞こえる?」
『はい、聞こえますよ』
「なるほど。もう少し早く教えてくれれば良かったのに」
「二人の時は、口に出した方がいいかなと思って」
「でも、人と話しながら、麗さんと話しをするのは無理だな」
「訓練すれば、ある程度は出来ると思いますけど、なかなか難しいかもしれません」
そんな話しをしていたが、バイト先であるうどん屋に着いた。
店の裏のロッカーで着替えて、厨房に入り、客の注文した品を作って提供するのが俺の仕事だ。
「おっ、なんか、今日のうどんはうまいな」
「ほんとだ、いつもと違う味がする。なんか高級な味というのか、そんな感じだな」
うどんのファストフード店であるこの店舗では、マニュアルがしっかりしているので、誰が作っても、ほぼ同じ味になる。というより、ダシは工場から送られてくるので、味が変わる訳がないのに、今日は客の評判が良い。
「藤原君、お昼にしてくれ」
主任の森下が言って来たので、俺は店の裏で賄いの食事を摂る。この場合も麗が最初に食べるので、俺はその間、食事に手をつけないで待って居る。
「藤原君、どうした?食べないのか」
「いえ、ちょっと熱いのが苦手なんで、冷ましてから食べます」
麗の事を言っても信じて貰えないので、そういう言い訳をする。
「そうか、コシがあるうちに食べた方がいいぞ」
うどん屋なので当然賄いもうどんであり、先輩の店員から言われるが、これはしょうがない。
麗が食べ終わるのを待って、俺はうどんに手をつける。
その時には、既にうどんも冷めているし、コシも無いが、これは仕方ないだろう。
だが、一つ違っていたのは、うどんがいつもより美味しかった事だ。客が言っていた事は強ち間違いではなかった。
「なんでだろう?いつもと違う」
『やっぱり、分かりました?』
『へっ、何か違うって、麗さん、何かしたのか?』
『ええ、食事が美味しくなるようにしました』
『何だって、そんな事ができるのか?』
『人の舌の味覚なんて、幽霊からすれば、変えるのは簡単です。怜さんが作った食事だけは美味しくするようにしましたから。
これも私が憑いていればこそですよ』
「……」
麗と脳内会話をしていると、店員の控室の扉が開いて、森下主任が入って来た。
「藤原君、申し訳ないが、至急うどんを作ってくれないか。他の人が作り出した途端、味が落ちたとかいうクレームが入ったんだ」
「えっ、どういう事ですか?今は、休憩時間ですよ」
「詳しく説明している場合ではない。直ぐに頼む。その分バイト代は弾むから」
森下主任の言葉に押されて俺は厨房に行くが、そこには、うどんの御代わりを求める客が行列を作っている。
「直ぐに提供いたしますので、しばらくお待ち下さい」
主任が並ぶ客を宥めている。
俺は厨房に入り、うどんを提供する。
「おっ、この味だ」
「そうだよ、この味だよ」
「うめーな」
「お母さん、美味しいね」
客の評判も上々だ。
「藤原君、どうしたら、そうなるんだ」
主任が聞いてくるが、それが麗のおかげだとは言えない。
「いえ、俺にも分からないです。マニュアルに忠実に作っているだけですし…」
「と、兎に角、申し訳ないが、このまま頼む」
森下主任が、顔を青くして言って来た。
俺はバイトの時間ギリギリまで、うどんを作り続けた。
「すいません、時間なのでこれで上がりますが…」
外には噂を聞きつけて、ファストフード店とは思えない程、客の行列が続いている。
「いや、今、帰られると困る。申し訳ないが、このまま頼む」
「いや、それは労働基準法違反になりますよ」
「うむ、確かにそうだ。しかし、どうしよう」
「お客さまには、張り紙をするなどして周知してみてはどうでしょうか?」
「うむ、仕方ない。そうするか」
店の前に担当の店員が不在となる旨が掲示されると、並んでいた客が帰り始めた。中には文句を言って来る客も居たが、ブラックになる事を言うと渋々帰っていった。
「今日は大変でしたね」
家に帰ると麗が労ってくれる。
「これも麗さんのおかげだな」
「あっ、麗さんじゃなくて、麗でいいです。もう、他人じゃありませんから」
「ちょっと待て、人が聞いたら、誤解を受けるような事は止めてくれ。第一、どうしたら幽霊と他人じゃなくなれるんだ」
「私の会話は他人には聞こえないから大丈夫ですよ。それに、昨日、一緒の布団で寝たじゃないですか」
「いやいやいや、一緒の布団でも、別に触ってないし、それに布団じゃなかっただろう、ベッドとタオルケットだ」
「まあ、細かい事は置いといて、触れ無くても心は一つでしたから」
「大体、心は一つって、身体は一つじゃない」
「ご希望なら身体も一つになりますか?」
「ん?身体も一つになる?どうやって?」
「怜さんが、こちらの世界に来ればいい事です」
「それは、死ぬという事か?」
「まあ、そういう事ですね」
「嫌だ、俺はまだこの世界でやる事がある。第一、結婚すらしてないんだ」
「こっちの世界も、それほど悲観するような世界ではないですよ。生きている人から怖がられるくらいですね」
「それだけで十分だろう」
「分かりました。もし、こちらの世界に来たいなら、いつでも言って下さいね。なるべく、苦しくない方がいいですよね」
「いや、だから、俺を殺す事を前提として話をするな」
「もう、冗談ですよ。ちょっと、揶揄っただけです」
俺は麗の目を見た。
すると、麗は目を逸らした。
「おい、嘘を言うな」
「え、えっと……」
「なんなら、ここから出て行ってくれ」
「えっと、それは私も困りますので、食事が出来なくなるし…」
「なら、ご主人さまである俺を労われ」
「分かりました、ご主人さま」
麗はそう言うと、メイド姿になった。
「おおっ、コスプレも出来るのか?」
「はい、何にでも変身できます。何か、希望はありますか?」
「えっと、水着とか」
「えー、出来ない事はないですけど、えっちですねー」
「そっか、だめか」
「もう、怜さんのご希望ですから、私やります。えいっ」
麗はそう言うと、水着姿になったが、それはビキニじゃない。大正時代の横縞の水着だ。スクール水着だって今の時代、こんなのはない。
「あ、あのう、それが水着?」
「えっと、何か期待しました?もう、えっちですね。えいっ」
麗がそう言うと、ビキニ姿になった。
「おおっ!」
「これで、どうです?」
麗のビキニ姿は、それこそグラビアアイドルのようにナイスプロポーションだ。胸も大きく、ウェストは縊れている。
俺は思わず注視してしまった。
「はい、終わりです」
麗はそう言うと、元の白いワンピース姿になった。
「え、えー」
俺が、がっかりした声を出すと、麗が笑った。
「私が、色々と身体を変えられる事は知ってますよね」
そうだ、さっきのナイスプロポーションも、もしかしたら幻かもしれない。
「さっきのは、実物じゃないという事?」
「ホホホ、それはご想像にお任せします」
「もしかしたら、この姿だって、本人じゃないかもしれないという事?」
「うーんと、流石にそこまでやると、私も自分の姿が分からなくなりますので、それは本人のままです」
「だとすると、胸の大きさが大分違うと思うが…」
「一度、死んでみます?」
「あっ、いや、失言でした。ごめんなさい」
「分かればよろしい。あまり、胸の事には触れないように」
「ははっー」
「では、食事の用意をしなさい」
「ははっー、って調子に乗るな」
「てへ」
俺は夕食の支度をして、麗の前に出した。
すると麗は食事を食べるが、実際の食事は減っていかない。麗の食事が終わると今度はその食事を俺が食べる。
麗が食べた後は、若干味が落ちているので、その分は麗が食べたということだろう。
麗が来て2日目、今日も電気を消すと、麗の姿が暗闇に浮かび上がる。俺がベッドに入ると、麗もベッドに来た。そして、俺の横に身体を横たえるが、その身体には触る事は出来ない。
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