第七章 今さらの始動(上)
「うーん……」
と、決意したまでは良かったものの。
どこから始めたらいいのか、それがいの一番に立ちはだかった壁である。
わたしなりに、今までのことをまとめてみた。
『学校のセキュリティの観点から、わたしを滅多刺しにしたのは学校の関係者である』
『あの時、学校に人が見当たらなかったのは、どういうことなのだろうか』
『あの掃除ロボットはあそこまで言葉をプログラミングはされていない。せいぜい、通りますとかの呼びかけくらいだった』
『一年の三学期、人が来なくなり始めたこととの関連があるのではないか』
『その場合、禍鱗ちゃんの意見を参考にするならば、来なくなった人たちは殺されているという。それなら、なぜわたしはここにいれるのか』
『そもそもわたしは今なんなのか』
『犯人は単独か複数か』
『魔性との繋がりはなんなのか』
エトセトラエトセトラ。
はっきりいって、収拾がついていなかった。
どこからやるべきか。
「うーん……」
「今日からは授業が始まります。みなさん、気持ちを切り替えていきましょうね」
考えていると、一年生の時と同じ担任、望月加奈子先生が、朝のホームルームを続けているのが耳に入った。
そうか、今日から授業だったんだ。頭切り替えないと。
と、視線を上げたところで、ちょうど先生と目が合った。
……なんとなく気まずくて、わたしはすぐに逸らした。
でも、先生はわたしから目を逸らさなかった。
気に留まったように、そのまま見ていた。
「はい、じゃあ今日も頑張っていきましょう」
そうしてホームルームは解散となった。
それに伴い先生はようやくわたしから視線を逸らし、自分の荷物を持って職員室かどこかへ向かった。
……なんでだろう。変な感じがする。
言いようの知れない、胸騒ぎがする。
そう、手順なんてすっ飛ばして来るような、加速するような予感。
その予感は、決して勘違いなどではなかった。
「……まあ、適当なところに座って」
「はあ」
わたしは先生の言う通りに、近くにあった椅子を持ってきて、その上に座った。
放課後、始まってすぐ。
望月先生は、葵ちゃんや朱里ちゃんと部室に向かおうとするわたしを呼び止めたのだ。
「鴉日さん」
「はい?」
「少し、お話いいかしら?」
「……なんのですか?」
「あなたは前のクラスでも担任でしたし、早めに面談をしておこうかと思って。こういうのは早く終わった方が都合がいいでしょうし」
ああ、進路の相談か。新学期恒例、なのかはわからないけれど、たしかに二年生の一週間目、生徒面談を始めるに早いということはないだろう。
「はい。いいですよ」
そんな感じで。
わたしは葵ちゃんと朱里ちゃんを先に部室に行かせてから、望月先生についていったのだった。
で。
連れてこられたのは職員室ではなく。
なぜか、生物実験室だった。
望月先生は、生物の講師ではあるけれど……こういうのって、職員室でやるものじゃないの?
まあ、わたしが口を挟むことじゃないか。先生には先生のやり方っていうものがあるのだろう。
先生も椅子に座ってから、まずは当たり障りのないことから始めた。
「最近、どうですか?」
「どう、ですか……」
どうと言われても。
なんて言えばいいんだい。
「普通、ですかね……」
迷って結局、無難な答えで返すに留めておいた。
「そう。それは僥倖です」
「はあ」
「身体の調子は。体調は?」
……えーと、これ、生徒面談なんだよね? 健康診断じゃないよね?
先生ってそういった健康情報から話を広げていくタイプの人間なのかな。
「滞りなく、健全ですけれど」
「ふうん?」
やはり無難なわたしの返しに、先生は、含みありげな感じで相槌を打った。
「そうなんですね。それは本当に僥倖です」
「僥倖、ですか。通常、な気がしますけど」
「いいえ、鴉日さん。この世に通常なんて状態はないんです。いつも通り、なんていうのはいくつも幸運が重なり合って、たまたまが重なり合って、偶然が重なり合っての、まさに奇跡のようなことなのですよ」
望月先生は、わたしを見透かすようにして、確信のこもる口調で続ける。
「無変化はありえない。盛者必衰、諸行無常ね。いつまでも、状態が続くなんてことはあるわけがない」
「……たしかに、時代はいつでもどこでも前進していますからね」
「しかし」
流れに乗って同調したところで、望月先生はそこで逆説を挟む。
「変わらない。それは意外と身近なところに存在しているものです。それは例えば広大な海だとか、我々を支えている地面だとか、どこもかしこも満たされている空気だとか。……そういうものは無機物に限りますけれど」
「あの、先生。いやに話が突飛していますが」
「突飛じゃあ、ないですよ。この流れは、自然なものです。ごく、必然なものです」
望月先生は、一区切りつけるように一つ咳払いをした。
「では、一つ質問をしてみましょうか」
「……どうぞ」
「――あなたは、どこからが人間であると思いますか?」
「……は?」
思わず、そう問い返してしまう。
突然。なんてことを言い出すんだ。
「人間と、そうでないものの、ボーダーラインとはなんでしょうか? そもそも、境界線は存在するのでしょうか? 何か、必要条件でもあるのでしょうか?」
「……えっと」
「率直な意見でいいですよ。あなたにこれを聞くのは、あなたという個体が自分で何を思っているのか、確認するための手段に過ぎませんから」
あなたという個体。
なんだか……嫌な、言葉使いだ。
「そりゃあ……四十六本の染色体ある核を持った細胞から構成されている身体を持っているのか否か、ということではないんですか?」
「それはそうなのですが……。よく、言いますよね。『人間離れしている』、などのように。その人間離れはどこまで行けば本当に人間ではなくなるのでしょうか?」
「…………、」
とっさに言葉が出なかった。
わたし。
今のわたし。
果たして、人間と言えるだろうか。わたしは自分のことながら化け物だと思うけれど、正確には、どちらが正しいのだろう。
人間か。
人外か。
ボーダーライン。それはきっと存在するだろう。
しかしそれを知るものはいない。だって最初から、人間は人間側に、人外は人外側に、もとからいるだろうから。そこに境界線の定義など必要ないのだ。
では、わたしは?
人間ではあった。しかし、不幸なことに、ある日、変異した。
わたしは、どちらになったのだろう。
――いや。
そんなことを考える前に、まず注目すべきところがある。
先生は、なぜ、今この時に、このような質問をしてきたのか。
境界線など、普通は必要ないものなのに。
これは。
まるで、先生の知っている誰かが、その境界線付近にいるような言い草ではないか。
それは。
それは。
それはまさか。
望月先生は、静かに唇を歪めた。
「是非、あなたにお聞きしたいものですよ。永久機関の成功例である、あなたにね」
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