第六章 異形であっても休息を(下)

「……で。朱里、さっきの答えをもらおうかしら。自分がマゾなのかMなのか」


「どっちも同じじゃねえか」


 清々しい朱里ちゃんのツッコミで、ゆったりとした休憩時間が開幕した。

 ショッピングモール某所。わたしたちが座っているテーブル上にはハンバーガーが二つ、ポテトのSが三つ。飲み物のカップが三つ。

 休日らしいお昼時間、わたしはちょっとしたチャレンジ、というか実験を試みる。

 活動していない肉体。これに何かを取り入れたらどうなるのか?

 ……まあ、感じる忌避感からなんとなくのことは予想つくけど、さすがにこれ以上の期間何も食べずにいたら朱里ちゃんやら家族やらに怪しまれる。ダイエット、といってもやりすぎだよね。

 と、いうわけで。

 一番量が少ないSサイズのポテトでトライ。

 手始めに、三本ほどを口に放り入れる。

 そして咀嚼。

 と、ここで問題が。

 ……味、しない。


「これ、塩とかの味ついてる?」


「ん? そりゃついてると思うけど」


 ちょうど同時に口にポテトを入れていた朱里ちゃんは首を傾げてから、わたしのから一本取って食べた。


「うん。しっかりポテトフライ味だけど。って、まさかそういうフリか?」


「へへ、このポテトフライには毒が入ってるんだよね」


「な、なにい!」


「もちろん嘘だよ」


「だろうな」


 と、なんの気もなしに言う朱里ちゃんだったけど、胸を撫で下ろして息をついているのが丸見えだった。相変わらず隠し事が下手な直球ストレート少女だ。

 ……うーん。

 どうやら味覚も脱落、か……。

 って。


「あら、どこへ行くの黒菜」


「少しお手洗いに……」


「ああ、そう」


 葵ちゃんにそう受け答えして、わたしは席を立ちトイレに向かった。

 戻した。

 いや、この表現は正しくない……飲み込めなかったのだ。

 喉が、異物を拒絶するように、動かなかった。


「どうやっても食事は無理、ってことか」


 それ以前に、唾液すら出ていない気がする。そりゃあ、肉体が死んでいるんだから当たり前なんだろうけど。

 でも、それなら逆に、どうしてしゃべれて、歩けて、わたしは活動できているんだろうか。

 考えても仕方ないか。そういうことは、それこそ禍鱗ちゃんに聞くべきだろう。

 これは来週禍鱗ちゃんに聞きたいことをピックアップしないとな……と考えつつ、二人のもとへ戻ると。

 なぜだか、空気が張り詰めていた。

 まるで、今までのは前座で、前座でしかなく、本命はここからだとでも言うように。

 今となって、あのほんわかした時間は嘘でしかないと言うように。


「ど、どうしたの?」


 それに一抹の不安を抱えながらわたしが席に座ると、しばらく沈黙が続く。


「…………、」


 どういうことだろう、これ。さっきまで楽しかった雰囲気が台無しだ。

 葵ちゃんは腕を組んで、状況の成り行きを見守っていた。

 そして、朱里ちゃんは。

 朱里ちゃんは、なんとも言いがたい、困ったような顔をして、わたしを見つめていた。

 なに、その目は。

 純粋無垢の朱里ちゃんには似合わない、複雑難解な表情だった。


「……黒菜」


 やがて、いつもと違う朱里ちゃんはわたしを呼ぶ。


「な、なに?」


「無理、してないか?」


「……えっと」


 返答に困ったところで、やっとわたしはこの雰囲気の原因がわかった。

 そうだ、昨日の。

 今日、わたしにそんなことを言う理由なんていうのは、それしかない。

 どうしよう。

 これは――言うべきことなのだろうか?

 葵ちゃんには、黙っていられなかった。部室に残った跡が血痕だと看破されて、誤魔化せるほどわたしは肝が座っていない。それに、彼女は前々から関係者だったように思える言動も、たびたびしている。だからといって、褒められたことでもないんだろうけど。

 けれど、朱里ちゃんには?

 軽々と、言ってしまっていいのだろうか。葵ちゃんはすんなりと受け止めてくれたが、朱里ちゃんがそうとは限らない。むしろ、パニックになる可能性の方が高い。

 それに、なんだか朱里ちゃんだけは、巻き込んではいけない気がした。

 何も知らない、一般人の立ち位置。

 彼女はその場所にいなければならない存在のような気がしてならない。

 わたしもそこにいたけれど、是非もなく、引きずり込まれた。

 だからこそ、朱里ちゃんは、ダメだ。

 そう、決心した。


「いいよ」


 朱里ちゃんは唐突に、承諾の意を示した。


「え……?」


「あたしは、さ。難しいことはよくわかんないから率直に言っちゃうけど――黒菜、今問題に巻き込まれてるんだよな?」


「……うん」


「それがわかればあたしはいいんだ。昨日のことだって、問い詰める気はねえさ。あたしは応援するだけだ」


「……もし」


「うん?」


 わたしは、問わずにはいられなかった。思う間もなく、声が出ていた。


「もしも、わたしが化けの皮を被ったおぞましい化け物だったとしたら、朱里ちゃんはどうする?」


「なんだ? 藪から棒に」


 意味不明といった顔をした朱里ちゃんだったけど、質問にはしっかりと答えてくれた。


「そうだな。そんなの、最初っから決まってんじゃねえか。考えるまでもなく迷うまでもない」


 そうして、無邪気な笑顔を作って、自信満々に言い切るのだ。



「――どうあったところで、黒菜は親友だっつの」



 そんな、恥ずかしいことを。

 堂々と。

 ……やっぱり、朱里ちゃんはすごいなあ。

 葵ちゃんも、そうだ。わたしが考えていたネガティブな思考を、気持ちいいまでに打ち破ってくれる。

 心配する理由なんてなかった。

 だって、友達なんだから。

 大切な、人なんだから。


「……はは」


「ん? どうした」


「朱里ちゃん恥ずかしいね」


「なあっ! 真剣に答えてやったのに!」


「さすがは熱血キャラだね」


「熱血、なのか……?」


「どちらかと言うとヘタレよね、朱里は」


「ヘタレとはなんだヘタレとは!」



 いつものような雰囲気に戻ったところで。

 わたしは一人、決めた。


 終わらせよう。

 この事件はまだ、解決していない。終息していない。

 誰が、こんなことをしたのか。なぜ、巻き込まれなければならなかったのか。

 突き止めて。


 そしてあわよくば――


 ――あの日常に、戻れることを――

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