第39話【水神元雪最大の危機】

『高二男子・水神元雪から見える光景』


「『水神くんをこの剣で刺せ』……って」

 仁科さんの口からは確かにそういう声が出た。

 オイ! なんじゃそりゃ‼ 味方面して物腰柔らかそうに会話してたくせに! 魔王の奴めそんなこと言ってたのか。なにが兄弟だ。やはり奴は魔王だったか‼

 いや、待て、ちょっと待て。あの剣は魔王を倒すための剣だという。自分はあの剣が近くにあった時、二度も襲撃されている。


 状況からすると——この自分が魔王?


 ちょっと待て。この剣でこの自分が刺されるとこの剣を持っている人間の手にくっついた剣が離れる……?


 自分は左手に貼られた絆創膏の上に右手を添える。まさか、自分は勘違いで間違った思い込みのまま警察の書類を作ってしまったんじゃないだろうか?

 この傷って通り魔の魔王にやられたんじゃなくて、深見さんの持っていた剣で切れた、切られた? もはやあの時どこにどういうぶつかり方をしたのか覚えてなどいない。なんにせよあの時深見さんの手にしていた剣の刃と自分の左手が触れていたとしたら……


 それか⁉ なるほど、もしそうなら魔王の奴嘘はついてない。この左手の傷については『知らん』で通していた。『水神くんをこの剣で刺せ』……これは『この剣の手からの外し方』で間違いないのかもしれない————


「水神くん」

「分かった。だいたいのところは」

 仁科さんが無言で頷いている。

「……それで、家に帰ってくれ、なのか、ウン」


 帰っていいんだよな。本人が言ってるし。そうか、それで人のいないところで、か。

 確かにそういう情報の伝達はこういう人のいないところでやってくれた方がありがたい。だがどうせならこれを教えてくれない方がありがたかったんじゃないのか? 知ってしまった以上帰りにくくなってくる。これってわざとちょっとだけ切られれば剣が手から離れるってことだよね。現に深見さんのときは五センチほど切られて手から剣がとれたんだし。

 いや待て、バカなことを考えるな。あのグラウンドの傷を見ただろう。間が悪けりゃ自分の胴体など真っ二つだ。自分は死ぬし、仁科さんは殺人の現行犯逮捕で牢屋にぶち込まれる。


“——そうだよ、牢屋にぶち込まれてくれれば、凶器は警察ってトコが押収するからね。それは結局〝封印〟と同じ意味になるから——”


 こいつは⁉ あの魔王の奴の声、どこだっどこで話してるっ‼

「ここだよ」

 気づけば自分の両肩ががっしとつかまれ既に身体の自由がきかない。声だけじゃなく空気の流れも耳が感じる。息切れ寸前のような荒い息。耳の近くに奴の口がある。間違いない。声はそこから。『呪いの剣』を警察が封印だと⁉ そう言おうとしたがことばにならない。


「さあ来なさい。これで自由になれる」魔王がそう言うと、仁科さんの身体が両足がまるで磁石に吸い寄せられるようにツルツルと数センチ数センチと少しずつ床の上を滑り始める。身体を後ろに傾け足を踏ん張って耐えようとしてさえも。まるで不可視な力に引きずられるように。

「正気か! あれはお前を斬るための剣だぞ」

 今度こそ自分は振り絞るように大声を出そうとした。出したつもりになった。確かに大声を出した。後はここは警察署の中だ、必ず警官がやって来る。来るはず。しかし魔王の声になんらの動揺もない。まさか来ないのか? 聞こえない? そう言えばザワザワとしている人の声が、一切の音がまるでしない。これが奴の力なのか。

「あれ、キミの血にも反応しているんだよ」

「なに?」

「キミの身体の中に少々僕の血を混ぜたんだ。あの剣は魔王の血に反応するんだよ」魔王が耳の傍で囁くように呟く。

「嘘だ!」

「首に違和感を感じた自覚はあるかい? そこから入れた」

 じゃあ、あのテストの日の夕方——あそこから既に——

「なんのためにそんな事をしたっ⁉」

「あの剣を持つ者は魔王の居所をつかめてしまう。そして魔王を求め徘徊を始めてしまう。だから僕が存在を気づかれず自由に行動するためにはそうした勇者の行動に縛りをかけなきゃいけない。そのために擬似魔王を仕立てた。キミは剣を持った人物とつかず離れず絶妙の距離を保っていてくれるから都合が良かったのに」

「つかず離れず?」

「そうだよ。キミはそういう人だろ?」

 くっついてしまったから襲われた?

「黙れ! なにが〝絶妙〟だ! 仁科さんにナニカを吹き込んだろ!」

「こうすれば『剣は手から放れるだろう』という方法を教えてあげたのに非道い言いようだね」

 そうか。それで仁科さんは『帰ってくれ』と言ったんだ。

「だからキミにとって仁科さんは? って訊いてあげたのにね」

 なおも仁科さんはこちらへと床を滑り近づいてくる。止まらない。とった間合いが無くなってくる。

「キミは一度あの剣に斬られたからねぇ」

「斬られたからなんだっていう⁉」

「血の味を——覚えられてしまったんじゃないかな」

「逃げて!」仁科さんの声がする。仁科さんの胴と肘とを固定していた拘束具がぼとりと床に落ちる。剣を縛っていたロープも同時にするすると解け始める。まるで生きている蛇のようにロープが勝手に動いているようにしか見えない。

「逃げて!」また仁科さんが叫ぶ。

「キミを魔王と認識してくれたんだよ」魔王が囁く。

「バカッ! 魔王はお前だ‼」

「さて、どっちが『魔王』となってるやら?」

「勇者の剣が〝魔王違い〟などするものか!」

「しかしその剣は囮であるキミに惑わされた。『勇者の剣』などたかが知れてるよ」

「こっちだって狙われていない!」

「いやいやそこは自覚あるでしょ?」

 あっても認めたくない!

「こんなことしてふたりとも死ぬぞ!」

「そうなるかどうか実験の開始だよ」魔王が言う。

 コイツはリスクを取ってでもなんでも試す奴だ。頭がおかしい!

「逃げて!」またしても仁科さんが叫ぶ!

「だけど魔王の血は身体の動きまでも『人間離れ』させてしまうから、よけられないようにこうして押さえておく必要があるんだよ」

 剣に巻いてあった毛布がどさと床に落ちる。銀の刀身が露わになっている。視界に銀色の光。なるほど謎解きをありがとな。自分にしてはよくすんでの所であの剣の攻撃をかわせたもんだったよな。自分にそんな運動神経は無いもんな。ゆっくりと剣を手にした仁科さんの腕が持ち上がっていく。いよいよその時が近いのか。その切っ先が自分の顔の真っ正面を指し示しピタリと止まった。

 なんで真っ正面なんだ? 横へ飛んで背後の魔王をどうにかするとかいう構え方じゃない。あの構えは〝突き〟だ。紛うこと無く狙われているのはこの自分。魔王の言うとおり剣が魔王の血に惑わされているのか。もうじきあれに刺される。自分の身体はがっしりと暴力的に圧倒的な力で押さえ込まれ自由を奪われ寸分も動かせない。

「行き詰まった局面を変えるには異世界に来るに限るね」

 ふざけたこと言いやがって魔王め!

 仁科さんの端正な顔が歪んでいる。目をつぶり歯を食いしばり。一瞬のくせにやけに長い。こんな長い恐怖にはもう耐えられない。この距離で外すことはもうあり得ないだろう。どこを狙ってくる? 咽か? 心臓か? やられたらもう間違いない。しかしもはや僅かの声さえも出ない。『死が来る』と思ったすんでの直前。左頬の横に猛烈な風、左肩に猛烈な衝撃————

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