第六章 異形であっても休息を(中)

「うおりゃああああああああぁぁぁ!」


 咆哮とともにカキーン、と気持ちのいい音。

 文句なしのホームラン。


「うわーすっごい」


「さすがは脳筋と言ったところね」


「おいそこ褒めてると見せかけて貶めるな!」


 朱里ちゃんはバットを振り回してツッコんだ。

 土曜日、昼近くのことである。

 起きてきた朱里ちゃんの『遊びに行こうぜ!』から、今日は遊ぶことを決めてから向かったのは……なぜか、バッティングセンターだった。

 バッティングセンターっていうのも時代錯誤なものだよなあ。きょうび見かけることがないからもう消滅したのかと思ってた。

 まあ……朱里ちゃん楽しそうだからいいか。朱里ちゃんはいつもと相変わらず、体育会系な健康少女だ。

 平常運転な朱里ちゃん。

 それは逆に、昨日のことを考えれば、不自然なのだけど。


「……つか、葵も黒菜も打たないのか?」


 バットを肩に担ぎ、朱里ちゃんが首を傾げる。


「たぶんわたし、打てないから……」


「身体を動かすのはあまり好きじゃないもの」


「なんだよ、つまんねえなあ」


 言って、朱里ちゃんは再びバッターボックスに立ち、また爽快な音を立てた。……これで、最初から立て続けで連続十回目のホームランだ。ここまで軽々できるの、つまらないんじゃ? ぶっ飛ばすのが、気持ちいいのか。

 ……一回だけ、やろうかな。

 わたしもバットを持って、朱里ちゃんの隣りのボックスへと入る。


「お、やる気になったか」


「なんか朱里ちゃん見てたら、できそうな気がしてね」


「その意気だ、頑張れ」


 グリップを両手で握って(安定するように上の方と下の方で支えた。たぶん間違ってる)、肩に乗せる。

 ボールが射出される方を向いて、息を整える。

 表示されたピッチャーの映像が、振りかぶってボールを投げると、穴からボールが出てきた。球速は一番遅いのに設定したから、目で追うことすらできた。

 わたしはタイミングを測り、片脚を上げてエネルギーを蓄え、フルスイングで遠心力すら味方につけて、

 打つ。

 スカッ。

 ……あり?


「わわわわっ!」


 ミートする衝撃で相殺されるはずだった勢いが、止まらない。

 わたしの意思に逆らって、バットは遠心力の旅を続ける。

 そのまま、わたしを軸にして何周かループしたあと、やっと回転は止まり、わたしはペタリとその場に座り込んだ。

 めがぐるぐる。


「あははははははははははははは!」


 朱里ちゃんは腹を抱えて笑っていた。


「持ち方変だし思いっきし振ることに夢中でボール見てないし。そりゃスカるに決まってんじゃん!」


 ゴロゴロと、地べたを転がり回る有り様だった。


「……もうわたし、やめます」


 存分に馬鹿にされたわたしは頬を膨らませてバッターボックスを出た。

 試合、終了。


「おいおい、こっからが楽しいのに」


「そりゃ上手くできたらね!」


 わたしはそのまま、敗残兵のごとき足取りで、バッティングセンターを出た。


「そんな落ち込まなくてもいいだろ。楽しくやろうぜ楽しく」


 からからと笑って、朱里ちゃんはわたしの肩に手を回した。

 ……むう。

 なんだろうこの敗北感は。

 くっそう。無性に悔しいな。


「ま、とにかくリラクゼーションはできたんじゃないかしら」


 澄まし顔で葵ちゃん。あんまり顔に出ないから、何を考えてるのかわからなくて怖いんだよな……。実はわたしのこと嘲笑ってたりして。


「と、いうわけで。女子高生らしいことでもしましょうか」


「あ? なんだよ、それ」


「決まってるじゃない。買い物よ」



 と、そんなこんなで決まった買い物だったけど。

 ショッピングモールまで来てやったことはと言えば、買い物という買い物じゃなかった。

 ファッションショー、というか。

 着せ替え人形、みたいな。


「うう……」


 唇を噛み締めて朱里ちゃんは名前に似つかわしく顔を真っ赤に染めていた。

 朱里ちゃんが立っているのは、カーテンが取り払われた試着室だ。

 そこで、着ているふわふわのフリルスカートを握りしめて、俯き気味に恥ずかしがっている。

 ……うん、可愛い。

 いや、変な意味じゃないよ。いつも快活にしている体育会系ポニーテールだけど、だからこそ、ギャップがしっくりかっちり似合う。

 髪は解いてゆるふわな感じに。花の刺繍があしらわれた純白のキャミソールに、今にも飛んでいってしまいそうに軽そうな、綿毛にも似たフリルスカート、いい感じの長さのニーハイソックスは、スカートとの間隙に、朱里ちゃんの細いながらもむっちりとした太ももをこれでもかと強調する。

 単純明快に言うならば、全体的にアイドルグループの中にいてもおかしくない、いや、紅一点にもなれそうな出で立ちだった。


「いいじゃない。やっぱり、朱里にはこういうのが良く似合うわ」


 朱里ちゃんをこうしたプロデューサー、葵ちゃんは満足そうに頷いた。


「そわそわしてしょうがないんだけど……」


「でも、本当に可愛いよ?」


「……もう死にたい……」


 ついに顔を覆って朱里ちゃん、その場に撃沈。

 あーあ、ノックアウト。むしろ胸を張っていいクオリティなんだけどなあ。

 ……簡単に、ここまでの過程。


『女子高生と言えば買い物。となれば行くのはショッピングモール、というわけで来たわけだけれど』


『んあー、何すんだ? たしかにキラキラしたものを見るのは面白いけどさ』


『朱里ちゃんはとにかく目を引くものが好きだもんね……』


『おい、なんだその呆れにも似たセリフは』


『だから、ね。私は朱里のそんな傾向を見て悩み、考えたのよ』


『なーんだそのパッとしない我が子を心配していてついに決心した、みたいな、って無視すんな』


『そんな前置きを挟んでからの目的地はここよ』


『ここ? ……なんか子供っぽい服屋だな』


『そうかな。こういうの、可愛いと思うけど』


『やっぱり駄目ね、朱里は。まだ子供のくせに子供っぽい、だなんて。これだから自分は大人だと思い込む思春期特有の少女は』


『見透かしたようなこと言うな!』


『あなただって、心のどこかでは憧れてたんでしょう?』


『は?』


『美少女のように、可愛いものを着ることに』


『……は?』


『はい、それじゃあ行ってみましょうか』


『何言って……っておい、腕引っ張るな。つか、力強くねえ?』


『早く来なさい。そして着なさい』


『上手くかけてるふうだけどよくわかんな――や、やめろお、どこ行くんだ、そんな服持って!』


『もちろん、あなたが試着するのよ』


『い、いやあ!?』


 っていう感じで、わいわいがやがや、試着室で一悶着あったらしいけどわたしが入る余地はなく、外からそれを唖然として眺めていたら、唐突にカーテンが開かれて、今。

 わたしはサッと携帯端末からスクリーンを立ち上げ、この光景を永久保存すべくデータに落とした。


「いいわね。この状態を取り押さえればいつでもどこでも強請るネタになるわ」


「なんでもかんでもすぐにそういう惨いことを考えないで葵ちゃん!?」


 ちょ、大丈夫かな、将来凶悪犯にならないかな。……まあ、理性はしっかりしてるし大丈夫か。


「となれば黒菜は、なんのために今の写真を?」


「え、それは……思い出?」


「なんで疑問形なのよ」


「ああ、えっと……この瞬間全部が、かけがえのないものだと思うから、その欠片を少しでも、残しておきたいと思って」


「……黒菜」


「うん?」


「真面目すぎ」


「え」


 頑張って言葉を紡いだのに、一蹴されちゃった。我ながら、かなりいいこと言ったと思うんだけど。

 そんなわたしの考えを察してなのか、葵ちゃんはため息をついた。


「黒菜って、前から考えすぎな傾向があるわよね。そのせいで、結局言葉を発せなかったり。そうなるくらいなら朱里くらい……は、あんまり良くないわね。私くらい気楽で全然いいのよ」


「ええ、そうかな……。葵ちゃんが言うならそうなのかもだけど。でもそれこそがわたしの個性、というかなんというか」


「さっきから飽きたようにあたしのことそっちのけにして話すな!」


 割り込んでくる形で、朱里ちゃんが我慢ならないと叫んだ。


「あら、ごめんなさい。あまりに朱里が恥ずかしそうだったから、あなたの精神状況を鑑みて、あえて話題を離れてあげていたのだけれど」


「んにゃ……?」


 予想もしなかっただろうちゃんとした理由に、朱里ちゃんは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。


「その発言、まさか朱里、もっといじって欲しかったのかしら?」


 さすがは葵ちゃん、手口が巧妙かつ悪質だ。会話の運び方からして、神がかっている。あれ、全部計算しているとするなら恐るべき思考速度だ。


「……あ、いや、そ、そういうわけじゃ……」


 ゆっくりと、朱里ちゃんは後ずさりする。


「そうよねえ。でも、本当は、ほ、ん、と、う、は、どうなのかしら?」


 葵ちゃんは朱里ちゃんに詰め寄った。サド葵モードに突入だ。って元々か。


「ほ、本当は……?」


「そう。本当は。心の奥底では、いったい、何を考えてるのでしょうね?」


 朱里ちゃんは唾を飲み込み、喉を鳴らす。そして鏡にぶつかって後ずさりの道は絶たれた。


「ねえ、教えてくれない、朱里」


「く、来るなあ!」


 ついに、我慢の限界だったようで。

 ガバッと、朱里ちゃんはカーテンを思い切り閉めてこの場からの逃走を図った。


「……まあいいわ。あとでゆっくり、聞かせてもらうとしましょう」


 うわあ。容赦ないなあ。

 でもともすればこれこそが、仲のいい友達同士って感じなの、かな。気を使わなくていい、気の置けない友人、みたいな。それにしても攻守の勢いが一方通行の感はあるけど。


「……じゃ、じゃあ、今度はどこか落ち着ける場所でひと休みしようぜ」


 カーテンの向こう側から、朱里ちゃんがそう提案する。うん、ひとしきり遊んだ気はするし、時間的にも一区切りつくところだ。


「そうしよっか」


「朱里の欲求不満、それに関する愚痴大暴露ショーね」


「んなことしねえよ!」

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