第4話 怜と麗

 アパートに戻ると腹が減って来た。

 先ほどの事が幻だったのか、それとも本物の幽霊だったのかは分からないが、買い置きしていたインスタントラーメンを作って食べる事にする。

 ラーメンを食べながら、テレビを点けると既に午前零時を回っている。

 食事が終わると夜も遅いので、シャワーだけ浴びてベッドに入った。

 電気を消して目を閉じるが、サナトリウムで見た光景が思い出され、なかなか寝付けない。それに、誰かに見られているような気がする。

 俺は、そっと目を開けた。そこには暗闇があるだけだ。

 いや、その暗闇の中に俺を見つめる女性の顔がある。

 白いワンピースを着た綺麗な女の人だ。

 これは、サナトリウムで見た、女の幽霊であることは直ぐに分かった。

「ギャー!」

 俺は声を出すと共に目を閉じた。

 もしかしたら、幻かもしれない。そう思っているから見えるんだ。

 俺は頬っぺたを強く摘まんでから、再び目を開けた。

 しかし、そこには先ほどの女性が、微笑んでいるだけだ。

「ギャー!」

 再び叫ぶが、今度は声も出ない。

「そんなに、怖がらないで下さい」

 聞こえた。確かに幽霊が、そう言うのが聞こえた。

 だが、俺は口をパクパクするだけで、声が出ない。既に口の中は、カラカラだ。

「あ、あのう、お願いがあります。先ほどのラーメンを頂けないでしょうか?」

 幽霊が、お強請りしてきた。

 俺は、頭を上下に揺らす事で、了承した事を伝える。

「ああ、良かった。もう何十年って、食べてないからお腹が空いて、空いて、どうもありがとうございます」

 俺は、どうにかベッドから出ると部屋の灯りを点ける。すると。幽霊の姿は見えなくなった。

 しかし、そこにいるのは感覚で分かる。

「あのう、電気を点けると私は見えなくなってしまいます」

 頭の中に言葉が木霊する。

 俺は首を上下に振ると、ラーメンを作るためにキッチンへ行く。

 ラーメンが出来上がると、部屋にあるちゃぶ台に丼を持って来て、箸を置いた。

 だが、ラーメンが減って行く様子はない。

 俺は、不思議に思い、部屋の電気を消してみると、そこにはラーメンを啜る幽霊の姿がある。

「あ、あのう…」

 俺が幽霊に対して言った最初の言葉がこれだった。

「あ、はい、とても美味しいです」

 そうは言うが、ラーメンは減っていない。

 俺は幽霊が食べ終わるのを待って、再び聞いてみた。

「あ、あのう、ラーメンは減っていませんが…」

「あっ、私はお供え物の味だけ食べていますので、ラーメンそのものは食べれないんです。試しに食べて頂ければ、若干味が違うのが分かると思います」

 幽霊にそう言われた俺は、箸でラーメンを啜ってみた。確かに、味が若干落ちている感じがする。

「どうでしたか?」

「確かに、味が若干落ちているような」

「ええ、その分が私が頂いた分です」

「あの、それで、あなたは幽霊なんでしょうか?」

 暗くなった部屋で白いワンピースの女の子を見つめて、そう聞く。

「そうみたいです」

「そうみたいって?」

「気が遠くなって、再び気が付いたら、ベッドに寝ている私を囲んで家族が泣いていたので、私は死んだのかなって」

「えっ、ええ?そ、それで、どうしてここに居るんですか?」

「あなた方が来てくれて、びいちゃんを拾ってくれたじゃないかですか、あっ、びいちゃんってくまのぬいぐるみの事です。

 それで、優しそうな人だから憑いて行ってみようと思って」

「あー、いやいや、訳分からないです。憑いて行くって、どういう事です?」

「だって、幽霊ですもん、憑いて行ってもいいじゃないですか?特に悪い事をする訳でもないし…」

「いや、それでも十分悪い事だと思います」

「だって、お腹が空いていたし、やっぱり、気味悪がられると私も良心が痛みますし」

「幽霊に良心なんてあるのか?」

「あっ、酷い。そう言うなら、こっちにも考えがあります」

 そう言うと幽霊は頭から血を出し、顔が腫れたような姿になった。これは、掛け軸にある幽霊の姿だ。

「ギャー」

 暗闇に浮かぶその姿は、恐怖を煽るには十分だ。

 俺は、頭を抱えて、畳にうつ伏せになる。

「どうですか、私を怒らせると怖いですよ」

 恐る恐る顔を上げると、そこには先ほどの端正な顔があった。

「言葉には気をつけて下さいね」

 俺は首を縦に振るだけだ。

「さっきは、ラーメンを食べたのに」

 俺が呟くように言うと、今度は幽霊が項垂れた。

「そうでした。一宿一飯の恩義があった恩人に、私は何という事をしてしまったのでしょう。私に何か出来る事があれば言って下さい」

「いや、そう言われても…」

「肉体がないので、身体では返せませんが」

「い、いや、そんな事は要求しないから」

「ホホホ、冗談ですよ」

 この幽霊、俺を揶揄ってやがる。

「ところで、幽霊さん、何と呼べばいいんでしょうか?」

「私は『白鳥 麗』といいます。享年17歳でーす」

「えっ、17歳。そんな人が身体で返すなんて言いますか?」

「これは失礼しました。まあ、私から数えれば、貴方はひ孫のようなものですから」

「えっ、ちょっと待って下さい。ひ孫のような者って、さっき17歳って言ったじゃないですか?だとすると、俺より年下じゃないか」

「だって死んだ時が17歳だから、それより歳を取らないんだもん」

 幽霊のその言葉に俺は納得してしまう。

「死んだのはいつですか?」

「昭和20年7月7日です。私は七夕の日に、天の川に行けずに死んでしまったのです。なんて可哀そう。シクシク」

「三途の川にも行けてないじゃん」

「なんですって!」

「あっ、いや、何でもありません」

「いいですか、私を怒らせると呪いますよ」

「いや、それは勘弁」

「分かればよろしい」

「それで、白鳥 麗さんですね。俺は『藤原 怜』といいます」

「まあ、『麗』と『怜』で一緒ですね。これは何かの巡り合わせかもしれないですね」

 幽霊と巡り合わせなんて、どう受け取ったら良いんだ。

「ただの偶然ですね」

「どうしてあなたは、そんなに冷静なんですか。幽霊と巡り合わせた人なんて、そうそう居るもんじゃないですよ。ちょっとは感動とかしないのですか」

 幽霊と巡り合わせるだけで大凶だと思うが、声に出して言うと呪われそうなので、何も言わない。

「ちょっと、うんとかすんとか言いなさい」

「うん」

「ガクッ。もう、私を揶揄っているんですか?」

 このままだと、呪われそうだ。何か言わないといけない。

「いえ、幽霊なのに、あまりの美しさに声が出なかったのです」

「えっ、本当ですか?あなたって、人をいや幽霊を見る目がありますね。他の人なんて、私を見て怖いとか言って逃げるんですよ」

 そりゃ、幽霊を見ると怖いし、逃げるだろう。ある意味当たり前だ。

 そんな話をしていると午前3時になった。俺は部屋の中で、暗闇のまま幽霊と1時間も語り合った事になる。こんな人間、他に居ただろうか?

「そろそろ午前3時になるし、寝たいのだが…」

「ああ、そうでした。人の身体は24時間働けないですからね。私は大人しくしていますから、お休みして下さい」

 俺はベッドに入るが、ベッドの傍らには幽霊が立っている。

「ちょっと、そこに居られると寝られないんだが…」

「えっと、どこに居ればいいですか?」

「そこで俺を見ていなければどこでも良い」

「それじゃあ」

 幽霊はそう言うと、空中を飛んで、俺のタオルケットの中に入って来た。顔を横に向けると、麗の白い顔がある。

「おやすみなさい」

 幽霊はそう言うが、触る事は出来ない。

「あの、白鳥さん…」

「麗でいいです」

 思わず、霊かと思ったが、彼女の名前が麗だった事を思い出した。

「あの、麗さん、そこに居られると寝付けないんですが…」

「もう、我が儘ですね、でしたら、私が寝かせてあげます」

 麗はそう言うと、俺の額に人差し指を付けた。すると俺の意識は遠くなった。

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