ミッションインポッシブル

(こんな筈はない、馬鹿な、予想外だ、大失態だ)

彼は大いに混乱した。冷や汗をぬぐい、頭をかきむしり、

ずりおちかけた眼鏡を押さえる。


大学後期試験、最終日の4限目。試験科目・哲学B。

試験内容・論述1000文字以上。持ち込みは配布資料及びノート・メモ等、

自分の手で書かれたもののみ可とする。


配られた答案に書かれた問題はこうだった。

『これまで授業で説明した哲学者の中から1人選び、

 その哲学者が説いた論について問題点も含め具体的に論述せよ』


答案を見て、周りの生徒は頭を抱えたが、俊春はニヤリとした。

彼にとっては楽勝な問題だった。

いつも教室の一番前・ど真ん中の席に座って授業を聞いていたのだから。

もちろん一度も休まず、一言も聞き漏らす事なく、だ。

彼は迷わずカントを選んだ。

カントについてのの授業が一番興味深く、教授の言葉をつぶさに

書き取っていたからだ。

ノートを開くとそこにはびっしりと、ワープロのように正確な字が記されている。

授業後、図書館に行って本を読みあさり、重要な箇所を抜き書きし、

考察も交えてまとめたものだ。

それが彼の習慣だった。


要はこのノートの内容を、箇条書きで書かれているものなどを

論述的に直して書いていけば良いのである。

そう、それだけで良かったのだ。何ら問題はない。

俊春は最高単位を取れる事を確信していた。


試験開始のチャイムが鳴る。彼に取ってはそれが、

自分を祝福してくれるチャペルのように聞こえた。

完璧だ、グッジョブ。ミッションインポッシブル。

…心の中で「佐々木俊春万歳」三唱をしつつ、

問題に取りかかったのだ。


そこまでは良かった。

ところが。そんなミッションインポッシブルな彼は、

ひとつだけ重大なミスを犯していた。

シャープペンシルに、芯を補充しておくのを忘れていたのだ。


運の悪いことに、事態に気がつくのが遅かった。

試験開始から10分が経過していて、教室はすでに緊迫状態、

物音ひとつ立てようものなら、いっせいに睨みつけられそうな、

ピリついた空間に変わってしまっている。

この時点で彼は、答案用紙の4分の1程を字で埋めていた。


論文の序の部分を苦もなく書き終わり、彼は一度、答案を見直した。

論文のたぐいは大学受験の際、何百も書いて訓練している。


序論、本論、結論の3部構成の中に、問題点や疑問点、

考察をいかにバランス良く入れれば、採点者の合点がもらえるかも、

俊春は熟知していた。文章に相違がないかを確認した彼は、

余裕の溜息をついてまたもニヤリとした。序論はこれくらいで良いだろう…

これから本題だ。見ていろ。そう思いながら再びシャープペンを握った。


事態はようやくそこで、発覚したのだった。

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