第35話【仁科さんの良いところ】

『高二男子・水神元雪から見える光景』


 朝になった。三日目が始まった。つまり夜の間何事も起こらなかった。再び無事に夜をやり過ごすことができた。警察署で良かった。しかし外に出ると空はどんよりとして冴えない天気。昨日の朝より雲が多いそんな金曜日の朝。


 深見さんと自分と村垣先生は学校へ行くことになった。仁科さんの下の世話は婦警さんがやることになってしまったようだ。さすがに同情する。両方に。


 得体の知れないファンタジーな事件に巻き込まれようと日常生活上の義務は果たさねばならないということなのだろう。自分は風呂には毎日入るわけではないがさすがに今夜入れないと気にはなる。とは言え医者の先生からは今の段階で傷口を風呂の中になど『どぼんと入れないでくれ』と言われているのだが。

 深見さんはここを一時的にでも去ることに心残りの様子だったが、仁科さんを警察署に残し学校へ行くことにした。

 この後は村垣先生、深見さん、自分と三人が先生の車に乗ってドライブとなる予定だが行き先は二手に分かれる。自分は昨日縫った傷を診て貰うため診察を受けなくてはならない。


 村垣先生と深見さんは最終的に学校へ行く予定だが、しかしその前に深見さんにはやることがあった。替えの制服のスカートを取りに行くこと、同時に洗濯物を置いてくること。そのために一旦自宅に戻ることになる。つまり村垣先生と深見さんはあの深見さんの母親とまた朝からやり合うということなのだ。一応事前に深見家に連絡を入れ、仁科さんが口述筆記で書いた手紙も持っていくようだ。

 『友だちを想う心』というのがどの程度あの母親に通じるものやら。それに手が使えないためにワープロ原稿だし。

 その上深見さんは仁科さんの現在の様子を説明するために仁科家にも行くらしい。村垣先生も同行するけど、これもまた非常に厳しいような……


 最初は仁科さんも一緒に車に乗るという話しもあったが周囲に説得され警察署の中から出ない方が良いという判断に落ち着いたようだ。

 〝剣〟という超常現象そのものの現物が無かったら決してやるはずのない警察の判断だったろう。



「水神くん、ありがとう」村垣先生の車に乗り込もうとしたその時、深見さんに言われた。

「ありがとう? なにに?」と自分は振り返りながらぶっきらぼうに言ってしまったが、『剣が手から取れたこと』について言っているのだろうと勝手に合点した。深見さん本人に感謝されるようなことを自分がしているのならこれほど素晴らしいことはない。と思っていたのだが、あっさりそれは裏切られた。

「〝みあ〟になっても残ってくれて」

 といってもそれはある意味想定内。昨日仁科さんを見捨てて帰っていれば絶対に深見さんの怒りを買ってた。昨日深見さんが母親にぶつけていたあの怒りがこの自分にぶつけられたところだった。そう確信できる。

 しかし『〝みあ〟になっても』の『』は暗に『わたしのために残ってくれた』と深見さんが理解してくれているってことじゃないのか。深読みすれば、だけど。

 これは嬉しい。掛け値無しに凄く嬉しい。だけど深見さんが次に言ったことは——

「〝みあ〟はわたしの大切な友だちだから」だった。

 人の友だちがなぜその人にとって大切なのかなど他人に分かるはずもない。だがどうしても訊いてみたくなった。それほど大層で立派なだいじにしなければいけない人間なのかを。それくらい『ストーカー発言』はまだ効いている。

「仁科さんの良いところってどんなところなの?」それを訊いたら深見さんはとびっきりの笑顔になって、

「とっても優しくて思いやりのあるところ」、と言った。寸分の迷いも感じられない瞬発的な返事だった。

 『優しい』と『思いやりのある』ってえのはまったく同じ意味じゃないのか? どうなっているんだ。これは。

 さすがにもう『どの辺が?』とさらに突っ込みを入れるわけにはいかなかった。今の深見さんの笑顔が全てを語っている。ダメだこりゃ。仁科さんの悪口に聞こえるようなことは一切言うべきではないのがよく分かる。

 ここで会話が途切れると深見さんはふさぎ込んだ。そしてしばらくして言った。

「水神くん。みんなで協力して〝みあ〟を絶対助けようね」

「安心しろ」、村垣先生が代わりに答えてくれた形になった。



 村垣先生の車の助手席。昨日の外科医院の建物が見えてきた。曇り空を見上げる。今日は何が起こるんだろう? 今日で片がついてくれるんだろうか。村垣先生の車が減速を始め駐車場に入る。


 車から降りた。

 後部座席のウインドウが降り、

「この後いろいろ頑張るから」と両手に握り拳を作った深見さんが笑顔で言った。


 わざわざ自分に言うために窓を降ろしてくれたんだ、と妙な感動をしてしまう。


 この後、深見さんは朝から『三度目の修羅場』、もしかして『四度目の修羅場』だなあ。幸い自分はこの修羅場には巻き込まれずに済む。

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