第四章 矛盾存在(上)
夜。ベッドの上で寝転がっていると。
チャルラルラルラン、と携帯端末の着信が鳴った。
「……もしもし」
『私なのだけれど。今時間いいかしら?』
相手は葵ちゃんだった。
「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」
わたしは努めて元気な声を出した。
あのあと、しばらく沈黙を経たあと、苦笑いした朱里ちゃんの「冗談キツイぜ」というセリフから、色々とあやふやのまま、今日のオカルト研究会はお開きになったのだった。
そこからのこの電話。てっきり「あんなのは気にしなくていいわ」なんていう言葉が飛んでくるのかと思ったけど、実際には違った。
『少し、教えて欲しいのだけれど』
「うん?」
『部室のあれ、あなたの血よね?』
「……え?」
危うく、携帯端末を落としそうになった。
なぜ、わかってるの。
なぜ、わかったの。
「血って……葵ちゃん冗談が上手いなあ。なんでいきなりそんなこと」
『誤魔化さないでいいわ』
ピシャリ、と葵ちゃんが突き刺すように言った。
『わかってるから』
「なに、が?」
『私、目が悪いのと引き換えに他の感覚が優れているの。もちろん嗅覚もね。朱里は気づかなかったようだけれど、私にはわかったわ。……ほのかに漂う血の匂いにね』
どんなに簡素でもあの時処理しておけば良かったと、後悔した。
わたしは息を呑んで、次の言葉を待った。
『ねえ――昨日、何があったの?』
「そ、それは――」
もう、隠していられない気がした。
このまま話してしまったら楽になるんじゃないか。
でも、いいのだろうか?
巻き込むことになるのに。わたし個人の出来事に。
それはたとえ友達でも許されることなのだろうか?
そんなことを議論する余地もなく、わたしの口はあった事実を滔々と語り始めてしまっていた。
戻ることは、できない。
『……ありがとう』
「え」
なんで感謝をされたのか。巻き込んでしまったのに。
わからなかったけど、葵ちゃんは続けて言った。
『話してくれて。打ち明けてくれて。黒菜は勘違いしているようだけれど、相談されるのは嬉しいし、それだけ親しくなったという裏返しでもあるの』
「そう、なんだ」
『ええ。面倒事が持ち込まれるのは、むしろ歓迎よ』
ふっと、力が抜けていく気がした。
心が軽くなったように感じられた。
しかしそれとともに、本当にこれで良かったのかという疑心暗鬼な側面は、未だに存在していて。
とても、複雑な気持ち。
普通に生活していたら、一回も体験しなかったような。
『とりあえず、状況は理解したわ。辛かったわね。愉快犯的犯行に、竜田河禍鱗の出現。けれどこの出来事が繋がっている可能性はないかしら』
「繋がってるって?」
『同一犯の犯行という可能性よ』
「最初のも禍鱗ちゃんの仕業だって?」
『そう』
「それは、ないと思うな」
そのことについては自信を持って言えた。……根拠はないけど。
「今日のこともあるけど、禍鱗ちゃん、あんな残忍なことはしないと思う。それに、魔性斬りって自称してるのに人襲ったら問題でしょ」
『でも腕、撥ねられたんでしょう?』
「う……それはそうだけど……。く、くっついたんだからいいんだよっ!」
『それよ。斬られた腕がくっついたっていうの、信じられないんだけど。それに、その時黒菜を襲ったっていうのがいかにも怪しいのよね』
そうだ。
禍鱗ちゃんが襲ってきた理由はなんなんだろう。
魔性斬り。
魔の、専門家。
そんな彼女が、わたしを襲った。
それはわたしが魔性だったから――?
『こういう時は、本人尋問が手っ取り早いわ』
双方考えていると、葵ちゃんがそんなことを言った。
「尋問って……」
『明日、聞きに行くのよ』
「……考えるよりはそれが一番かもね」
『ええ――それと、何もかもの元凶を捕まえましょう。卑劣なものには鉄槌が下るべきよ』
いきなり、葵ちゃんの声に殺意がこもった。素直に怖かった。
「そ、そうだね」
まあ、この意見には賛同だ。あれさえなかったら、わたしは今も普通の日常を享受できていただろうから。
あれさえなかったら。
けれど事はもう起こっていて。
それは願望でしかないけど。
「じゃあ、明日から頑張ろう!」
わたしが言うのは変だったけど、言うことはもう言い切った。
『手筈通りにね』
これにて葵ちゃんも言うことを終えたようで、マイクの向こう側でほっと一息ついていた。
そして、ポロリと独り言のようなものが聞こえた。言い終えたことに満足してしまって、電話を切ったつもりになってしまっているのかもしれない。
『……それに、実は私も――』
何か、しゃべったようだけど、よく聞き取れなかった。
ジジ、ザジジザザザァ……と突如ノイズが発生したのだ。
ハウリングでもしたのかな。
小型のそれを耳に当てながらそう見当したわたしは、これ以上聞くのは盗聴まがいのプライバシーの侵害になってしまう気がしたので、そっと接続を切った。
青山葵ちゃん。
完全無欠な彼女がいったい何であるのか、この時のわたしには知る由がなかった。
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