第五章 非科学的な非現実(中)
そんなわけで、今に至る。
時系列的、数時間後。
朱里ちゃんの提案の即日に、この禍鱗ちゃんお仕事見学会(?)は執り行われたのだ。明日明後日は休みだし、その時の夜でも良かったのでは、とは思うけど、禍鱗ちゃん、両日ともまた別件があるそうで。
朱里ちゃんはどうやら話半分のようで、その約束事については『わかったわかった。全部了解』という始末だった。
……心配だ。
ある意味、
葵ちゃんの言じゃないけど、朱里ちゃんは今に満足していて、それゆえの願望を持っている。その方が、夢があるから。ロマンがあるから。けれどそれは夢でしかなくロマンでしかなく、どこかで現実には起こりえないと決めつけている。まさにその通りじゃないのか。
……いや、そもそも、『知らなければ』誰でもこんなふうな反応をするのか。
わたしのように実体験をしてないから。理不尽に、不条理に巻き込まれたことがないから。
……あれ。
なら、おかしくないか。
朱里ちゃん、ではなく。
どうして。
どうして――葵ちゃんは、わたしの話(全てが事実だけど、滑稽極まりないとわたしでさえ思う)をあんなあっさり受け止めてくれたのだろう。普通、あんなことを聞かされたら話者の正気を疑うところなのに。
なぜ、ここまでに『理解している』ようなんだ?
それは。
それは。
それは?
なんだろう。
考えても詮ないことか。
「どうした、黒菜?」
思考に没頭しすぎて惚けているように見えたらしく、朱里ちゃんが呼びかけてきた。
「ううん。なんでも、ないよ」
いつの間にか、わたしが最後尾になっていた。禍鱗ちゃんを先頭に、朱里ちゃんと葵ちゃんが横並びになって続いている。
わたしも慌てて横に並んだ。
追いつくと同時、禍鱗ちゃんが不意に足を止める。
「……珍しい。こんなに早いとは」
ここからだと、禍鱗ちゃんの高い背丈で前の様子が窺えない。
ので、身体を横に傾けて目線をずらし視界を確保した。
そこには、あった。
不自然に揺らめく、小さな紫炎が。
「あ? なんだよあれ」
朱里ちゃんはそれを見て首を傾げていた。葵ちゃんはというと、無言のまま、一歩下がって距離を取った。本能的に何か感じ取ったのだろうか。
禍鱗ちゃんが顔をわずかに動かしこちらを振り向いて、
「あれこそが獲物だ」
と、言った瞬間。
豪! と。
その紫の炎が、あっという間にわたしたちを取り囲んでいた。囲む炎はうねりうねる壁。簡潔にするなら炎の渦に取り込まれた構図だ。
ただの炎でも絶望的のなる状況なのに、紫色というのがさらに不安を煽る。
「…………、」
無言のまま、葵ちゃんは炎から一番遠い中心部へと動いた。
「なん……だよ、これ」
朱里ちゃんは呆気に取られ、今この状況が理解できていないふうだった。当たり前だ。こんなの不意打ちでやられたら誰でもこうなる。わたしだってそうだ。
何が起こった?
とにかく非科学的な何かに襲われていることはわかった。人間ではない、何か。
これが、魔性。
わたしも属すると言われた。
非現実。
「……ふん。害悪は決定的だな」
禍鱗ちゃんは大して面白くもなさそうに、断じた。
「『火種』。まあそんなところだろう。燃やして燃やして燃やし尽くす。厄介な雑魚だ」
腰の刀の一本に手を添え、冷静な分析結果を独り言のように言う。
「『
声とともに。
ギィン……と金属音が鳴った……気がした。
定かではないのは、あまりにも早業が過ぎたから。
ほぼ同時にチン、と刀を収める音がする。
わたしの目には、禍鱗ちゃんが動いたようには見えなかった。
だけど、それを証明するように。
ブワァ、とわたしたちを取り囲んでいた炎が散り失せた。
妖しい何かを失ったように、紫が普通の橙に変わって。
死んでしまったように。
一筋の斬られた線から、破綻が広がって消え失せた。
残ったのは、平常の真夜中の景色のみ。
「いったい、何が……?」
未だに余韻の残った表情で、朱里ちゃんは呟く。
激しく同意だった。
わけもわからず被害者になったことはあったけど、こうして見ると、えげつない。
わたし……危なかったんだなあ。
もし犯行でもしてたら即、死んでたな。……あれ、死んでるんだっけ。
ともかく。
魔性斬り。
それは嘘偽りない、実力ゆえの二つ名だった。
「あんなのは道に生えている雑草も同然だ。これに手間取っていたら生きていける道理はない」
「その余裕の態度、さすがと言ったところね……。それはさておき朱里。いやに怖がっているじゃない。あなた、やっぱり今日来なかった方が良かったんじゃないかしら?」
腕を組み、さっきの現象にはあんまり衝撃は受けていない様子で、葵ちゃんは案じるように朱里ちゃんを見た。
「怖がってるわけじゃねえよ」
「そう。その癖して、身体は正直に震えてるけど」
「そんなこと……あれ」
朱里ちゃんは自分の身体を見下ろして、否定の言葉を失う。
カタカタと、ガクガクと、立つのがやっとだと言うように、朱里ちゃんの脚が震えていた。
それにつられてわたしも自分の身体を見下ろしてみるけど、別に震えてはいなかった。
微動だに、していなかった。
「なんでだろ……すっげーいいもん見たのに。震える要素なんて」
「それはおそらく、本能からの行動だな。人間とは意味のわからないものを見ると、思考を放棄してひたすらに怖がる」
「なるほどな……。それにしては葵や黒菜が無反応な気がするけど」
「図太い神経をしているのだろう」
反論しようとして言いかけたのを、必死に抑えた。
きっと、禍鱗ちゃんはそれとなく誤魔化そうとしてくれているのだ。最初に死んでるって堂々と言われた時は正気を疑ったけど、常識はある子なんだと思う。
禍鱗ちゃんは朱里ちゃんの身体状況をぐるりと見回してから提案した。
「此方は構わないから、このあたりでお開きにするか?」
それは先輩の身を案じての進言だった。
たしかに、これ以上朱里ちゃんが関わったら、嫌な予感がしているのは否めない。
わたしも、それを支持することにした。
「そうだよ。朱里ちゃん、もうそろそろやめよう? オカルトが本当に存在したってわかっただけで、満足じゃない?」
「……ダメだ」
「え?」
「今のだけじゃ、説得力に欠ける。一瞬の出来事だったし。もう少し、確信が持ちたいんだよ」
そういう朱里ちゃんは、どこかムキになっている様子だった。
わたしの説得が、逆に朱里ちゃんをその気にさせてしまったらしい。本末転倒とはまさにこれだ。
「いい加減にしなさい。どう考えても危ないでしょ。私たちが立ち入っていい問題じゃないのよ」
「だから、それならついてこなくていいって。勝手に帰ってればいいだろ」
クールダウンさせるための葵ちゃんの一言も、ここでは燃料にしかならなかった。今の朱里ちゃんに何を言っても、焼け石に水だと、わたしは直感した。
「そんなわけで、あたしは大丈夫だから」
禍鱗ちゃんに向き直って、朱里ちゃんは継続の意思を告げた。
「…………それなら、いいのだが。ゆめゆめ、あの約束を忘れぬようにな」
「おう」
……あの約束事の真実味が格段に増しているにも関わらず、朱里ちゃんは即答だった。
「では」
といって、禍鱗ちゃんは見回りを再開した。
……相変わらずわたしは不安なままだったけど、これほど頼もしい味方がいるっていうのは安心以外の何ものでもない。
けれど――それは、依存というものだ。
依存。
それはすなわちそれがなければ、土台は一気に、大いに崩れ去るということ。
異常、異状、異質。
そんなものに関わっていたら、なおさらである。
その意味を。
わたしは――予期することができなかった。
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