第三章 天敵と後輩(下)

 お昼が食べ終わると(わたしは食べてないけど)、そのままみんなでオカルト研究会の部室へ向かった。

 生徒証でドアを開けた時に、忘れていたことを思い出した。

 あ、やばい。


「ひっ――!?」


 その場で朱里ちゃんが飛び上がった。


「こ、これは――?」


 さしもの葵ちゃんでさえ、動揺を隠せていなかった。


「…………、」


 対してわたしは、やってしまった感でいっぱいになっていた。

 そう。

 昨日の夕方、何があったか。

 部屋の入り口付近には、ゾッとするような血痕が存在感ましましで残っていた。


「え、えっと……」


 弁解しようとして己の失態に気づく。これでは、自分が関わっていると言っているようなものだ。知らぬ存ぜぬで、わたしが忘れ物を取ったあとに起こった怪奇現象、で済ませることができたというのに。

 けれど時を戻すことはできない。二人の視線はわたしに集まってしまっていた。

 どうしよう。


「……赤いペンキを、零しちゃって……。わたし、新入生歓迎用のオブジェクトを作ろうとしたんだけど、やっちゃった。やっちゃって気が動転して、最終的に何もやらずに帰ったんだけど……」


 苦し紛れの言い訳だった。

 ほら、二人とも怪訝な目でわたしを窺ってるよ。

 でもこれが血の跡だと知れたら二人はどう思うのか想像できないし。

 そうして迷っていたら、ガッ、と朱里ちゃんがわたしの両肩を掴んだ。

 間近に迫るその顔は――キラキラと輝いていた。


「そうか! そのために黒菜は昨日引き返したのか。あたしたちに内緒で驚かそうとしてたんだな!」


「あ、えと、うん」


 誤魔化せた、のかな。

 まあとりあえず朱里ちゃんはそのままに受け止めてくれたらしいから良しとしよう。葵ちゃんは静かに口もとだけで笑んでいる。


「でも、事故っちゃったから何にもできてないんだよ」


 一応、通った嘘をつき続けておく。


「いいんだ。その気持ちだけでも嬉しいから!」


 純粋な満面の笑みだった。時折見せる朱里ちゃんの素の表情は可愛い。


「あなたが嬉しんでどうするのよ朱里。黒菜は新入生のために作業を未遂したんでしょ」


「……。たしかに、それもそうか。じゃあ今からでも始めようぜ」


「その前に」


 葵ちゃんはそう遮って、華麗な足さばきで妖艶に指定席(ここから見て、ちゃぶ台の右奥)に足を折って正座になった。


「ひとまず休憩にしましょう」


 と言って葵ちゃんは給仕ロボットを操作した。

 その態度にそれもそうか、と朱里ちゃんとわたしも指定席に座った。

 まもなく、飲み物は運ばれてきた。今日はコーヒーでなく紅茶だ。


「結局、こういう時間が一番よね」


 食後のティータイムを嗜みながら(様になりすぎていて怖い)、葵ちゃんがポツリと零す。


「うん。いいね、リラックスできてる感じがする」


 わたしも力の抜けた前進を後ろに倒しつつ同調した。


「やっぱりあたしは変化が欲しいけどなあ」


 けれど一人、朱里ちゃんだけは反旗を翻した。

 即座に葵ちゃんが反応する。


「それをないものねだりというのよ。いや、それ以下ね。起きないことを渇望しているように振舞ってはいるけどその実今の状態に満足してるんでしょう」


「そうなのかもな。でもよ、ずっとおんなじだと飽きるのは当然ってものだぞ」


「飽きるのは贅沢者がするものよ。それか欲張りね。もしもだとか、そんな非現実は考えずに、素直に満足しておくべきよ」


「むう、非現実か……」


 朱里ちゃんは困ったように唸った。言論戦で葵ちゃんに勝つのは至難の業だ。

 それとは別に、わたしは言葉の片隅がどうも引っかかった。

 非現実。

 昨日までそんなことはないと断じていたけれど、今となってはどちらなのかわからなくなっていた。

 最初の滅多刺しはまだ説明できるのだ。この時代、瀕死によく効く薬なんて多くあるし、それを投与されたと考えれば納得できる。

 非現実的だったのは、そのあとの軍服少女だ。やっぱり、一太刀でわたしの腕が撥ねられるわけがないように思える。

 長さのリーチをなんとかするなら方法はある。たとえば刀身をレーザーにするとか、伸びる刀だった、とか。

 でもそれなら、わたしの視界に入らないわけがない。腕を斬るなら、たとえ背後からでも切っ先が見えないはずはないのだ。

 しかし真実、斬られた。この場合は飛ばされた、と言った方が似つかわしい気がする。

 非現実的なのはそれだけに留まらない。

 あの、立ち去る時だって。

 よく考えてみたら、あんな人間離れした動き、強化装備の力を借りてもできないだろう。

 とどのつまり、わたしが疑問なのは。

 あの少女は、いったい――

 トン、トン、と。

 不意に、静かにドアがノックされた。


『入部希望なのだが。ここはオカルト研究会で正しいか?』


 そんな声が、ドア越しに聞こえてきた。


「噂をすればなんとやらか。なんにもしてないのに早速来たぞ、新入部員」


「まだなんにもやってないのに……。わたし、びっくりしちゃったよ……」


 はは、と笑ってドアに一番近い場所にいるわたしはドア横のスキャナーへ向かう。

 ドアについている窓は曇り硝子なので(中を窺われないようにという葵ちゃんの配慮だ)、外の様子は窺えない。ドア前に訪問者が待機していることはわかった。


「はいはい今出まーす」


 生徒証をかざすと、ドアは横開きに開く。

 そして。


 わたしは――腰を抜かした。


「わ、わわ……」


 スラリと、背丈の高い、大柄ではなく長いと言える身長。

 こちらを見下すのは、キリッとした、針のような鋭さを持つ双眸。サラサラと揺れている長い髪。

 服装こそ違えど、これは間違えようがない。

 どう見ても――あの、コスプレイヤーの皮を被った殺人鬼だった。

 今日、チラチラと見えていた幻覚だと思い込んでいた人物。それこそが彼女だった。彼女は、幻覚でなくて本当にそこにいたということだ。

 瞬間、もう生きた心地がしなかった。

 昨夜の出来事が甦る。

 どうやら刀は持っていないようだけど、この子ならわたしを殺しかねないという確信がある。


「……ふん」


 だけど、彼女はわたしを興味なさそうな目で見て、鼻を鳴らしただけだった。


「邪魔をする」


 言いつつ、彼女は部屋の中へ入っていった。

 途中、血の染み込んだ畳をチラリと見たが、これにも無反応で葵ちゃんの隣に進むとあぐらをかいて座った。

 生命の危機は脱した、らしい。わたしも後ろに続いて、彼女の隣に座った。

 まだビクビクものだけど、彼女に敵意はないようだった。


「めっちゃびっくりしてたけど……なに、黒菜知ってるのこの人」


「い、いいや?」


 誤魔化す必要はないと思うけど誤魔化した。


「ドア開けてすぐそこにいたからびっくりしちゃって。背も高かったし」


「なるほど」


 納得したのか朱里ちゃんは頷いて、入部希望者の方に向き直る。


「あんた、本当に入部希望者か?」


 歳下なのがわかっているからか、朱里ちゃんは流暢に話した。


「ああ」


「オカルト研究会?」


「ああ」


「そうか、ついにここにも後輩が……」


 ジーンと来たように、朱里ちゃんは鼻頭をつまんだ。

 感無量な空気を十分に醸し出してから、朱里ちゃんは頬をかいた。


「んじゃ、どっちから自己紹介と行こうか……」


「私は、青山葵。二年よ。よろしく」


 悩ましげに腕を組んだ朱里ちゃんなんてどこ吹く風、葵ちゃんがトップバッターで自己紹介した。


「あ、ずるいぞ抜け駆けしやがって……。まあいっか。あたしは赤里朱里だ。葵と同じ二年」


 恨ましげに葵ちゃんを見つつ、朱里ちゃんがあとに続く。

 順番的に、次はわたしだった。


「あ、またまた同じく二年の鴉日黒菜です……」


 わたしたちの自己紹介が終わると、入部希望者はわたしたちを見直して「青山葵、赤里朱里、鴉日黒菜」と確認するように繰り返した。


此方こなたの紹介が遅れたな」


 ずいぶんと古風な一人称(なのかな?)を用いて少女は続けた。


「此方は一年、竜田河禍鱗たつたがわかりんだ。よろしく頼む」


「おう。呼び方は禍鱗、でいいか?」


「ああ。差し支えない」


 そう言って、入部希望者改め禍鱗ちゃんはもう一度わたしたちを交互に見回した。


「……ふむ。ここは面白い人材が揃っているのだな」


「一目見てそれがわかるなんて、あなた中々にいい目をしているわ」


 葵ちゃんは値踏みするような目で禍鱗ちゃんを見ていた。

 そんなことは気にも留めず。


「さて此方は魔性斬りであるが、彼方たちの二つ名はなんだ?」


 唐突に、禍鱗ちゃんは切り出した。

 って、今なんて?

 魔性斬り?

 二つ名?


「なんだあ、それ?」


 疑問を感じたのはわたしだけではないようで、朱里ちゃんが代表して問う。


「む。ここはオカルト研究会だろう。怪魔についての専門家の集まりではないのか?」


「話が突飛だわ」


 断ち切るように葵ちゃんが口を挟んだ。


「まあ、名前が名前だし、ここがオカルトについて研究する会だと思って来たのなら仕方がないと思うけれど……専門家、と言ったわね。誤解のないように言っておくわ。わたしたちはそういう集団じゃないの。でも、差し支えないんだったら教えてくれない?」


 この対応はさすが、というべきだろう。そういうのではないからと突っぱねるのではなく、あくまで話を掘り下げに行っている。せっかく来た新入部員を帰すまいとの配慮だろう。

 でも、それにしては、前オカルトなんて存在してないと言っていた割には、いやに積極的な気がした。

 まあ、気のせいか。

 禍鱗ちゃんはというと、少しだけ残念そうな顔をしていた。


「そうだったのか。ついに同業と会ったと思ったのだが、やはり違ったか。……だがまあ、話すのはやぶさかではない。こうしてここに踏み入れたのも何かの縁、大まかになるかもわからないが説明しよう」


 そこまで言って禍鱗ちゃんはちょうど運ばれてきた新たな紅茶に口をつけて唇を潤した。

 ……本当に今さらかもしれないけど、この子一応歳下なんだよね?

 後輩っぽくない……かといって、傲岸不遜ってわけでもないけど。上下関係を取り去って目線を合わされているというか。

 大目に見て、それはいいとしよう。気にしてたらキリがない。

 それに、禍鱗ちゃんの話は気になるところだ。

 魔性斬り。

 それは、昨日のことに関係しているような気がした。


「陰陽師や魔封じ、時代によって多種多様な言い方があるが、いついかなる時代でも日本には魔というこの世ならざる存在に対抗する人間がいる。それが今此方が言った専門家なるものたちだ。とはいえ、専門家にも種類がある。害のない魔を利用して占術とするもの、逆に害のある魔を退治し駆逐するもの、といったふうにな。此方は後者だ」


「ちょっと待て。さっきから魔って言葉を使ってるけど、それって俗に言う妖怪とかとはまた別の存在なのか?」


 朱里ちゃんは疑問を挟んだ。対して禍鱗ちゃんは「同じと捉えて構わない」として続けた。


「では、話に出た魔について。魔は基本的に夜中に出現する。此方の役目とは、これらの害悪をなす魔の退治だ。此方は魔性のことごとくを斬り捨てるので、魔性斬りと呼ばれているわけだ」


 ここで禍鱗ちゃんはわたしの方を見てきた。

 なんで、わたし?


「でも、それにしてもわからないわね」


 静かに話を聞いていた葵ちゃんが、感想を言うように口を開いた。


「そもそも、魔っていう存在自体が、にわかには信じがたいわ。科学が発達した現代においてオカルトは抹殺されたようなものだと思っていたけど」


「ふん。…………自分がよくわかっているくせに」


 禍鱗ちゃんは半ば口癖のようになっている『ふん』を言ったあと、ボソリと、何かを呟いた。何を言ったかは聞こえなかったけど、きっと否定されたことによる反感の言葉だろう。


「それなら、ここに良い例があるぞ」


 軽く首を振って、禍鱗ちゃんはそんなことを言った。

 わたしを見て。

 わたしを、見て。

 周知の事実を確認するように、口を、開く。


「何せここにいる鴉日黒菜という人間は――」


 それは、言ってはダメだ。

 絶対に、言ってはいけないことだ。

 そう、直感する。

 わたしに関わることだから。

 わたしの周囲にも関わることだから。

 しかし禍鱗ちゃんはなんの躊躇もなく、ただ普通に、知っていることを話す。

 わたしの日常を。

 わたしのいつも通りを、ぶち壊しにしてしまう言葉を。

 そしてわたしを追い詰める、最後の一手を。

 平常に回っている歯車が少しでもズレると、小さいながらもヒビが入ってしまって。

 ヒビが入ってしまえば、そこからは止まらない。

 そこからヒビは広がっていって、ついには決定的な亀裂になる。

 そうして、呆気なく壊れてしまう。

 加えて。

 一度壊れたものは、もう元には戻らない。

 誰もが知っている不可逆の法則。

 不幸なことに、わたしの歯車はわたしの意思に関係なく、既にズレ始めていた。

 壊れる。

 壊れて壊れて壊れて。

 最後には、何が残るんだろう。何かが始まるのだろうか。

 果たしていったい。

 いったい、わたしは――

 禍鱗ちゃんは、断言した。



「――もう既に、死んでいるんだからな」

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