第一章 ありふれた日常の倒壊(上)
「あっはっはー」
そんな笑い声が、部屋の中に響いた。
あまりにも唐突だったので、反射的に疑問を呈す。
「どしたの、なんかいいことでもあった?」
「いやあ、新学期だし、景気付けだよ」
「突然笑い出すのは怖いって……」
室内には、わたしの他に二人の女子がいた。
畳敷きで隅にはキャビネットが備えつけられており、その上には箱がある。真ん中にはちゃぶ台。わたしたちはそれを取り囲むようにして座っていた。
「笑う門には福来るっていうじゃん。笑うことに悪いことはないんだぜ。はっははー」
そんなふうに陽気に笑ってスカートの中が見えてしまうのではないかと心配してしまうような砕けた座り方をしている、長めの髪を後頭部一箇所でひとまとめにしたポニーテールの快活溌剌な彼女は
あともう一人。
たった今、口を開いた。
「景気付けというよりは、ただの挙動不審ね。景気づけがしたいんだったら、いっそ豪勢なお茶会でもすればいいんじゃないかしら」
クールで抑揚ない口調で朱里ちゃんに言うカッコイイ眼鏡にショートボブ、髪を耳にかけているのが魅力的で、綺麗な正座でそこに鎮座しているのは
とにかく以上が、わたしが仲良くしている友達二名である。
ちなみにわたし、
さっき話題に出たように、今日は四月の八日。新学期が始まった当日だ。わたしたちは今日から高校二年生で、また大人に近づいた。……と、思いたい。
幸運なことに今年度わたしたちは同じクラスになって、まさに幸先のいいスタートが切れている。
「でもよー、お茶会なんていつでもできるじゃん。そうなるとさあ、やっぱりいつもと違うことがしたいわけよ」
「って、朱里ちゃん、毎日笑ってるじゃん」
むしろ笑わない日を見ないほどだ。それくらいには朱里ちゃんは明るく陽気な性格をしていた。
「ん、そうか? それは困ったな……」
「なにがよ。困らないでしょ。普通ないつも通り。素敵じゃない」
本当に正反対の意見を、葵ちゃんがピシャリと言う。
でも、朱里ちゃんは首を横に振る。
「んにゃ、あたしは日々刺激を求めて渡り歩いてるからなあ。いつも通りって退屈じゃん」
「それなら男子とアブナイ遊びでもしてくればいいじゃない」
「いや、それは、その……」
真顔で言う葵ちゃんに、朱里ちゃんは少し赤面して口ごもる。
「どうしたの。行ってきなさいよ。まあ、朱里のことだからそんなことはできないだろうけど」
「……黒菜助けてえ」
早々に助け舟をこちらに求めてきた。こうしてヒートアップ(クールダウン?)した二人を執り成すのがいつものわたしの役目だ。
「はいはい。葵ちゃんそこらへんにしてあげて。……でも朱里ちゃん、そういうことになると一気に弱くなるよね」
「だってえ……なんか、緊張しちゃうんだもん」
「そんなことは、ないと、思う……?」
「慰めようとしてくれてるのはありがたいけど途中から疑問形にならないで!」
「ごめんごめん」
恥ずかしそうに顔を覆う朱里ちゃんに軽く謝罪して、わたしは朱里ちゃんの日常生活について振り返ってみる。
……うーん、普通に話せてるし朱里ちゃんは男子に弱いってわけじゃないんだろうけど、男子との接触をなるべく避けようとする動きが見られるんだよなあ。早歩きでわたしたちを置き去りにしてっちゃうとか、すんごいそっぽを向くとか、色々と。
「でも普通に話せてるっていっても、すごい塩対応だし」
「そうよね。朱里は会話のキャッチボールじゃなくて、会話の暴投をしているわ」
「も、もうやめてくれ……」
顔を覆った状態からさらに俯き始める朱里ちゃんを見てから、わたしは葵ちゃんと顔を合わせて苦笑いした。さすがに精神的ダメージが大きかったみたいだ。
「まあまあ、お茶でも飲んでゆっくりしようよ」
といってわたしは給仕ロボットを操作して朱里ちゃんに飲み物の入ったカップを出す。……お茶じゃなくてインスタントコーヒーだった。
朱里ちゃんは気を紛らわすように、コーヒーを一杯、思い切って飲んだ。
「……ふう」
続いてわたしと葵ちゃんのもとにもカップが届き、あとに続いてコーヒーを飲む。
こんなに寛いでいることからわかるように、ここは教室ではない。もっと親しみのある部屋だ。
そう、部室。わたし、朱里ちゃん、葵ちゃんで構成されている部活の部室だ。
その名は――オカルト研究会。
「……うん。元はと言えばここ、こういうプライベートスペースが確保できるかもっていう理由で作ったんだったか」
「そうね。三人から設立できてよかったわ。……それに今さら、オカルトなんてものを信奉してるような名前にしたおかげで、誰も近寄らなくていいし」
葵ちゃんの言う通り、オカルト研究会なんて名ばかりだった。
部活がある毎に、こうしてゆったりとした時間を過ごしている。それは全然いいし、むしろ大歓迎なのだけど、朱里ちゃんは最近マンネリ化を感じているらしい。
と、つまらなそうにしていた朱里ちゃんの顔に、ハッと何かに気づいたような色がついた。
「……あ。思いついた。いつもと違うことするぞ」
「なにするの?」
わたしが聞くと、朱里ちゃんはよくぞ聞いてくれた、と満面の笑みを浮かべた。
「そもそも、やってなかったのがおかしいくらいなんだけどな」
「そんなことがあるというの?」
葵ちゃんの問い重ねにうん、と頷いてから、朱里ちゃんは自信満々に言い放つ。
「オカルトを研究するんだよ」
「え」「は?」
呆気に取られてしまった。葵ちゃんに至っては、威圧的なまでの反応だった。
けれどたしかに、この方オカルトなんてものには触れてこなかった。ここの設立から一年は経ったのに、だ。
「いやいや、なんでオカルト研究会なのにオカルト的なことなんもしてないんだよって。そもそも名前考えたの葵だろ、なんだよその不満丸出しにした声は」
「だって、それは名前工作ってやつでその実部室を自由に使うための算段だった、それだけの話なのよ」
「そうだよ朱里ちゃん。それに――オカルトなんて、この世には存在しないよ」
わたしは断定的に言い切った。
だって、非科学的だもの。今や、科学で説明できないものはないくらいの時代なのに、そんなものが存在するわけがない。
「そういうけどさあ、実際のところいるのかいないかなんて誰にもわからないじゃん?」
「そうかな」
「あたしはいるって思ってるぜ。幽霊も、妖怪も。いないって決めつけるのはあれだ、自分から観測を避けてるようなものだって」
朱里ちゃんはわたしと葵ちゃんを順繰りに指さした。
葵ちゃんはため息をついた。
「けれど、そんなのがいるなんて完全に『ありえない』のよ。色々な法則を無視しているし。まあ近頃は立体プロジェクターなんかもあるから、擬似ではありえるけれど」
「それに、いたら怖いしね。それならいない方がいいよ」
わたしたちの反論に、朱里ちゃんは「やれやれ」と首を振った。
「夢がないなあほんとよお。そんなこと言ってたらつまらない大人になっちまうぜ?」
「朱里こそ、そんなこと言っていると馬鹿で阿呆な大人になってしまうわよ」
「余計なお世話だ!」
ぷんすかと、朱里ちゃんは憤慨した。
わたしはまあまあ、と朱里ちゃんを宥めつつ、最初の話へと逆戻りする。
「でも、なんで急にそんなことを言い出したの?」
「ああ、それはだな――」
「おおかた、朱里のことだから又聞きだとかたまたま目に付いた本にそういうことが書いてあっただとか、そんな感じのことでしょうね」
自慢げに語ろうとした朱里ちゃんを遮って、葵ちゃんが無慈悲に冷静な立ち位置から考察した。
「ぐ……だいたいその通りだ……」
「ふふ、でしょうね」
朱里ちゃんの思惑をことごとく当てた葵ちゃんは満足げにサディスティックな笑みを浮かべた。
「葵ちゃん、苛めるのはそれくらいにしないと朱里ちゃんが再起不能になっちゃうよ……」
「それもそうね。なにせ朱里は豆腐メンタルだもの」
「うう……」
やめるどころか追い打ちをかけた。泣きそうになっちゃってる。
「また脱線してるよ」
仕方なくというかしょうがなくというか、とにかくわたしがこうして舵を取らないと大変なことになりそうだったので、もう一度、話を戻す。
「で、オカルトを研究するってなにを?」
「そうそう。そうだよ」
朱里ちゃんはさっき折れそうになっていたことなど感じさせないほど明るくなって、人差し指を突き出してビシィと決めた。
「まあ、又聞きになっちゃうんだけど……。でもこの怪奇現象、たしかに不自然のようにも思えるんだよ。思わず信じたくなるような事実だな」
「根も葉もない噂話をさらに風の噂で聞いてきたということはわかったから、もったいぶらずに言うことを言いなさい」
キッパリとこう言われて、朱里ちゃんは気をそがれてしまったようだったが、それでも顔を近づけて声を潜めて言った。
「……最近、重い病気でもないのに長く休んでる生徒が増えてるって話題になってるんだけど……。どうだ、これ怪しくないか? しかも、現在進行形でその人数は増えていってるらしいし。怪奇現象の仕業説はかなり信憑性が高いように思えないか?」
「言われてみれば……」
三学期。
一年生の集大成とも言える最後の学期に、わたしのクラスでは全員が集まったことはなかった。最初の日から一人、二学期では元気に活動していたように見える男子が、欠席したのだ。
その男子が三学期中来ることはなく、それだけなら学期末が嫌でサボった、みたいなことが言えるかもしれないけれど、一人、また一人と欠席する人数は最終的に五人ほどになっていた。
その時、当然わたしたちは不思議に思った。別に、インフルエンザが流行っていたわけでもないし、病気にしては休み期間が長すぎるのだ。
いったい彼らはどうしたのか、と先生に聞いた人もいたようだけど、返事は『家の都合で来れなくなった』とか『学校に来る意欲が湧かないらしい』だとか、当たり障りのないありふれたものだった。
それでもまあ先生が言うのならその通りなのだろう、とわたしたちのクラスはみんなでそう思うことにして、一年生を終えたのだけど……。
「二人は、三学期の時休みっぱなしだった人いた?」
朱里ちゃん、葵ちゃんとは一年の時は違うクラス。一年生時に接点はないはずなのになんでわたしたちが親しいのかと問われれば、それは中学来の付き合いだから、ということに他ならない。
二人は一様に首を振った。
「風邪で休む人はいたけれど……二、三日で復帰していたわ」
「そもそも休む人すらいなかった気がするぞ。先生がこのクラスは馬鹿しかいないのか、とか冗談を飛ばしてた」
「まったくもってその通りね」
「なんだとやるかキサマ」
「ストップストップ」
この二人は常時火花を散らさなければいけない運命にあるらしい。というか、おおむね葵ちゃんが原因では、というところはあるけど。
「あれはわたしのクラスだけだったんだ……」
「怖いわね。一人ずつ消えていく教室」
「やめといて葵ちゃん……」
「んー、なるほどな。始業式の時に休みが目立ってたから何かと思ったら一年の時からの継続休みってわけ」
「たぶん、そうだと思うけど……」
わたしはそんな周りを気にしてなかったけど、それがもっともらしい。だって、始業式を進んで休む人なんてそうそういないだろうし、いたとしてもごく数人だ。
「帰ってこない生徒、ねえ……」
ふむふむ、と朱里ちゃんは顎に手を添えてしばし思案の体勢をとった。
「考えられるとすれば、吸血鬼に眷属にされただとか、天狗に神隠しされた、あたりかな」
「何を非科学的に考えているのよ朱里、このご時世に。人には言えない病気だって、世の中にはあるものよ?」
「ふうん、たとえば?」
「性病とか」
「…………、」
なんてことないように言い放つ葵ちゃんに朱里ちゃんが固まった。
「なに、当たり前のことを言ったまでなのだけれど。他にも三学期という節目の時期をきっかけにうつ病になってしまったとか、友達関係とかが嫌になったとか。理性的に考えるだけでごまんと推測が出てくるわ。この中にオカルトが入る余地はないでしょう」
「葵って見た目に反して過激なところあるよな。なんでそんなワードが口について出るんだっつの。痴女か」
「あら、それは心外ね。家では妄想に妄想を重ねてベッドの中で悶々としているくせに」
「そ、そんな事実はない!」
「でもわたしはまだ健全な女子高生でいたいよね」
「黒菜までっ! そんな憐れむ目であたしを見るなあっ!」
このように、朱里ちゃんをからかうのはむちゃくちゃ楽しい。……こんなこと思ってるって本人に知られたら、ボコボコにされるかもしれないけど。
さて、何度目になるかわからない閑話休題といこう。
「吸血鬼って西洋の化け物じゃなかったっけ」
「ええ、太陽に弱い、大蒜に弱い、十字架に弱いでお馴染みの吸血鬼で間違いないんじゃないかしら。そんな吸血鬼が、こんな島国にいるとは心を広くしても考えられないわね」
吸血鬼についての基本知識とともに、葵ちゃんは朱里ちゃんの言い分を否定した。それ以前に吸血鬼っていう存在がいること自体信じられないわたしは心の中で葵ちゃんに賛成した。
全面否定された朱里ちゃんは口を尖らせた。
「むう。旅行気分で来てるかもしんないだろ。じゃあ天狗の神隠し。こっちならしっくりくるだろ?」
「神隠しって、どうなっちゃうんだっけ」
今度も葵ちゃんが間髪入れずに答えてくれた。
「どこか、遠いところへ、平たくいえばあの世に行ってしまうのだと思うわ」
「葵ちゃん、この手のものになんだか異様に詳しい気がするんだけど」
「気のせいよ。このくらい、一般常識だし」
一般常識なのかな?
少なくとも博識である葵ちゃんにとっては一般教養の部類に入るのかもしれない。
「……もしかすると、全員が息絶えていることは間違いがないのかもしれないけれど」
ゾッとしてしまうような呟きをボソッ、と零した葵ちゃんは、コーヒーを啜った。
本当に、さりげなく怖いことを平気で言ってのけないで欲しいものだ。
わたしも心を落ち着かせるために、コーヒーを飲んだ。
「そうなると、対策のしようがないな」
「何に。何に対して対策をするというのよ朱里」
「ん、そりゃ、未知のものに対してだよ」
「はあ……。どうして朱里はそこまで愚かでいられるのかしら。そういうの、中二病っていうのよ。それに――いざとなれば身を守れるものはあるでしょ」
ひゅん、と音が出るほど速く腕をしならせた葵ちゃんの手には、いつの間にかライター大の物体が握られていた。その空いている穴に指をかけ、一回転させると銀に光って鋭い切っ先が姿を現し、葵ちゃんはその即席ナイフを構えた。
この速さと身のこなし。さすがは葵ちゃんだ。いっさいの無駄がない。わたしには到底できない芸当だった。
「おい、物騒だぞ葵」
「あらごめんなさい。拳で語る熱血派には理解しがたい光景だったかしら」
「あながち間違いじゃないけど馬鹿にされてる気しかしないからムカつく!」
朱里ちゃんが目にも止まらぬ速さで立ち上がっていた。これは彼女の元々の身体能力の高さと、制服の内に着ているだろうパワードスーツの掛け算の結果である。
「フランスパン!」
わたしは両手をそれぞれの方に向けて思わず叫んだ。
「「……え?」」
両者に首をかしげられた。当然だ。わたしにもなんで今フランスパンと叫んだのかわからない。
「えと、喧嘩はやめてっていったの」
無理矢理、それっぽい理由を後付けする。
「いや、フランスパンっつってただろ。一文字もかすってねえぞ」
言わんこっちゃなかった。ここは強引に行くしかない。
「と、に、か、く。護身用の技術を無闇に人に向けちゃダメだよ」
「……ええ、わかったわ。黒菜がそういうなら」
葵ちゃんが素直に刃を戻し、素早く収納した。
「命拾いしたな葵」
「朱里ちゃん?」
「……ごめん」
朱里ちゃんも、しぶしぶと言った感じで座った。
かくいうわたしはこんなスキルちっとも持っていないけど(ある程度の護身術が使えるくらいだ)、今の通り、言葉の押しは強いんじゃないかと自負している。
現代、高校だけでなく、中学から身を守る手段を学ぶ授業がある。技術が発達していくにつれて、予測不能な事態に陥る可能性が、誰にも例外なくありえるようになったからだ。
……こんなのがロボットに通用するの? と感じたことは少なくないけど。
まあ、最近の警察はいよいよ優秀すぎる次元までに成長しているし、わたしたちが必要とされているのは到着するまでの時間稼ぎみたいなものかもしれない。
ともあれ、この二人をターゲットにしてしまったら、タダで済むとは思えない。ご愁傷さまとしか言いようがない。それくらいまでに二人は卓越した実力の持ち主なのだ。
わたしも守ってもらいたいなあ……なんて考えつつ、そのあとは他愛もない会話をした。
そして時刻は夕方になっていた。
「もうそろそろ帰ろうか」
わたしが提案すると、二人は首肯した。
とっくに空っぽになっていたカップを、置いてあるボックスの中に入れる。洗浄、消毒、乾燥を自動で最後までやってくれる優れものだ。
いち早くカバンを持って出入口についた朱里ちゃんがカードを取り出して扉横についたスキャナーに読み込ませると、自動でドアが横開きに開いた。
……えっと、ひと昔前は電子ロックがなされてない代物があった、なんて聞いたのは誰からだっけ。お祖父ちゃんかな。
まあいいか。
朱里ちゃんに続いて葵ちゃん、わたしと外に出る。扉が閉まる前にフッと明かりが消えた。センサーが人がいないのを感じ取ったのだ。
遅れて扉が閉まる。この学校の全ての部屋にはこういったドアがあり、オートロックで生徒証、あるいは教員証を使わなければ入れない。防犯は完璧だ。
わたしたちは三人仲良く、帰路についた。
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