第四章 矛盾存在(中)

「彼方たち、どうしたのだ?」


 竜田河禍鱗ちゃんは、そう言って首を傾げた。それはあまりにも純粋そうで、多様な面で卓越している禍鱗ちゃんが、高校生であることを示す、数少ない光景のように思えた。

 今日は金曜日。今日の今週いっぱいまでまで学校は説明がメインで、午前中で放課という日程だった。

 わたし、そして葵ちゃんは朱里ちゃんと一緒に部室に行ったあと、トイレという名目で抜け出して、禍鱗ちゃんの所属しているクラスへと赴いたのだった。

 ちなみに、わたしは絶賛絶食記録更新中である。昨晩も食べなければ、朝も食べない、昼も食べていない。

 それに、眠れなかった。人間には誰にでも備わっている寝るという機能が、なくなってしまったみたいに。

 当然ながら排泄行為も全くない。汗だって一滴もかいていない。

 さすがに、そろそろわたしがどういう境遇に位置しているのか、いよいよ知らなければいけなくなってきた。

 そうでなければ、狂い始めてしまう。


「話したいことがあって」


 わたしは切り出した。自分の領分のことは自分でやるべきだ。


「ふむ。……此方はもとよりあの部屋へ向かうつもりだったのだが」


「今、話したいの」


 言いつつ、身を乗り出すわたしを見て、そこから流し目に葵ちゃんを捉えると、得心いったというふうに頷いた。


「……なるほど。そういうことか。あくまで『無関係』な人間は巻き込みたくないということか。そんなことをしても、ズレたものはズレる。時間の問題だと思うがな」


 まあいいだろう、と禍鱗ちゃんは立ち上がった。


「では、どこで話す。聞かれては面倒なことなのだろう?」


「うん。行こうか」


 わたしは禍鱗ちゃんを先導するようにして、歩みを始めた。



 あんまり長いと朱里ちゃんに怪しまれるので、葵ちゃんには部室へ戻ってもらった。

 というのは建前で、話を聞かれたくなかった、ということが一番の理由だった。


「たしかに、ここならば問題はないな」


 到着したのは、ひたすら階段を登った末の最上階。屋上である。といっても、鍵が閉まっているため屋外には出られないので、そのドア前の踊り場のようなところだ。

 ここは、本当に誰も足を踏み入れないようで、床の表面は埃でコーティングされてしまっている。

 さて、本題に入る前に、この際気になるところはとことん指摘しておこうか。


「あ……えっと、本筋とは全く関係がなくて恐縮の至りなんだけど……」


「なんだ?」


「禍鱗ちゃんって、一年生だよね」


 できるだけ深刻そうに、言い放った。

 だがわたしの意図は伝わらなかった。


「そんなことは聞かずともわかると思うが……」


 単純に、首を傾げられただけだった。

 ううん、この子かなり鈍感なのか。しゃべり方というかパッと見からわかってたけど。そもそもこのご時世、自分のことを此方だったり他人のことを彼方なんか言ったりする?

 とことんにとことん、時代錯誤だ。

 とにかく、わたしは言った。


「一応、わたしとかは先輩ってことになるんだけど。禍鱗ちゃん、謙譲とか尊敬とか丁寧とかは大丈夫?」


「敬語ならば、此方にも心得はある」


「それなら、もう知り合いなんだし、さすがに呼び名が彼方はやめて欲しいって言うかなんていうか……」


「うむ。此方には人付き合いというものがなくてな。すまない。で、候」


 無理矢理、文末に丁寧語を入れてきた。


「いやいや、敬語っていってもそういう古文的なことじゃなくてね」


 なんかよく噛み合わないなこの子。

 本人は大真面目で言っていそうだからなんとも言えないけれど、古代人かなこの子。

 わたしはあっさりと従順な後輩育成計画を破棄した。


「……まあ、しゃべり方は禍鱗ちゃんのパーソナリティーだからこうしろとは言わないけど。せめて、わたしたちをしっかり名前で呼んでってことだね」


「はあ。なら、鴉日殿」


「なんでそうなる」


 思わず素で突っ込んでしまった。


「簡単でいいんだよ。それにもう少し砕けてても。たとえば……黒菜先輩、とか」


「……それは彼方が呼ばれたいがために言っているわけではなく?」


「そ、そそ、そんなことはないよ」


 わたしは空々しく口笛を吹いた。

 まさしく図星であった。

 だって、欲しいじゃん、後輩。呼ばれたいじゃん、先輩。


「黒菜先輩」


 突然のリクエスト通りの呼び名に、わたしはビクッと身を震わせた。

 もちろん呼んだのは、目の前にいる底の知れない後輩である。


「……これで、いいのか?」


「う、うん。ありがとうね」


「感謝される覚えはないが……」


「朱里ちゃんと葵ちゃんも、その方針でよろしくね」


「了解した」


 即時の返信で承諾を得たわたしは、脇道に逸れていた話題を元に戻すことにした。


「話は変わるけれど」


「ああ」


 雰囲気から察したのか、禍鱗ちゃんも真剣な声音で答えた。……いや、禍鱗ちゃんはいつも真剣な声音か。

 ともかく、わたしは聞きたいことを質問する時間へと移行する。


「禍鱗ちゃんは――まだ、わたしを殺す気があるの?」


 第一がこれだ。悪い人ではなさそうなんだけど、やっぱり恐怖は完全には拭えない。できれば、ここで言質を取っておきたかった。想像とは逆を行く可能性ももちろんあったけど。

 禍鱗ちゃんは、首を振った。

 横に。


「此方が討伐の対象にするのは、害をなすものだ。黒菜先輩は、純正だから、此方が黒菜先輩を標的とする道理はない」


「そう、なんだ」


 文脈から、純正というのは、害のない魔性、ということなのだろうか。

 とにかく、当分は命の危険がないことを確認できて、わたしは安堵した。

 しかし、それだけ。

 本命はこれからだ。


「じゃあさ、あの時――わたしの腕を撥ねたのは、襲ってきたのは、なんで?」


「当然、黒菜先輩が魔性だったからだ」


 サラリと、禍鱗ちゃんは言いのけた。

 その言い口が自然すぎて、わたしは一転、絶望に包まれる。


「……禍鱗ちゃんは信じてくれないと思うけど、わたしには、なんの自覚もないんだよね。あの日まで、わたしはただの普通の女子高生だったんだ」


「ならば後天性なのだろう」


 容赦がなかった。でも変にはぐらかされるよりは、こうしてハッキリ言ってくれた方がありがたかった。

 気持ちも切り替えやすい。

 その分、のしかかるショックも大きいものがあったけど。

 わたしは、人間ではもうなくて、魔性の存在へと変貌していたらしい。

 ……うん、全然受け止められてないけど、状況が一気にわかりやすくなった。

 でも当然、わかればわかるほど疑問が増していくこともあるわけで。


「でも、いったい、わたしは何になったの……?」


「それはどういった種類の魔か、ということか。そうだな……。ではこちらからも質問だ。最近、変わったことはないか?」


 これには答えではなく、反問で返された。

 最近、変わったこと。

 変わったことしかない気はするけど、食欲がないこと。睡眠欲が湧かないこと。人間に備わっている様々な機能が、停止している状態だということ。


「そういうことではなく。此方はきっかけの方を問うたつもりだったのだが……まあいい。事実確認だ」


 といって、禍鱗ちゃんはおもむろに――わたしの左胸に、触ってきた。


「えっ、ちょ?」


 わたしはびっくりして飛びすさることすらできなかった。なになに、禍鱗ちゃんにはそんな趣味が……?

 目を瞑り、さすさすと周辺を撫で回していた禍鱗ちゃんは、「やはりな」と目を開けた。

 やはりって、わたしのカップが予想通りだったってこと? そりゃあ、見ても見なくてもなんとなくわかっちゃいそうな大きさだけどさ……。

 混乱して、思考があらぬ方向へと向かってしまっているわたしを他所に、禍鱗ちゃんは淡々と告げる。



「黒菜先輩は、もう既に、死んでいる」



 それは唐突で、昨日に引き続いた宣告だった。

 受け止めきれないわたしは、とっさに反駁を口にする。


「でも、わたしは今こうしてここに生きてるよ……?」


「では、黒菜先輩は異変の見られたここ数日、自らの心音を聞いたことはあるか?」


「なに、言って」


「念のため、心臓の鼓動があるか確認したが……」


 禍鱗ちゃんは、今度は自分の胸に手を当てて、結果を口にした。


「止まっていたよ。静かに。なんの動きもなく」


 サッ、と血の気が引いていく錯覚を覚えた。しかしそれは錯覚でしかなく、実際にわたしは悪寒も何も、感じていなかった。

 血が、通っていないから。

 血が?

 わたしの、血?

 刹那、一昨日、禍鱗ちゃんに襲われた時のことがフラッシュバックした。

 呆気なく腕を撥ねられて、なくなって。

 肩口が、切断面になったはずなのに。

 血は一滴も、出ていなかった。

 あの時。

 わたしには、切り離された腕の感覚が、そのまま健在していた。

 なんで?

 普通、断ち切られてしまったら、否が応でも脳の支配下を離れるはずなのに。

 なんで、手を開いたり閉じたり、肘を曲げることさえできていた?

 そんなの――

 化け物の、所業だ。

 ああ、今実感できた。

 わたしは化け物になったんだ。


「……もうわたしは正真正銘、人間じゃないってことか」


「だが、黒菜先輩からは、魔性こそ感じるものの、それが歪んでいるような、不自然な感じがする」


 腕を組み、腑に落ちない表情で禍鱗ちゃん。


「……あの血」


 やがて、階下の方を見ながら、口を開いた。


「あれは黒菜先輩のものだろう?」


「……うん、よくわかったね」


「なんとなく、そう思った」


「なんとなくかい。もっと確証あってのことだと思ったよ」


「非現実を専門とするなら、直感が最重要だ」


「魔性斬り、か。そういえばあの時、どうやってあの刀をわたしに届かせたの? 伸びてるとかじゃなさそうだったけど」


「別に。ただ、居合をしただけだ。此方の太刀筋は、魔性戦において距離的制約を無視する」


「え、なにその無敵な能力……。ということは、透明な見えない剣が、わたしを絶ったってことか」


 伸びた、という一度は捨てた仮説が合っていたらしい。予想外、というか理不尽すぎる能力で。


「……じゃあ、なんで軍服を着てたの」


「あの格好は此方の最高のパフォーマンスを出すのに不可欠なのだ」


「コスプレじゃなかったんだ」


「? コス……プレ?」


 そもそも言葉の意味すらわかっていなかった。


「ああ、いや、こっちの話。となると、禍鱗ちゃんがあの時間あそこにいたのは……」


「見回り、というのが似つかわしい。此方はああして毎日深夜を徘徊し、魔性を狩る。そんな時、あからさまに怪しかった黒菜先輩を見つけ、戦闘に相成った」


「戦闘というより、わたしにとっては翻弄でしかなかったけどね……」


「手始めに腕を撥ねて、そこでおかしいことに気づいた」


 ねえ。手始めにそんなことしちゃうとか荒っぽ過ぎない?

 ねえねえねえ。


「黒菜先輩は、反撃しないどころか、腰を抜かしてしまったのだ。魔性なのに、だ。大抵の場合こちらを殺しにかかってくる魔性がかかって来ないのを見て、此方は黒菜先輩が純正であると断定した」


 どうやら禍鱗ちゃんは先制攻撃を決めてから、そのあとで判断するようなことをしているようだった。

 というか、禍鱗ちゃんの行動の方が常人離れしている気がするんだけど。

 しかも、運動補助の装備をしていたとしても、あの動きはおかしい。

 それにあの時代錯誤感。何もかも古風な禍鱗ちゃん。


「……もしかして、禍鱗ちゃん、強化装備をいっさい使ってなかったりする?」


「強化装備とは? 此方の武装は日本刀だけだ」


「……マジか」


 あの芸当を、一人の力で。


「まさかだけど、禍鱗ちゃん自身が魔性だったりするのかな」


「いや。此方はその手の専門家ではあるがそのものではない」


「でも、だとしたらどうやってあの時あんな早く去ったの?」


「正確にいうとすれば、移動術式、強化術式、幻覚術式の併用だ」


 一気に非現実感が増した。

 術式……術式ねえ。

 それこそ、物語の中でしか聞かなかったワードだ。

 でも、禍鱗ちゃんを見てるとそんなことが現実にありえるような気がしてくるんだよなあ。それに、今やわたし自身が非現実な存在なんだから疑うことはできないか。


「オカルトは存在していた……か」


 数日前までは、鼻で笑えるほどの話題だったのに。

 常識はもう覆ってしまっている。

 あーあ、やだやだ。

 なんでこんなことになってるんだろうなあ。

 そうなる運命だった、と言えば聞こえはいいけど、こちらとしてはいい迷惑だ。本当の本当の本当にわたしにとって迷惑でしかない。

 いつもの日常。

 それはもう、戻ってこない。


「はあ……」


「どうした黒菜先輩。何か悩ましいことでも?」


「うん、まあ色々と。いいや、全部が悩ましいよ」


「気苦労の多い性格なのだな」


 まさに他人事のように言う禍鱗ちゃんだった。

 まあ、彼女にしてみれば、こういった異常こそが正常なのだろう。

 そういう人生を歩んできたのだろう。それでこそ今の禍鱗ちゃんになったんだろうと、わたしは思った。

 そうやって割り切ってしまえたら、わたしも楽になるのだろうか?

 でも、割り切ってしまえば、その分何か大事なものを失ってしまう気がした。

 結局わたしは板挟み。自分で何かを決定するにはまだ未熟だった。

 だから今は――等身大の、できることをしていこう。

 情報を集める。

 その一点に重きを置く方針を決めて、わたしは禍鱗ちゃんとのお話を終えた。

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