第六章 異形であっても休息を(上)

 ぱっちりと。

 それこそ、一睡もしていないわたしは夜が更けるのをぼうっと眺めていた。

 眠くならないのは一日が長くなったようでお得な気分になるけど、それは最初だけ。段々と、退屈を感じるようになって、ついには苦痛になる。

 退屈は人を殺す――すごい言葉だ。

 わたしはもう人じゃないけどね。なんてブラックジョーク。……ああ笑えないな。


「あーあ」


 ため息をついて、わたしは窓から視線を変える。

 現在地は葵ちゃん宅、葵ちゃんの部屋の中。ベッド、机、棚。必要最低限のものが置いてある簡素な感じで、侘び寂びを前面に出していた。

 そこで、すやすやと。

 ベッドには葵ちゃんが、その横には布団を敷いて横になっている朱里ちゃんが、それぞれ寝ていた。

 ちなみに。葵ちゃん宅は一軒家。わたしの家と同じくらいの広さ。家族は多忙を極めていて長らく帰ってこないらしい。

 で。

 あのあとどうなったかと言うと。

 ……思いっきり逃げた。

 走って逃げたわけじゃない。二人をよそに、のらりくらりと話を逸らした。というか、強引に何とかした。


『あの、黒菜』

『あー早く葵ちゃんの家行こっ!』

『いや、でも』

『早く早くー。はーやーくー。夜更かしは肌に悪いよっ!』


 ……と、こんな感じで。

 質問を挟めないくらい発言すれば、追及を逃れることができる。

 まあ、こんなものはやらなきゃいけないことを先延ばしにしただけなんだけど。


「どうしようか……」


 絶対的に完全的に、見られた。

 切断されても血が一滴すら垂れなかったことも、くっつけるだけで完治したことも。

 禍鱗ちゃんのような特殊な人を除いて、人間の所業じゃないことは、誰にでもわかる。

 もう、駄目なんだろうか。

 わたしは、もうここにはいられないのだろうか。

 だって。

 人間は、化け物なんかと一緒にいようとは思わない。

 あの目。

 わたしを怯えるように見た。

 人間にはおおよそ向けないような、あの目――。

 当たり前だ。

 当たり前、だけど。


「……嫌だよお……」


 そんなの、受け止められるわけがない。

 死んでいるだとか生きているだとかわけのわからない状況の渦中にいるのに、

 友達とも、さよならしなきゃだとか。

 どうして、こんな思いをしなければいけない。

 全部、誰かのせいだ。そうだ、そうに決まっている。

 運命が悪い。

 世界が悪い。

 こんな、中途半端で辛い位置に立たされるくらいなら、いっそあの時――


「……なんて悲しい顔をしているのよ、黒菜」


 不意に、声をかけられた。

 見ると――葵ちゃんが、目だけ開けてわたしを見ていた。


「……起きてたんだ」


「さっき、ね。眠れそうもないし、私も起きることにするわ。リビングに行きましょう」


 身を起こしてベッドから立ち上がると、葵ちゃんはわたしを手で招いた。

 わたしは誘われるようにふらふらと、そのあとをついていった。


 ###


「……まあ、悩むのはわかるわ」

 葵ちゃんは、コーヒーを啜りながらそんなことを言った。

 わたしたちはリビングのソファで横並びに座っている。

 ちなみに、カップは一つ。葵ちゃんは二人分入れてくれようとしたけど、わたしは喉が乾きもしないので辞退していた。そもそも、水分を摂取することに、嫌悪感すら感じてしまっているわたしが飲めるはずもない。


「……葵ちゃんは、怖くないの?」


「何が、かしら」


「わたしのこと。あんな、化け物みたいなわたしを」


「とんでもないわ」


 俯いて軽く握っているわたしの手の甲に、葵ちゃんが手を重ねて包み込んでくれる。相変わらず体温は感じることができなかったけど、人肌に触れているからか、妙な安心感があった。

 顔を上げたわたしに、葵ちゃんは静かに微笑んだ。


「化け物だとか人間だとか、そんなことは関係がないの。それ以前に、私たちは縁があって結ばれた――友達、なのだから」


「……友、達」


 わたしは反芻した。

 いい――言葉だ。

 友達。友達友達友達。


「だから、別に黒菜が断たれた部位を再生できるからといって、血が出なかったからといって、この関係は崩れない。これは、絶対」


 ああ、葵ちゃん。

 葵ちゃんは、いい友達だなあ。

 甘えたい。胸に飛びついて、わんわんと心向くままに泣き叫びたい。

 でも、ダメだ。

 甘えても、それは解決ではない。ただ、嫌なことから逃げて保留にするだけだ。

 向き合わないと。

 ちゃんと。しっかり。


「ありがとう。やっぱり葵ちゃんは優しいね」


「なんのことかしら」


 葵ちゃんはゆっくり手を離して、照れ隠しのようにそんなことを言う。

 わたしは一度、深呼吸して、心を落ち着かせた。

 よし。


「……葵ちゃん。実は、話しておくべきことがあるの」


「なに?」


「実はわたし――死んでるんだ」


 唐突すぎて面食らってしまったように、葵ちゃんが固まった。

 次に葵ちゃんが動いたのは、コーヒーの湯気が三回ほど燻ったあとだ。


「…………それ、最初に来た禍鱗も言っていたわね。たしかに、肌の白さといい体温の冷たさといい飲食せず眠らないことといい、まさに死人のようだけれど、でもあなた、今もこうしてここにいるじゃない」


「少々複雑でね。死んでるんだけど生きてもいる、みたいな」


 葵ちゃんはわけがわからない、という顔をした。


「要するに、えっと……よくわかんないや」


 わたしも説明に困った。頭をかいて、この状況を手っ取り早く説明する方法を模索する。

 そちらに関しては答えが出た。


「えいっ」


「えっ」


 ぐっと葵ちゃんの手を掴み、わたしの左胸へと当てる。


「ちょ、何をいきなり……?」


 葵ちゃんはさらに困惑する。あ、貴重な表情。

 なんだか、可愛い……。

 って危ない。わたしは別にこの表情を見るためにこんな不意打ちをしたわけじゃない。

 事実を、全て伝えるために。


「……拍動、ないでしょ?」


「…………、」


 気づいたように、葵ちゃんの目が見開かれた。


「でも、黒菜、あなた……」


「こういうことなんだよ。死んでて生きてるって」


「…………、」


「前に話したあれ。あの時にはもう、わたしは死んでたみたい。何を持って死んだ、って解釈するかにはよるかもしれないけど。とにかく一度、わたしは終わったの」


「そう、だったのね……」


 さすがに、引かれるのは間違いないと思った。そりゃあ、心臓が止まって肉塊とかしているはずのものが、まだしゃべっているんだもん。

 でも、葵ちゃんは。

 優しく、わたしに腕を回して――そのまま、抱き寄せた。必然、胸に頭を抱えられる体勢になる。

 どくん、どくん、と。

 葵ちゃんはしっかり、生きていた。


「……でも、やっぱり関係がないわ。だって、どうあったところで、黒菜は黒菜じゃない」


 諭すように、葵ちゃんは言う。


「だから――悩む必要なんて、ないのよ」


「……葵ちゃんは優しいね」


「そうかしら」


「うん、優しいよ」


 自然と口もとが綻んだ。そして無性に泣きたくなった。

 涙は……枯れたように、出なかった。


「それにしても……葵ちゃん、最初の時もそうだけど、全然驚かないんだね」


「あら。これでもかなり驚いてるわよ。心臓が五回くらい飛び出したといっても過言ではないわ」


「うっそだー?」


「嘘だけど」


「嘘なんだ!?」


 素面で嘘をついていく葵ちゃんだった。


「……まあ、わからないでもないもの。黒菜の気持ちは」


「え?」


「言ってしまうと、私は以前から知っていたのよ。禍鱗のいるような世界のことは」


「え。……え?」


「先駆者として助言できてなによりだわ」


「ん……んんん?」


 ちょっと待って。

 えっと……それって、一気に話が変わりかねない告白なんだけど。

 葵ちゃん。

 青山葵。

 いったい。


「葵ちゃん、って、何者なの……?」


 今度はわたしが困惑する番だった。

 葵ちゃんは、微笑んで――今回は含みのある笑みだった――口もとに人差し指を当てた。


「来るべき時が来るまで、それは内緒よ」

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