第三章 天敵と後輩(中)

 昼休み。

 今日も昼で終わりの学校で、わたしたちは卓を並べて座っていた。

 教室にいる人はまばらだ。各々家へ帰ったり、購買部へと買い物に出かけているのだろう。


「うんま」


 幸せそうな声を出してお弁当(まさかのお手製らしい)にありつく朱里ちゃんの傍らで、わたしはまたしても異変を感じていた。


「あら、食べないの黒菜は」


 お上品に口に料理を運ぶ葵ちゃんに、わたしは苦笑いで返した。


「えへへ、ちょっと今日は食欲なくて……」


「そう。珍しいわね、いつもは朱里くらい食べるのに」


「貧血なんだろ? なら食べた方がいいと思うぞ」


「うーん、無理矢理食べるのはちょっと……」


 別にお弁当を忘れたから誤魔化しているわけじゃない。お弁当はわたしの鞄の中にしっかりと入っている。

 でも、本当に食べる気がしない。

 実は朝もこんな感じで朝ごはんも抜いてきたんだけど……今もそれが継続している。

 二食抜きということになるのに、わたしのお腹は空腹を示さない。前まではありえないことだ。朝ごはんを食べても、 昼前にはグーグーなり始める。

 なのに。

 わたしは食べ物を口に入れることに嫌悪感すら感じていた。

 食べてはいけないと、身体が訴えているような。

 そんなものは必要がないと、拒絶しているような。

 なんでだろう?

 わたしが何か、変わってしまったとでも言うのだろうか?

 考えていくと、どんどんとおかしい点は出てくる。喉は乾かない。眠気というものがない。体温も、感じない。

 まるで死んだみたいに――


「――っ」


 猛烈な吐き気がした。

『もし、そうだったとしたら』、どうなってしまうのか。

 それを考えただけで、不快さで心がいっぱいになる。


「どうした?」


 朱里ちゃんが、心配したように声をかけてくる。

 つまらないことを考えている自分のために心配させているという事実が、わたしの心を締め付ける。


「大丈夫、ちょっと、トイレ行ってくるね」


 わたしはできるだけ平気そうに笑って、席を立った。



「……はあ」


 鏡と向き合って、わたしはため息をついた。

 鏡には、元気のなさそうな肌白の少女がいた。

 吐き気というのは本当に気だけの問題で、実際に戻す予兆は何も現れていなかった。

 しかし、気分が優れないのは事実。

 なんなんだ。

 なんなんだ。

 なんなんだよ本当に!

 わたしはただの女子高生で。二年生で。個性のあるいい友達がいて。でもわたしは普通で。普通で普通で普通で。人並みの幸せと人並みの苦味を経験して。時に笑って。時に泣いて。時に悔しくなって。時に嬉しくなって。

 ただ、それだけなんだ。

 ただ、それだけ『だった』んだ。

 なのに、なのになのに、なんで。

 なんでわたしがこんな目に遭わなくちゃならない?

 普通にしていただけじゃないか。悪いことなんて何にもしていない。バチが当たる筋合いも、ツケが回るようなことも、やっていない。

 わたしはただ、普通に生きていただけなのに。

 なんでこの『普通』が、不条理に壊されなきゃならないの?

 理不尽だよ。

 意地悪だよ。

 救われないよ。

 こんなの、こんなの――

 パシン。

 わたしは両手で頬を叩いた。


「……ふう」


 もう一度、今度は心を落ち着かせるために息をつく。


「はい、暗いの終わりっ!」


 昨日から色々とありすぎて、混線した心がショートして、軽いヒステリーを起こしてしまったようだ。

 こんなの柄じゃない。わたしは日々を生きていければ、朱里ちゃんや葵ちゃんと一緒にいられれば、それでいいんだ。

 笑わなきゃ。わたしが暗くなってどうするんだ。


「よし!」


 気持ちを切り替えたわたしは、トイレから出て教室に戻ろうとして――

 とっさに廊下の柱の影に身を隠した。

 またか。

 わたしの恐れが見せる幻影。それがまた見えてきてしまったのだ。

 とにかく見つかってはいけないような気がして逃げたけど、その人物はあたりをくるりと見回すと、カツカツと音を立てて歩き始めた。

 長髪をたなびかせるその後ろ姿を見送ったあとに、今度こそそそくさと教室へと戻った。


「お。黒菜おかえりー!」


「ただいまー!」


「どこかスッキリしたわね。お手洗いいったからかしら」


「下世話なこと言うな!」


「はいストップ。朱里今、下世話って言ったわね? わたしを貶めるつもりで言ったのだろうけれど、意味は世間でよく口にされる言葉、みたいなニュアンスよ。ああ、無知って辛いわね」


 葵ちゃんの冷笑。朱里ちゃんはダメージをうけた!


「ぐぬぬ……」


 そんないつも通りのバチバチが起こるのを見て、わたしは図らずも口もとが緩んでいるのを感じていた。

 これこそが、わたしが大切にしなきゃいけないものだ。


「ほらほら、喧嘩もいいけどほどほどにね」


「喧嘩じゃないわ。これは一方的な攻撃であり私にとって愉悦の時間よ」


「相手ですらない!」

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