このエピソードを読む
2019年7月24日 14:00
「かっこいいタイトルだなあ」と思って読み始めて、ここまでで感じたことをまとめて書きます。 まず第一話(プロローグっぽい部分)を読んで、自分も書き手であるがゆえに感じたのが「プロローグって難しい」でした。インパクトある出来事から始める、というのは一つの手法だと思いますし、成功しているのだろうとも思ったのですが、この作品のように『成功している』場合でさえも、悪く言えば「インパクトありそうなこと・かっこいいことを並べただけ」という感じがあるのですよね。『テンプレ』というほどではありませんが、既視感というのに近いのかもしれません。 同時に、ポジティブな見方として「こういうの、好きな人は好きなんだろうなあ」とも感じました。(タイトルに『パーソナリティ』という言葉があるだけでに、余計に)厳しい人には「作品としての個性がない」と言われてしまうのでしょうが、私は「別にネット小説なんだから、これでもいいんじゃないかな?」とも思います。 例えば水戸黄門や暴れん坊将軍などの時代劇が毎回同じような内容なのに受け入れられているように、小説においても『テンプレ』ゆえの安心感というものはあると思うのですよね。 この作品の場合は「中二病的な心をくすぐるような、バトルものの安心感」でしょうか。書かれているレビューを見ても「ハマる人はハマる」という感じですから、こういう作品を好む層は一定数存在しているのだろうと思います。しかも、作者もそれを書きたいのであれば、どんどん書けばいいのです。しょせん趣味でやっているネット小説、私も万人ウケしないと自覚しつつ書いているものはたくさんあります(没個性と思いながら書いているものも、逆に「これは絶対に他人には書けない」と誇りながら書いているものも)。 仮に『しょせん趣味』ではなく商業デビューを目指すのだとしても、それこそ『こういう作品を好む層は一定数存在している』というのは重要でしょうし、作風に手を加えるよりは「自分の作品みたいなものが求められている新人賞」を探した方がいい、と思いました(今の読者を手放さないためにも)。 基本的に、上記は第一話で強く感じたことですが、その後も薄っすらと、同じ感覚で読み続けました。 また、第二話の冒頭。 最初の数行で句点『。』のない箇所が二つも出てきてギョッとしました。同時に「独特のスタイルだな。でも『ネット小説』と考えれば、これもアリ? その意味では、ここも『こういうの、好きな人は好き』の一例なのかな?」と思いました。 もちろん句点抜きは、嫌う人は嫌うだろうと思うのですが、いくつかの応援コメントで指摘されている「文章の書き方の基本」みたいな話では、まだ出てきていませんよね?(もしも私の見落としならごめんなさい)。 ただし第二話では、名詞(一種の体言止め?)の後、『・・・・』の後、擬音の後というように「作者が一定のルールを決めて、わざと句点抜きにしている」というのが感じられたのですが、その後(例えば第四話ラスト数行の二箇所)、そうした『ルール』とは違うっぽいところでも句点抜きがあったので「もしかしたら『句点抜き』は作者のポリシーというより、ただ単に忘れているだけの部分もあるのか?」と、余計に気になりました。 そして「『こういうの、好きな人は好き』の一例かもしれない、でも私は個人的には嫌な方向性」というのが、この第五話でまた出てきました。>ボース・オブ・ユー、オンヨアマーク・ゲッドセット・ジャースト・ムーブ・イット! こういう「英語のカタカタ表記」も、中二病的スタイルなのでしょうか。「意味なくカタカナにするくらいならばアルファベットで英語表記にしろ」と私のような年寄りは言いたくなるのですが、でもネット小説のメイン読者層である若者の中には、アルファベットというだけで嫌がる方々も多いのかもしれませんね。特に『ヨア』とか『ゲッド』とか、英語表記では出せないニュアンスもあるので、そこに意味があるとしたら、意味なくカタカタにしているわけではないのでしょうから。 創作においては「正しいことを書くことが正しいとは限らない(読者の常識に合わせる方が大事な)」わけですし、現実の英語はともかくとして、こういう方が中二病的にはかっこいいのかな、これも『こういうの、好きな人は好き』のための書き方なのかな、と結論づけました。 以上、序盤しか読んでないくせに、偉そうな感想ですいません。ネガティブな指摘ばかりに見えるかもしれませんが、どうか『こういうの、好きな人は好き』と私が感じた点を、ポジティブに受け取ってください。 自分の趣味嗜好にストライクというわけでもないのに無責任な言い方でしょうが、「ネット小説の読者層ならば、カクヨム評価で最低でも星50くらいの作品なのではないか」と感じました。この作品は、もっと「この作品を好きそうな人々」に読まれるべき作品だと思います。
作者からの返信
わざわざご感想ありがとうございます。まず、最初にご指摘にあったプロローグですが、烏川様の言う通り、自分がこういうのを書きたいと思ったので書きました。テンプレと言われてしまうと返す言葉も無いのですが、自分は書きたように書くと決めたのでこういう始まり方にしました。そこを理解していただけて、嬉しい限りです。次にご指摘にあった句読点に関しましては、それはわざとやりました。文章と会話の間に隙間を残さないようにするにはどうすればいいか考えた結果、こういう風になりました。三つ目にご指摘にあった『・・・・』ですが、そこは書き始めた当初、僕にネット小説を書く知識がなかったため、こうなりました。時間が空き次第直していこうと思います。最後にご指摘にあった試合前のアナウンスに関しましては、アナウンスに日本語っぽさを残したかったのでカタカナ表記にしました。最後に、ハマる人にはハマるという嬉しい言葉をおっしゃって頂いて、ありがとうございました。
「かっこいいタイトルだなあ」と思って読み始めて、ここまでで感じたことをまとめて書きます。
まず第一話(プロローグっぽい部分)を読んで、自分も書き手であるがゆえに感じたのが「プロローグって難しい」でした。インパクトある出来事から始める、というのは一つの手法だと思いますし、成功しているのだろうとも思ったのですが、この作品のように『成功している』場合でさえも、悪く言えば「インパクトありそうなこと・かっこいいことを並べただけ」という感じがあるのですよね。『テンプレ』というほどではありませんが、既視感というのに近いのかもしれません。
同時に、ポジティブな見方として「こういうの、好きな人は好きなんだろうなあ」とも感じました。(タイトルに『パーソナリティ』という言葉があるだけでに、余計に)厳しい人には「作品としての個性がない」と言われてしまうのでしょうが、私は「別にネット小説なんだから、これでもいいんじゃないかな?」とも思います。
例えば水戸黄門や暴れん坊将軍などの時代劇が毎回同じような内容なのに受け入れられているように、小説においても『テンプレ』ゆえの安心感というものはあると思うのですよね。
この作品の場合は「中二病的な心をくすぐるような、バトルものの安心感」でしょうか。書かれているレビューを見ても「ハマる人はハマる」という感じですから、こういう作品を好む層は一定数存在しているのだろうと思います。しかも、作者もそれを書きたいのであれば、どんどん書けばいいのです。しょせん趣味でやっているネット小説、私も万人ウケしないと自覚しつつ書いているものはたくさんあります(没個性と思いながら書いているものも、逆に「これは絶対に他人には書けない」と誇りながら書いているものも)。
仮に『しょせん趣味』ではなく商業デビューを目指すのだとしても、それこそ『こういう作品を好む層は一定数存在している』というのは重要でしょうし、作風に手を加えるよりは「自分の作品みたいなものが求められている新人賞」を探した方がいい、と思いました(今の読者を手放さないためにも)。
基本的に、上記は第一話で強く感じたことですが、その後も薄っすらと、同じ感覚で読み続けました。
また、第二話の冒頭。
最初の数行で句点『。』のない箇所が二つも出てきてギョッとしました。同時に「独特のスタイルだな。でも『ネット小説』と考えれば、これもアリ? その意味では、ここも『こういうの、好きな人は好き』の一例なのかな?」と思いました。
もちろん句点抜きは、嫌う人は嫌うだろうと思うのですが、いくつかの応援コメントで指摘されている「文章の書き方の基本」みたいな話では、まだ出てきていませんよね?(もしも私の見落としならごめんなさい)。
ただし第二話では、名詞(一種の体言止め?)の後、『・・・・』の後、擬音の後というように「作者が一定のルールを決めて、わざと句点抜きにしている」というのが感じられたのですが、その後(例えば第四話ラスト数行の二箇所)、そうした『ルール』とは違うっぽいところでも句点抜きがあったので「もしかしたら『句点抜き』は作者のポリシーというより、ただ単に忘れているだけの部分もあるのか?」と、余計に気になりました。
そして「『こういうの、好きな人は好き』の一例かもしれない、でも私は個人的には嫌な方向性」というのが、この第五話でまた出てきました。
>ボース・オブ・ユー、オンヨアマーク・ゲッドセット・ジャースト・ムーブ・イット!
こういう「英語のカタカタ表記」も、中二病的スタイルなのでしょうか。「意味なくカタカナにするくらいならばアルファベットで英語表記にしろ」と私のような年寄りは言いたくなるのですが、でもネット小説のメイン読者層である若者の中には、アルファベットというだけで嫌がる方々も多いのかもしれませんね。特に『ヨア』とか『ゲッド』とか、英語表記では出せないニュアンスもあるので、そこに意味があるとしたら、意味なくカタカタにしているわけではないのでしょうから。
創作においては「正しいことを書くことが正しいとは限らない(読者の常識に合わせる方が大事な)」わけですし、現実の英語はともかくとして、こういう方が中二病的にはかっこいいのかな、これも『こういうの、好きな人は好き』のための書き方なのかな、と結論づけました。
以上、序盤しか読んでないくせに、偉そうな感想ですいません。ネガティブな指摘ばかりに見えるかもしれませんが、どうか『こういうの、好きな人は好き』と私が感じた点を、ポジティブに受け取ってください。
自分の趣味嗜好にストライクというわけでもないのに無責任な言い方でしょうが、「ネット小説の読者層ならば、カクヨム評価で最低でも星50くらいの作品なのではないか」と感じました。この作品は、もっと「この作品を好きそうな人々」に読まれるべき作品だと思います。
作者からの返信
わざわざご感想ありがとうございます。
まず、最初にご指摘にあったプロローグですが、烏川様の言う通り、自分がこういうのを書きたいと思ったので書きました。テンプレと言われてしまうと返す言葉も無いのですが、自分は書きたように書くと決めたのでこういう始まり方にしました。
そこを理解していただけて、嬉しい限りです。
次にご指摘にあった句読点に関しましては、それはわざとやりました。文章と会話の間に隙間を残さないようにするにはどうすればいいか考えた結果、こういう風になりました。
三つ目にご指摘にあった『・・・・』ですが、そこは書き始めた当初、僕にネット小説を書く知識がなかったため、こうなりました。時間が空き次第直していこうと思います。
最後にご指摘にあった試合前のアナウンスに関しましては、アナウンスに日本語っぽさを残したかったのでカタカナ表記にしました。
最後に、ハマる人にはハマるという嬉しい言葉をおっしゃって頂いて、ありがとうございました。