第23話【恐怖の一夜】

『高二男子・水神元雪から見える光景』


 面談室。学校なんてあまりに日常的な場所なのに未体験領域、ある意味異世界と化しつつある。それは時間のせい。

 午後九時、二十一時を過ぎていた。この時間帯の学校風景を見た者はたぶんそう多くはない。


「さて、寝るにしては早いですが準備だけはしないと」お巡りさんが言った。

「じゃあまた防災用倉庫室へ行って毛布を取ってくるんだな」と村垣先生。

「まあ毛布は必要なんですが——」とお巡りさんは一旦ことばを句切り、深見さんの方を見て、

「寝るに当たってはフォーメーションをどうするか考えないといけませんね」と言った。


「確かに年頃の女子生徒と同じ部屋で雑魚寝というのはな……」村垣先生が言った。

「なに言ってるんですか! 雑魚寝に決まってます!」と深見さん。


 深見さんと同じ部屋で雑魚寝……


「深見さんの言うとおりですよセンセイ。こんな状況で同じ部屋にいないでどうするんですか?」とお巡りさん。

「そうだよ! 今夜何が起こるか分からないんだから!」と深見さん。

「ちょっと、怖いこと言わないでよ〝みーしゃ〟っ!」と仁科。



「こわいこと?」と独り言のようにお巡りさん。「怖いことって何を想像してるんです?」と訊かれているのは深見さん。

「真夜中に怪物か悪魔が攻めてくることっ」即座にこのお返事。


 こういう受け答えが深見さんなんだな。だけどシャレにならない、ソレ。


「嫌なこと言わないで!」と仁科。この声色、割と本気にしてる。正直人のことは言えないけど。

「ヨシ、さす又を持ってくる!」と村垣先生が動き出そうとする。

「さす又を準備するのはいいんですが……皆さん少しズレてはいないでしょうか?」

 そのお巡りさんのことばに柄にも無く思わず自分が声を上げてしまった。

「ずれてるって?」と。


「水神君は今夜何かが起こると思いますか?」そうお巡りさんに訊かれた。

「それは……起こるような気がしますが」と言った。

「そうだ! ゲンセツの言うとおりだ」と村垣先生も同調してくれた。さらに村垣先生が畳み掛ける。「まさかあんたは『何かが起こるはずがない』なんて思っているのか⁉」


「なんだかこの空間はヘンなテンションになっていますね。結論から言えば本官も『何か危険な事が起こりかねない』と思ってるんですが——その〝危険〟の対象が……」とお巡りさんは言いよどむ。


「まさか!」と仁科。「〝みーしゃ〟が一番危険って言いたいんですか⁉」

「仁科さんは良いカンです」お巡りさんが言った。仁科はお巡りさんを睨みつけている。


「そっかあ」

 深見さんの声だった。

「考えてみたらこういう凶器を握りしめてる人が一番危険だったね」深見さんはそう言った。

「みーしゃ……」

 仁科のお巡りさんを見る目と深見さんを見る目にこれほど落差があるとは。深見さんは微笑みをたたえながら肯いた。

「でも納得できません! 今までずっとわたし達は〝みーしゃ〟の近くにいるのに剣で斬り掛かられていない!」仁科がお巡りさんに吠えた。

「しかし実際一人いる」お巡りさんが端的に言った。


 そのことばにドギリとする。仁科が自分の顔をキッっと見た。なんだこの怖ろしい顔は。


「ならなんでさっきからずっとこんなに近くにいるのに斬り掛かられていないんですか⁉ 〝みーしゃ〟こそこのヘンな剣の被害者なのにまるで殺人犯みたいに扱って!」


 仁科のもの凄い剣幕だった。〝さっきからずっとこんなに近くにいる〟——そう言われてしまった対象は明らかにこの自分だ。だけど、仁科本人にはまったくそのつもりは無いだろうけどある意味この自分の助け船になった。

 きっと思いつかなかったんだろう。

 この自分が深見さんの身体に触れたら『あの事件の再現性』が証明されかねないことを。


 ボディタッチ。


 それは凄く親しい男女間で成り立つコミュニケーション。何かを企んでいる〝女〟ならやりかねないが、深見さんは確実にこの自分にタッチなどしてくれないだろう。

 また自分の方から深見さんにタッチすることもままならない。下手をすれば痴漢になる。

 つまり自分と深見さんが触れた時、再び深見さんに斬り掛かられるというあの悪夢の再現があるのかどうかを試すのは現実問題として実行不能だ。

 それに自分の気持ちの問題として、本当に斬り掛かられたらまたよけられるかどうか分からない。そんな自信あるわけない。深見さんの許可が出たとしてもそれをやる気は起こらない。


 証明不可か————


「今現在安全そうに見えてもこれをもって『安全だ』とはできません」とお巡りさん。

「どうすればお前は満足なんだ?」村垣先生が訊く。


「深見さんにどういう形で寝てもらうか、これを考えないといけません」お巡りさんが言った。

「ふん、どうせもう考えているんじゃないのか?」村垣先生が詰問調で厳しく問うた。だがお巡りさんにとっては渡りに船になった。

「フォーメーションの話しをしていたでしょう。実はそれについて私案があります」

「ヘンなことさせるつもりじゃないでしょうね?」と仁科。

 ほんと、〝友だち想い〟だな。


「深見さんにはこのガラステーブルの下で寝てもらおうかと思っています」お巡りさんが言った。

「こんな低いテーブルで?」と反問する仁科。

「低いからいいんですよ。起き上がるとき頭をぶつけるでしょう?」

「なんでそんな狭いとこ——」まで言いかけ仁科が止めた。

「そうです。すぐに起き上がれないところに寝てもらえば時間が稼げます。どうですか? 深見さんは」

「みんなと同じ部屋に寝られるなら!」と深見さん。


「それともう一つ」、とお巡りさんが続けざまに言う。「深見さんは腕をずっと伸ばしたままうつ伏せで寝られますか?」

「そんなヘンな体勢で寝たことないけど」

「そうですね。たぶん寝られず明日になったら腕が痛くなってることでしょう」

「つまり仰向けで寝ていいの⁉」深見さんが訊いた。

「ただし条件があります」と言ってお巡りさんが取りだしたのは。なんと手錠だった。


「ふざけないでくださいっ」「いい加減にしろ!」仁科と村垣先生がほぼ同時に非難の声を上げた。

「手にはかけません。意味がありませんから。かけるのは足です。女性の足首は細いですから手錠が使えます」

「おんなじことだろうが!」と村垣先生が怒声を飛ばす。


 ここで何かお巡りさんを非難することを言わないと印象が悪くなるな、という理屈を理解しながらなにも言えなくなっている。


「明日、朝になったら血まみれの四体の死体が、なんてことにならなければいいのですがね」お巡りさんが言った。

 村垣先生と仁科の怒声が交錯しなんと言ったかよく聞き取れなかった。

 比較的何でも受け入れていた深見さんがまったく何も言わなくなった。


 この場の空気の険悪さは修復不能レベルに近くなってる!


「ちょっと待ってください。もし深見さんがトイレに行きたくなったらどうするんですかっ?」気がつけば自分の口が喋っていた。

「ハイ?」

 強く語尾が上がる、不機嫌さが明らかな疑問調。そしてその眼光鋭い目。仁科だった。思わず目を逸らしてしまいお巡りさんの方を見る。

「あのっ、なんていうか。その時は〝仁科——さん〟ひとりに危険な仕事をしてもらうわけで……それを思ったら、他の人があんまり安全安全言うのも……」


 お巡りさんは少し考える風。


「言っておきますけどわたしがひとりで手伝うことになってますから!」仁科が機先を制する形で宣言した。

「みあぁ……」

「ヘンな仏心を出さないでね。女の子のそんな姿、見せ物みたくなっていいわけがない」


「分かりました。手錠は引っ込めましょう」お巡りさんが言い手錠をしまった。

「そんなのは当たり前だからな」と村垣先生。


 現実問題として魔物か何かが夜中に襲ってくる危険性より、刃物を握ったままの人と同じ部屋で一夜を共にする方が遙かに危険だけど、これは深見さんのことを思いやらない〝理詰め〟だから。


「そうそう、トイレについては提案があります」お巡りさんが言った。

「なんですか?」怒気を隠そうともしない声で仁科。

「防災用倉庫室に簡易トイレはありませんか? トイレの個室は狭いですからね。簡易トイレは言わば〝カーテン張りのトイレ〟ですから、作業がしやすいでしょう」

「分かりました……」今度は温和しく仁科が同意した。


「いずれにせよ本官は寝ずの番ですよ、何かが起こる可能性は排除できませんから」

「念を押しておくが俺も寝んからな」と村垣先生。

「はい。頼りにしています。じゃあセンセイと水神君はテーブルの移動を手伝ってくれませんか? 我々は今夜ソファーに座って寝ることになります。この状態で深見さんにテーブルの下で寝てもらったら蹴飛ばしてしまいますから」


 ハッとした。たぶんお巡りさんはそこまでは考えてはないと思う。自分は深見さんと物理的に接触してはならない。そんな気がどうしてもしてしまう。だからこの下に深見さんが寝るのならテーブルは動かしてくれ方が都合が良い。


 しかしそれにしてもお巡りさんは飄々としたものだ。自身を非難するあれほどの空気がありながら。

 あるいはこれは〝為にする提案〟だったのかもしれない。『言ったけど聞く耳を持ってもらえなかった』、という状態にすることで後々何が起こっても後悔をしなくて済むという——


「では水神君、防災用倉庫室まで毛布人数分と簡易トイレを取りに行くのを手伝ってもらえませんか」お巡りさんに言われた。

「はい」と自分は返事した。

 お巡りさんは自分といっしょの時も先ほどの状態に対する愚痴をこぼすでも無く飄々としていた。



 二人で二往復かかった。

 毛布を一人頭三枚配り、簡易トイレを保健室に設置————





 ——夜中ふと目が覚める。トイレに行きたくなった。いつもならこんなことはないのにこんな時に限って。トイレには廊下へ出ないと行くことができない。面談室には職員室から卓上スタンドが持ち込まれ点けっぱなしにしてあり減光時の照明の代わりを果たしていた。空調が低くうなり声を上げ続けていた。身体を起こすとなんとお巡りさんがしっかりと起きていた。驚いた。


「トイレなら前まで同行しようか?」などと言われてしまったが、さすがにみっともなさすぎる。丁寧に断った。


 廊下は本当に暗かった。トイレ付近に窓が無い校舎の構造のせいなのか闇がどこまでも深い。とても怖い。やっぱり怖い。何かの気配でもするかと身体の動きを止めてみてもなんの音もしない。

 面談室前まで戻る頃になるとすっかり身体が冷えてしまっていた。秋の夜は意外に寒いんだ。


 部屋の中から「トイレの方——」となんかそう言った声がしたような気がする。深見さん?

「それより急がないと。早く仁科さんを起こしてください」と今度はお巡りさんの声。


 なぜだか自分は立ち止まってしまっている。誰かが話している中に入って行きにくいという感覚でもあるのか。


 面談室の扉が開く。


「ひやっっ‼」と深見さんの声。

 思わず自分も心臓が凍るかと思った。あやうくぶつかるとこだった。危ない。

 深見さんの後ろにはもちろん仁科。しまった! と内心思う。立ち聞きしていたことについて当然なにか言われると思った。


「といれのことありがと」

 ひどく棒読みに聞こえた。たった十音、会話にもなっていないけど間違いなく仁科だった。そしてそれ以上は何も言われることなく、ふたり保健室の方へと歩き出していた。

 〝なにか〟は言われた。でもそれは想像していた〝なにか〟ではなかった。




 自分は面談室に戻りソファーに深く腰掛け三枚重ねの毛布にくるまる。

 深見さん、たいへんそうだ。どう処理するんだろう? そんなことを考えてみる。


 深見さんと仁科の二人が面談室の外へ出てどれくらい経ったろう。時間がかかっている様子。




 想像力は〝性〟より〝恐怖〟の方に振れていて今はもうなかなかそれが頭の中から消えてくれない。そうでなくてもナニカが出るかもしれないのに。目をつぶりながら心配になる。何も起こらない。——出て行った二人が戻ってきた。ホッとする。


「この剣が物の怪に取り憑かれているかもしれないから——」と深見さんの声。

 深見さん……真夜中でも深見さんだなぁ——



 フイに閉まったカーテンの向こうが気になり始める。あのカーテンの向こう、窓ガラスの向こうに何かがいて、こちらに目を向けた顔がある、などと考えてしまった。もちろんカーテンを開けるなんてそんな蛮勇は自分にはない。

 そういうことをする代わりに毛布にくるっと巻かれ巻き込み、ひたすら冷えた身体を暖めようとした。寒いときの毛布は安心感そのもの。ひたすら丸まる。ここには人がいる。だから安心なんだ。ひたすら丸まる。

 ひょっとして今まで見たこともないような怖い夢を見やしないか、それが正夢となったりしないかなどと頭に浮かび、寝るのも怖く……いつの間にか自分はうつらうつらと——

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