第五章 非科学的な非現実(上)
「ふおおおおおおおおおおおおお!」
朱里ちゃんが興奮した声を出した。さながら、格好いい自動車を目の当たりにした男の子のように。
興奮した対象はものじゃなくて、人だけど。
「どうしたのだ朱里先輩……」
怪訝な目で、朱里ちゃんに視線を返す禍鱗ちゃん。
その姿は、制服ではなかった。
あの、真っ黒軍服だ。あの日と全く同じ装い。腰に刀を三本提げているのも同じ。
そんな姿に、朱里ちゃんは興奮していたのだった。
「それでは行こう」
人員が揃った(というか、禍鱗ちゃん以外は最初から揃っていた)のを確認すると、禍鱗ちゃんは先頭を切り歩き始めた。
それにわたしたちも続く。
夜。真夜中のことだ。
こんなことして、本当に大丈夫かなあ……。
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てっきり、キッパリ断られると思っていた。
だって、禍鱗ちゃん、人といるの好きじゃなさそうだし。それも、魔性斬りとしての仕事中に。
けれど、禍鱗ちゃんが実際にその問いに答えたのは、
「……構わないが」
という半ば承諾の意思だった。
「マジか!」
朱里ちゃんは目をキラッキラとさせていた。変化を望んでいた彼女からすればそれは歓迎されるべきことだったのだろう。
それとは対照的に、葵ちゃんの顔には焦燥が浮かんでいた。こちらは、変化を望まず今を受け入れるという方向性の現れだった。
「少し待ちなさい。そんな場所にいられちゃ邪魔で仕方がないのではないの?」
「邪魔、というほどではないが」
禍鱗ちゃんは区切るように紅茶を一口啜った。
「条件、いや、約束事がいくつかある。これを承知するならば、連れて行ってもいい」
といって、三本、指を立ち上げた。
「……聞こうか」
朱里ちゃんは耳をそばだてるようにして、身を乗り出す。
聞く体勢が整ったと判断すると、禍鱗ちゃんは、一語一句に重みを持たせて、発言をした。
「一つ。見聞きしたことは決して他言無用だ。こんなのは鉄則で当たり前なのだがな。念のため、だ」
「おうよ。これでもあたし、口は堅い方だぜ」
「朱里の場合、話したくても話す人がいないものね」
「んなわけあるかい!」
「ふうん。なら、私たち以外に話せる人がいるのなら、名前を出してみなさい」
真顔で――だけど絶対内心サディスティックな笑みを浮かべている――ここぞとばかりに葵ちゃんが問う。
「い、いるよ。……小泉さんとか」
小泉さんというのはわたしたちのクラスの中の、俗に言う善人キャラであり、みんなから好かれ、信頼を置かれているいい人である。
つまり、誰にでも平等。
「それは話すとは言わないわ。話させてもらっている、が正しいわね。付け焼き刃はいいから、私や黒菜のように話せる人はいるの?」
「う。……じゃ、じゃあ、葵こそどうなんだよ。そんな人、いるのか?」
「そんなものいないわよ」
葵ちゃんは、サラリと返答した。
「……いないのかよ!」
「ええ。朱里や黒菜と同列の存在なんて、私には存在しないわ」
「そ……そうか。そこまでキッパリ言われるとなんか気恥ずかしいな」
「だから、朱里はこれからも私のオモチャでいてね」
「うわーここで堅い友情を確かめ合う場面だろうになんだその一言で台無しにする言葉はっ!」
「私はただ、ありのままの事実を言ったまでよ」
クールな澄まし顔を崩さない葵ちゃんに、わたしは苦笑いした。いつも通りにいつも通りだなあ。
そんな光景を、わたしはホッとして眺めていた。
……と、横から視線を感じてそちらを向くと、困り顔の禍鱗ちゃんがいた。そういえば、話の途中だったっけ。というか本筋だったでしょ。ことある事に脇道に逸れすぎじゃない?
「そこまでね、二人とも。今は禍鱗ちゃんが話す番だよ」
相変わらず言い合いをしているところにそう言うと、物足りなさげな顔で、二人は口論をやめた。分別はっきりしている二人だ。
自分が話出せる場を手に入れた禍鱗ちゃんは、わざとらしくコホン、と咳き込んで、やっと約束その二を始める。
「第一に他言しない。この次に守って欲しいことは『決して軽率な行動をしない』ことだ。魔性というのは人の理を外れたもの。ごくわずかなきっかけでも予測不能の事態が起きかねない」
「……まあ、専門家について行くというのだから、それくらいは当然よね。そもそも、私はついて行くこと自体に反対なのだけれど」
「んあ。それなら葵は来なくていいぞ。あたしと葵の仲だけど、そこまで付き合わせるのは悪いし。ああ、そっちの意向は聞いてなかったな。黒菜はどうする?」
「え、わたし?」
「そうだよ。来るのか、来ないのか」
この勢い。朱里ちゃんはきっとわたしが行かないと言っても禍鱗ちゃんについて行くだろう。それほどまでに、朱里ちゃんにとって魅力的なプランなのだろう。
でもそれは。
ということは。
朱里ちゃんも、『普通』から、足を踏み出してしまう。
『異常』へと。
それは、嫌だ。
嫌だけど、不可避。
たぶん、こうなることはわたしが『そちら』に巻き込まれた時点で決定していたのだろう。少なからず最終的にはそうなってしまうのだろうと、わたしは心のどこかで断定していた。
なら。
それなら、わたしには何ができるだろうか?
最低限。
かけがえのない友達のために。
だったら、答えなんて決まってるじゃないか。
「……わたしも、行くよ」
「うし。決まりだな。なんとなく、そう言ってくれる気はしてたけどな」
「……だろうね」
わたしは、いつでも朱里ちゃんと一緒にいたから。
「誰が、行かないと言ったのかしら?」
わたしと朱里ちゃんでそんなことを話していると、葵ちゃんが仕方がない、という空気を出して言った。
「うん?」
「誰も、行かないと言った覚えはないわ」
「あれ? あれれ?」
しめた、というふうに朱里ちゃんが色づいた。
「葵も、来るんだ。あれだけ行かないよムード出してたくせに。やっぱり、寂しいのか?」
「殺すわよ」
冗談っぽい冗談じゃなさそうな冗談を葵ちゃんは真顔で放つ。
「心配なのよ。朱里みたいな愚かな大馬鹿者が、何かしでかさないか。黒菜は甘いからね。私が直接出張らないと。この、中和剤がね」
胸に手を当て、葵ちゃんは自己を主張した。その間、一度だけわたしに目配せしてきたけど、『あなただけでは不安だ』という意思が表れていた。……まあ、否定はしないしできないけど。
それに……うん。朱里ちゃんと葵ちゃんは二人で一組であるべきだ。なんとなく、そんな気がする。
「そうかよ。結局、ここの全員で行くってわけだな」
決を採る意味はなかったな、とため息をついた。
「……先輩方、もうよろしいか」
禍鱗ちゃんはさっきから居心地悪そうだった。まだ、二日目だもんね。この雰囲気に慣れないのはしょうがないことだ。
「うん。じゃあお願い」
わたしが続きを促すと、禍鱗ちゃんは頷いて最後の約束事へと移った。
「これが、最後であり、そしてとても重要なことだ。心して聞いて欲しい。……此方の活動は、性質上かなり危険な部類に入る。何かをやるものには必ずやられるリスクが伴うというあれだ。であるからして、此方と一緒に行きたいと言うのであれば――」
禍鱗ちゃんは、朱里ちゃんと葵ちゃんを見据えて、言った。
まるでわたしには、言う必要がないかのような対応だった。
それがどういうことか。
答えは簡単で、それでいて残酷な宣告だった。
「――死亡する可能性も大いにある、ということを念頭に置いてくれ」
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