第34話【論点整理】

『高二男子・水神元雪から見える光景』


「ここで帰ってしまったら、男として恥をかく」


 自分の口が喋ってしまったこのことば、他の話しに逸らして止めるのが一番手っ取り早い。自分はまったく別の話題を振った。


「あの……お巡りさんは上の方の人になんて言われたんですか?」

「説教、と言うよりはこちらも事情聴取でした」お巡りさんは言った。それを聞いた村垣先生がふんっと荒々しく鼻息を鳴らす。

「何かしらの懲罰をあんたに加えようとしているなら一市民として大いに立ち上がらせてもらう。昨日百十番通報した時あんたの相方は早々に帰ってしまったじゃないか。帰らない者が帰らないがために事件に遭遇しババを引き、とっとと帰ってしまった者が帰ってしまったがために事件に遭遇せずその結果お咎めなしというのでは警官はまともに仕事をしない方が警官自身のためってことになる。そういう組織は私が叩く‼」

 その音量は署員の誰の耳にも入るほど。終いの方は怒声に近くなっていた。まだ暴れる気満々みたいだ。

「ありがとうございますセンセイ」お巡りさんはお礼を言った。

「ところでいろいろと起こっている不思議な現象について警察の人は分かってくれたんですか?」と不安そうに言ったのは仁科さん。今や自身が〝当事者そのもの〟なんだから当たり前の反応か。


「いまあなたの手にある〝剣〟という現物のためにかろうじて、ってとこですよ」

「取り敢えず通り魔事件の方の容疑者は確保できそうなのか? 非常線くらいは張ったんだろうな?」村垣先生が問う。明らかに〝まともに捜査などしてないだろう〟というニュアンスが含まれている。

「いえ、残念ながら今のところは網には……」

 この返答……一応やってくれている、ということだろうか。


「お巡りさんっ、昨日みたく推理っぽいことやってみてよ」と深見さんが言いだした。

 昨日、深見さん自身が当事者だった時の言動を聞いてなければ、ふざけて悪ノリしているようにしか感じなかったろう。昨日の深見さんは悲壮感に取り憑かれてはいなかった。それでも元気を出していた。そんな深見さんだから言っても許されるようなそんなことばだ。なにより深見さんのその顔はすっごく真面目だった。

「え、ここでですか?」と、さすがのお巡りさんも面食らってる。

 ここは応接室とは呼べない。仕切りが低く〝応接スペース〟というのが適切な表現だ。だからここで何か話せばお巡りさんの同僚に話しは筒抜けになるだろう。


 そんなヘンなことやるんだろうか? ——とは言え、やってくれるらしい。お巡りさんは何かを思案中。やっぱりこのお巡りさんだ。


「謎はいくつもあります。並べていったら頭が痛くなる——」お巡りさんは手帳を取りだし箇条書きになったメモを読み上げ始める。まったくいつの間に。


「まずはその肝心の剣についての謎です。

  1 なぜ手にくっついて離れないのか?

  2 あれほど深見さんの手に強くくっついていた剣が突然外れたのはなぜか?

  3 あの剣を縛っていたロープが切れるでもなくほどけてしまったのはなぜか?

  4 どうしてまた、全く別の人の手にくっつくのか?


まあこんなところです。次に水神君を襲った通り魔についての謎です。


  5 グラウンドの真ん中という見通しの良いところにいながらどうして誰も犯人の接近に気づかなかったのか?

  6 全員犯人を目撃しているにも関わらず誰もその顔を覚えていないのはなぜか?

  7 犯人は鋭利な刃物を持っていたと状況から説明できるのに、手には何も持っていないようにしか見えなかったのはなぜか?

  8 犯人は襲撃直後あっと言う間もなく遠くを歩いていた。これにどういう説明をつけるのか?


 その次に水神君が今日の午後に遭遇したという、第三学年の謎の美人二人についての謎です。


  9 状況から考えてこの美人二人組は呼び出し役で実行犯である通り魔事件の犯人とは『三人組の犯人グループ』ということになるがその理解で正しいのか?

  10 そもそもこの剣の元々の持ち主はいったい誰なのか?」


 お巡りさんの話しはいつの間にか静かに聞き耳を立てればその内容が筒抜けになる程度の音量になっていた。つまり周りの音量が著しく下がっていた。ここにいる他のお巡りさん達は黙り込んでなにげにじっとこの話しを聞いていたみたいだ。


「怖いよ——」仁科さんが言う。まあ変な剣が手にくっついて離れないのだからそういう感情にもなる。深見さんがいかに強かったかが分かる。

「だいじょうぶ! 昨日とおんなじ場所だったら怖いけど、ここ警察だから、二十四時間人がいるし周りはみんなお巡りさんだよ」と、その深見さんが励ます。

 その通りだ。夜の学校には誰もいないが、夜の警察署には確実に人がいる。しかも周囲全員警察官だ。確かに昨日の方がよっぽど怖い。

「その通りです。引き続き本官もここに泊まり込みますし」とお巡りさんも続いた。


「ところでお巡りさん。謎ばかり並べているけどその答えは何になるの?」深見さんが尋ねた。

 いや……、それ訊くかな……


「なにって、何を言っても憶測、いや、空想になってしまう」お巡りさんがそう言うしかないという回答を口にした。

「人間じゃないものが攻めてきているんじゃないの?」それが深見さんの答えだった。


 誰しもが絶句してた。呆れたと言うよりはそれはとてもゾッとするような答えだったから。

「まるでファンタジーみたい」

 またしてもそれはとてもゾッとするような深見さんの答えだった。


 無邪気に言っているように聞こえる分怖ろしさが増しているような。ファンタジーは心地よい幻想というようなものだと思っていたけど現実のこれ、現実のファンタジーはまるで悪夢。

 いや、今までファンタジーだと思って眺めてきたものは怖ろしい奇譚に過ぎなかったんだ。お巡りさんの話しはもう終わっていて深見さんがおかしな事を言っているだけなんだけど、このフロアはざわめきさえも消えたままの状態が続いている。



 だけど解けない謎がある。心の内で引っかかり続けている謎。自分についての謎。誰かが気がつきやしないかとびくびくしている謎。あのお巡りさんの言った全ての謎の答えが『人間じゃないものが攻めてきている』で強引に説明がつくとして、なぜ襲撃されるのが決まって自分なんだ? この現実は剣が動くたびに補強されていっている——


 一回目、深見さんの手に持たれた剣によってグラウンドに大傷がついた時は間違いなく自分が襲撃されている。

 二回目、正体不明の通り魔が狙ったのは剣が手から離れない深見さんで自分は楯になっただけと思いこんでいた。けど結果は深見さんの方は無傷で自分の方が傷を負った。

 三回目があるんだろうか? 二度あることは三度ある、という。


 事が起こったのは自分がこの剣の近くにいるとき。そして現に仁科さんの手にくっついてしまった剣がすぐ近くにある。これは母さんの言ったのが正しかったのかもしれない……下手をすると自分が自分で後悔する選択肢を選んでしまった可能性がある。


 しかし一方で自分に対する三回目があるとするなら自分こそここにいた方が安全だとも言える。家に帰れば自分は一人みたいなもんだ。自宅と警察の建物の中とを比べれば後者の方が安全性が高いような気がする。深見さんが言った通り何かが起これば即座に警察官が動いてくれる……はず。



 などと考え事をしていたら夜を明かすにあたって仁科さんから他の人間の安全をどう確保するか、について警察官同士で諤々と議論が始まってしまった。剣を振り上げられないようにロープで縛るだの縛るなだの警察署の中でちょっとした騒動が起こった。

 すったもんだの挙げ句、〝最低限の拘束〟をするしかないという所に落ち着いてしまった。仲間内(?)だけの昨日とは事情が違うということなんだろう。


 〝最低限の拘束〟とはこうだ。平たく言えば拘束具を使い腕を拘束する。具体的には両方の肘の少し上あたりを胴体ごと拘束する。肘が脇腹から離れないようにすれば剣を振り上げたり払ったりすることはできない。武器としては非常に使いにくくなる。つまり剣を持っていない人の目線で言えば『安全だ』ってこと。

 もちろん村垣先生は粘った。しかしさすがの村垣先生も負けてしまった。昨日に引き続き足首に手錠を回すという意見も出たがこれを退けたのが精一杯。

 警察もいろいろたいへんだ、とは思う。人権とかいろいろと——


 しかしこのやりとりのせいで——仁科さんが沈んでいる……


 突如深見さんが喋り始めた。

「明後日は土曜日です」

 なんだ? なんの意味があるんだ?

「連休はなにするか考えよーよっ」とさらに続けた。

「ハイっ水神くん、連休のご予定はっ?」

「え? れんきゅう? いや、特に立ててはいないというか、立てられないけど……」

「ハイっ、みあっ、連休のご予定はっ?」

「こんな状態じゃ立てられるわけもないけど……」と仁科さん。

 あれ? あんまり怒っていないのか? 深見さんかなりふざけた質問してるけど、やっぱりよほどの仲ってことか。

「つまり水神くんと同じってわけかー」

 なんだ? 深見さんなにが言いたい?

「深見さんは連休の予定は?」と、思わず訊いて、切り替えてしまった。

「わたし? わたしは空っぽだよ。なにをするのも自由な白い一日だよ。みんなも必ずそんな日になるよ」

 上手い。上手い励まし方だ、深見さん。

「よく言った深見っ。そうだ。そういう気持ちが事態を良い方向に動かすんだ」村垣先生が言った。確か昨日もこんな話しをしていたな。

「村垣先生はどうですか?」今度は深見さんが問う。

「私は今度の土曜日は呑気にサッカー三昧だ」

 すかさず突っ込みが入った。

「センセイ、サッカーやるのに呑気でいいんですか? そんなことじゃ負けますよ」と言ったのはもちろんお巡りさんだった。

「そういうあんたは今度の土曜はなにをする予定なんだ?」村垣先生が逆に切り込む。

「本官ですか? 非番じゃないのでお仕事です」

 これでみんなで大爆笑になった。他の警官の人まで笑っているのが目に入った。なんだか深見さんにますます惹かれていくような——。


 二日目もあと何時間かで終わる。今夜は警察署の中。妙な五人で過ごす夜がまた更けていく。相変わらず横になって寝ることができない。それでも昨日よりは熟睡できるはずだ。ここには昨日より安心がある————

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る