第八章 終着(下)

 それにしても――雪女、か。

 雪女かあ。

 たしかに、葵ちゃんを表現するにあたってそのくらい的を射ている代名詞はないかもしれない。

 謎に包まれていた葵ちゃんの正体、ここで判明。

 ……と、言うことは、葵ちゃんって。

 ずっと――朱里ちゃんやわたしと知り合う前から、雪女という存在だったわけで、人間として、今まで振舞ってきたわけで……うん?

 そんなことを考えてさらに混乱していたところで、ドアが開いて葵ちゃんが出てきた。


「終わったわ。じゃあ、戻りましょうか」


「……あの、どうしたの?」


「パウダー」


「え?」


「私が言えるのはここまでよ。行きましょ」


 言うだけ言って、葵ちゃんは踵を返してオカルト研究会のある方へ向かっていった。

 さっきまでのことは、もう気にしないのが吉なのかもしれない。わたしは気持ちを切り替えることにした。

 ……オカルト研究会。


「そういえば、名前考えたのって葵ちゃんだよね」


「そうよ」


「自分のこと指して言ったの?」


「……ないとも言えないけれど、大半は最初言った通り、部室を占有できるから」


 思い返してみれば、ヒントはあったように思う。

 たとえば禍鱗ちゃんに二人で話を聞きに言った時。禍鱗ちゃんはわたしたちを見て『無関係な人間は巻き込みたくないということか』と言った。あれは、暗に葵ちゃんが関係者であることを見抜いていたというわけか。

 それに、結構感覚に敏感な朱里ちゃんがペンキと誤魔化し気づかなかったあの血の匂いに気づいてしまうあたり、人間離れしていた。


「どう?」


 唐突に、葵ちゃんはわたしに聞いてきた。


「え?」


「私が紛いもない怪物であることを知って、どう思った?」


「そんな……怪物だなんて」


「怪物よ。害をなしてはいないから禍鱗に目をつけられずに済んではいるけれど、さっきのを見たでしょう? ……あんなことができるのは、怪物だけよ」


「……そんなこと言ったら、わたしだって」


「あなたは、たまたまなっただけ。私が聞きたいのは、最初からこうだったにも関わらず、のうのうと友達面していた私をどう思うか、よ」


 先を歩いていたのを振り返り、両手を広げ、己を顕示するようにして、再度問いを差し向けてくる葵ちゃん。

 でも。

 そんなのは。


「関係ない、でしょ。葵ちゃんは葵ちゃんで、わたしの大切な友達」


「そういうことよ、私があなたに言いたいのもね」


 満足げに微笑み、葵ちゃんは歩くのを再開した。

 なるほど、なのかな。

 一度固定された関係は、そう簡単に崩れることはないと。


「それに、黒菜は人間だし」


「そうなのかな。人間的にはもう、死んでるんだよ」


「肉体的にはね。でも、概念的にはどうかしら?」


「どういうこと?」


「それはあの熱血馬鹿に聞くことにしましょう。きっと、馬鹿なトンデモ回答をくれるわよ。……少なからず私が惹かれるくらいのね」


「うん?」


 よくわからないけれど、それは楽しみに取っておくことにしよう。


「というか……雪女って、どういう部類なの?」


「基本的には人間と同じよ。ただ、半分、魔性としての血が入っているだけで」


「半分なんだ」


「そう。私がこの学校にいられるのも、誰にもおかしいと認識されないのも、人間としての側面を所有しているからよ」


「へえ」


 眉目秀麗、成績優秀、運動万能の三点揃い完全無欠人間だったのは、逆にそういった人間ではない側面を持っているがゆえの特異能力なのだろうか。どちらにしろただ単に、葵ちゃんに才能があったって言うので説明できるけど。


「朱里ちゃんって、葵ちゃんが実際のところなんなのか、知ってるの?」


「いいや、知らないわよ」


 けれど、話そうとしたことはある、と葵ちゃんはしみじみ語る。


「でもね、その度に皆まで言うな、何がどうあったところで友達なんだから言っても言わなくても同じことだの一点張りで」


「はは……さすがだなあ朱里ちゃんは。もしかすると、何もかもを知った上で、そんなことを言ってるのかも」


「まさか。あの単純がそこまで器用にできるわけないじゃない」


「それもそうか」


 あははー……と笑いあって、少々沈黙する。

 本当に、そうだよね?

 万が一、朱里ちゃんが全てを察しているのだとしたら、今までの朱里ちゃんの行動全ての意味が違ってくるんだけど。

 まあ、考えても仕方ないか。

 それは朱里ちゃんのみぞ知るってね。


「……じゃあ、それはそれとして」


 わたしは話を棚上げして聞きたいことを聞くことにした。


「どうして、あんなタイミングよく正義の味方みたいな登場ができたの?」


「……うん。それはまあ、簡単なことなのだけれど、私、今日の放課後に黒菜が話しかけられてから薄々勘づいたのよね」


「先生が犯人だったって?」


「ええ。その時に九割は確信したわ」


「そこまで!」


 たしかに何か言っていた気がするな。わたしを見る目がなんとかかんとかって。

 でも、そこまでわかってたんだったら止めてくれたりすれば良かったのに。


「そうしようとは思ったわよ。けれど、確証はなかった。ただの進路相談、という路線もなくはなかったからね」


 歩きながら、葵ちゃんは冷たく苦笑いした。


「……とはいっても、今さらになって登場して積極的に黒菜と関係しようとしていた時点で、おかしいとは思っていたけれどね」


「……たしかにね」


 それはもう怪しんでと自分から公表しているようなものだろう。実質、先生自身が埒が明かないからって言っちゃってたし。

 ……わたしとしては、あそこから何も進展していなかったからありがたいっちゃありがたかったんだけど。


「結局、先生、何がしたかったんだろ」


「言っていたじゃない。人間の境界線とは何か。それを知りたかったんじゃないのかしら。やり方が最悪極まりなかっただけで、研究テーマとしては一人前だと思うわ」


「つまるところ、不死身が成功したわたしを放っておけなかったってことか」


 わたしは手を開閉して動くことを確かめながら言った。

 どこからが人間で、

 どこからが人外なのか。

 その境界線を、条件を知りたい。

 なら、今のわたしって――?


「と、いう人間くさい話は、やっぱり朱里に任せるに限るわよ」


「え、ああ、うん……え?」


 心の中を完全コピーで分かったような葵ちゃんの物言いに、わたしは驚きを隠せない。


「顔に出るのよね。朱里も、黒菜も」


 どこか微笑ましげな様子で、葵ちゃんは笑いながら言う。

 腑に落ちない感じだったけど、葵ちゃんは「そんなわけで」と話を元に戻す。


「黒菜が帰ってこないものだから、これは何かあったんじゃないかとトイレを口実に抜け出してきたってわけ。……だから今頃あの二人は首を捻っているでしょうね」


「本当に紙一重のタイミングだったんだね……。今日のわたしは運が良い」


「その通りよ。職員室やら教室やらを巡っていないいないと焦って最後の望みとして先生の担当の生物教室に入ってみたら当たりで、そしてまさに黒菜がやられそうになっていたんだから」


「はは。それにはもう言葉もないです……。まあ、あの感じだと大変なことにはならなかったと思うけどね」


「万が一、ということもあるでしょ。朱里も、もちろん私も、かなり心配なのよ」


「そりゃあ、まあ、わたしが一番弱いからね……」

「そういうことじゃないわよ。大切だから、守りたいがゆえの心配よ」


「あー、そっちか……」


 相変わらず、黒菜はネガティブね、と葵ちゃんは呆れたように言う。

 それは否定できない。わたしの思考の方向性は基本的に後ろ向きだから。

 だからこそわたしは万事前向きな朱里ちゃんが羨ましいし、一緒にいたいとも思う。

 葵ちゃんも同じ。わたしにはない冷静な判断力、完璧な出で立ちから憧れの存在だ。

 つまるところわたしは――二人に、わたしにないものを感じ取っていたのだ。

 いつかこうなりたいなという願望を、抱いていたのかもしれない。

 だいたい、友達っていうのはそういうものだと思う。

 人はなぜかかわり合うのかと言えば、それは自分と違うから、ということにほかならないだろう。

 わたしは、不慮の事故でこうなってしまったけれど――

 でも、だからといって、変わらざるを得ないからといって、何もかもが変わるわけじゃないだろう。

 わたしの中の二人の位置は変わらないし。

 この関係だって、きっと続いていく。


「着いたわよ」


 いつの間にか、オカルト研究会の部室前に到着していた。

 それならば、やるべきことは一つ。

 葵ちゃんがドアを生徒証で開けると同時、わたしは満面の笑みで、挨拶した。


「遅くなってごめん!」


 今は。

 この日々を、思う存分楽しむことにしよう。

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