第四章 矛盾存在(下)
「ただいまー」
「戻ってきたか。いやに遅かったな。いったい何をして……お、禍鱗もいるじゃん」
「戻り途中で会ってね。ちょっとお話してた」
適当な理由をでっち上げて、わたしは席につく。その間、小型の洗浄機械を跨ぐことになった。
円盤型のそれは、底面についた回転するブラシで、床を洗浄していた。
血の跡を、洗っているのだ。
「さすがに不気味だと思って、綺麗にすることにしたんだ」
正直ありがたかった。この血痕を見るたびに、あの時のことが甦ってきて、いい気持ちにはならなかったからなあ。
これでわたしの血という証拠もなくなる。
「ああ……ごめんね、ドジしちゃって」
「いいよいいよ。結局新入生用の何かは作れてないけど、禍鱗がここに来てくれたしな。結果オーライだ」
「此方がどうかしたか?」
わたしの隣に座りつつ、自分の名を呼ばれたことに禍鱗ちゃんは首を傾げる。
「部員の話。実際、後輩ってもんは欲しいものだったし」
ちなみに。スポーツが大の得意な朱里ちゃんだけど、意外や意外、中学の時に何の部活にも入っていなかった。「性にあわないんだよなあ」みたいなことをよく零していたけど、わたしは朱里ちゃんの適応能力の皆無さに問題があるように思う。朱里ちゃんは、人に合わせるのが大の苦手なのだ。少数どころではなく大多数で組織される部活に馴染めなかったのも無理はない。
そしてわたしは普通らしく美術部に入っていた。活動が週数日の無理ない部活で、まあ楽しくやっていたように思う。帰宅部で暇な朱里ちゃんがよく足を運んでくれたっけ。
葵ちゃんはむしろ、卓越しすぎたがゆえの帰宅部だった。こっちは大いに納得。どれかに属していたら絶対選手権とかで好成績を残すんだろうなという期待はあったけど。まあ、朱里ちゃんが帰宅部なら葵ちゃんも帰宅部だよね、という理論はあながち間違っていない。この二人は正反対に見えて、切っても切り離せない関係なのだ。炎と氷。中和し合う関係、みたいな。
とにかくそういうわけで、わたしたち三人は後輩という後輩を今の今まで持ったことがなかったのである。
「そうか。ではこれからも末永くよろしく頼む、葵先輩、朱里先輩」
葵ちゃんも朱里ちゃんも、突然の先輩呼びにピクリと反応した。やっぱり、そうなるよね。わたしも感動しちゃったもん。禍鱗ちゃんっていう少し特殊な子に呼ばれたらなおさら。
「……こっちからもよろしく頼むよ、禍鱗後輩!」
ものすごく楽しそうな顔をして、朱里ちゃんが言った。
「私からも、お願いをしておくわ」
さしもの葵ちゃんでさえ、この態度だ。初の先輩呼び、それは動じない葵ちゃんの心にも突き刺さったのかもしれない。
「で、さ。禍鱗ちゃん、ここに入ってくれるのは嬉しいんだけど、残念ながらわたしたち、これといってオカルトチックなことは何もしてないんだよね」
「そうなのか。……だが、ここはいい。自然と心が和む。茶もあるしな」
自分のもとにあるお茶を啜って、禍鱗ちゃんは満足そうに頷いた。……早くもここがお茶をしてぐだぐだする部活だと察してしまったらしい。
「そもそも、仕事を持ち込もうとは端から思っていない。業務は自分のみできちんとこなす。ここには情報交換程度の期待しか抱いていないさ」
ザ・プロといった物言いだった。
しっかりとした美学があるなんて格好いいなあ。
「……悪いけれど、情報交換といっても私たちはそんな情報持ち合わせていないわよ?」
「……。何か、些細なことでもいいからないのか? 最近、変だと思われることとか」
「あ、そんならあるぜ」
落胆を露わにする禍鱗ちゃんに、ちょうど気づいたように朱里ちゃんが反応する。
「では聞こうか」
あぐら(きっちりしてるから座禅?)を正しながら禍鱗ちゃんは朱里ちゃんに真正面で向かい合う。
「まあ、禍鱗の想像よりはしょぼいかもしれないけどさ」
そう前置きしてから、朱里ちゃんは話した。
「あたしたちが一年の三学期から、生徒がいなくなってるんだ」
前も話したあの話題だった。
たしかに、これが唯一わたしたちが知っている怪奇現象(と言えるのかはわからないけど)だ。
「いなくなっている?」
疑問に首を傾ぐ禍鱗ちゃんに、目の当たりにしたわたしが補足する。
「一人、また一人って感じで、どんどん休む人が多くなっていったの。それだけならまだしも、休む期間は春休み挟んで二年生の今も継続中で。これはおかしいんじゃないかなあってね」
これは確認済みだ。なぜか休んだ全員が一年生の時のわたしのクラスで、二年生のクラスでは、休んだ人が均等に割り振られていた。当然、わたしのクラスにも最初から来ていない人がいた。
まあ不思議だよね。色々と事情があるにしても、これって偶然?
非現実が近くにあると知った今となっては、誰かの作為を感じずにはいられない。
「……ふむ」
顎に手を添えて思案中の格好だった禍鱗ちゃんは、やがて声を漏らした。
「たしかに、不自然だな。特に休んだ者が均等に振り分けられているあたり。まるでもう来ないことを知っているかのようだ。気の病気ならきっかけがあれば治るかもしれないのに」
「……禍鱗は、どう判断するの」
興味本位といったふうに葵ちゃんが聞く。
禍鱗ちゃんは面白くもなんともない感じで、淡々と推測を述べた。
「誰かの意図によるものだと仮定するなら。間違いなく、この学校に属すものの犯行だ」
「へえ。その心は?」
「まず、黒菜先輩のクラスだけが休学者を出したのがあからさまだ。こんなの、疑えと言っているようなものだろう。外部犯の場合、ここの情報セキュリティ諸々の観点から、それは無差別になるはずだ。このことから犯人は元黒菜先輩のクラスにいると思われる」
滔々と語る禍鱗ちゃんとは裏腹に、妙に確信的だった。
となると、気になるのは一つ。
犯人による仕業だとすると、では、休んでいる人とはどういった意味合いを持つのだろうか。
「禍鱗ちゃんの思う犯行内容ってどんなの?」
「殺害」
わたしの問いには即答だった。
しかも思いっきり不穏なやつを。
さすがの朱里ちゃんも凍りついていた。葵ちゃんはいつも通り飄々としてたけど。
「帰って来ない者達。その末路がどうなっているかを考えれば、想像にかたくないだろう」
それはあの時葵ちゃんが零していた推測に合致していた。
もう死んでいる。
それなら、誰一人として復活しないのにも頷ける。
でもそれはたとえどれだけ説得力があったところで、「あっ、そうだったんだ!」みたいな明るい空気になんてなるわけがない。
シーン、と。部室の中は静まり返った。
「…………、」
どことなく気まずいお通夜ムードが漂い始めたところで、我慢しきれなくなったように朱里ちゃんが「わー!」と大声を出した。
「どしたの朱里ちゃん」
「こんな話やめだ! それより禍鱗にお願いしたいことがあるんだけど」
「なんだろうか?」
「あたしたちを現場に連れてってくれ!」
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