第21話【保護者軍団来襲】

『高二男子・水神元雪から見える光景』


 自分は緊張していた。

 深見さんが……『みんなでいっしょに泊まればいいんじゃないかな〜』って言ってくれた。

 自分がその泊まる『みんな』の中に入っているのかどうか。

 『みんな』ってことばはその辺が曖昧だ。


 なぜだか仁科ってやつの方にチラと視線を送ってしまった。一瞬だけだけど目が合ってしまった。焦ってすぐ目を逸らす。


 村垣先生は自分を『みんな』の中に含めてくれた。含めそうもないのはこの女子だ。

 だけど目まで合ってしまったのに何も言われない。


 ——ということは今日は五人でここに泊まるということになるのか。泊まっていいのか。深見さんといっしょに泊まる五人——いや深見さん自身を数に入れるのは変だから四人か、その中に入ってるのか。今日初めて、深見さんと口をきいて、その今日のうちに泊まり……


 今日はなんて良——と思ったところで思うのを止めた。


 まるで深見さんの不幸を喜んでいるみたいじゃないか——と。その時深見さんが自分の方を見ているのに気がついた。今度は深見さんと思いっきり目と目が合う。そうだ、この後どうするか言ってないのは自分だけだ。


「泊まりの許可を貰うよ」


 そう言うと深見さんは微笑んでくれた。その微笑みを斜めからでなく真っ正面から見た。初めて見た。こんな目に遭ってる時に自分に向かって微笑んでくれた。これで決意できた。


 今日はここに泊まる! 泊まらねば絶対に後悔する。親が何と言おうと泊まる。綺麗でないものが混ざり込んだ動機を自覚しつつ決めた。

 だけど深見さんと自分を除いた他の三人に許可が出なければ『泊まり』など無しになるだろう。とは言えやることをやるだけだ。


 自分は自分のスクバの中からスマホを取り出す。しっかりと手に取る。妙に震えがくる。登録された自宅の電話番号に向かって電話を掛けねばならない。家に掛けるのにこんなに緊張するなんて。


 ふと気づくと、面談室のドアが開け放たれ、仁科がすぐ隣り、職員室の方でもう家に掛けているようだった。ここで掛けない。つまり聞かれたくないってことだな。

 そんなことより時間が遅くなればなるほど掛けにくくなる。意を決し自宅番号を選択。

 プルルルルル——即座に繋がる。

『もとゆきっ! 今何時だと思ってんの? 夕食はどうなってんの?』母親の金切り声が電話口から響く。なにげに職員室の方に目を移すともう仁科は切った様子だった。

 早っ!

 こっちは母親の説教が延々と続いている。

「——ちょっと待ってよ母さん。実は今日のことなんだけどさ、実は学校に泊まることになって——」

 再び金切り声。

 村垣先生は自分と同じく手こずっている様子だ。何を話しているのかはよく分からないが揉めているのだけは分かる。

 自分の隣では仁科とお巡りさんが話しをしていた。あれっ、お巡りさんさっき署の方に連絡していたのにもう終わったのか。その会話が自然と耳に入ってくる。

「よく許可が降りたね」

「降りてません」

「ずいぶんと早く終わったようだけど」

「友だちの手に剣がくっついて離れなくなったから学校に泊まることになった、って言ったら『言い訳にもなってない!』って」

「ま、ありのままに言うとね。でも言い訳なら『今日は友だちの家に泊まるから』が定番だろうにね」

「ですよね」

「それでどうなったの?」

「今から学校に行くって」

「それでこんなに早かったのか」

「中司巡査でしたっけ、警察の方はどうなったんです?」

「似たような事情だね。今からこっちに来るって。それだけ」


 この間もずーっと母親の説教が続いている。もはや悟った。電話じゃ埒があかない。グランドに突き刺さっていた謎の剣が同級生の手から離れなくなって——じゃ間違いなくさらに話しが長くなる。そんなことを考えている間にお巡りさんと仁科の会話は事件の当事者、というか被害者、中心人物である深見さんの話しになっていた。その深見さんも二人の近くにいた。


「掛ける先が携帯電話なら、電話はここの学校の電話から掛けた方がいいでしょうね。深見さん自身の携帯電話の番号が着信に表示されるより学校の番号が表示された方が少しばかり説得力を増すでしょうから」

 深見さんは仁科とお巡りさんに付き添われながら、深見さん言うところのロールケーキのようになった剣を重そうに押しながら面談室から出て職員室に向かうところだった。


 こっちではまだ電話口で母親の説教が続いている。自分はもうたったひと言、言った。

「何が起きているかは論より証拠、来て見てよ」それで電話を切ってしまった。許可なんて未だもらってない。

 村垣先生は「いいか! もう切るからな」と怒声を上げていた。ほどなくして本当に切ってしまったようだ。どうやら自分はビリじゃなかったらしい。



 改めて職員室の方を見てみれば受話器を仁科にとってもらい会話をしている深見さんが傍目にも親に手こずっている様子だった。

 延々エンドレスな会話が続いているようである程度の間を置いては深見さんが喋り、またある程度の間を置いてはまた同じことを喋るという状態だった。終いには深見さんの声が涙声のようになっていた。いずくも同じだな。


 その電話が終わらぬうちに、ドカドカと荒々しい足音が複数近づいてくるのが分かった。廊下と職員室を区切る引き戸が荒々しく開けられ、開けられるや否や、

「中司、何をやっている!」と言い放つ大声が聞こえた。間違いなく警察がやって来た。



 これから修羅場が始まる、と予感させるに十分だった。やってきた二人の警官のうち一人は、今日一度ここへ来た顔だった。お巡りさんの直接の上司なのか言うことがひどくキツイ。そして警官達は定番の行動に打って出ていた。


 深見さんの手と剣の柄の間の詳細な観察だ。相変わらずピタリくっついて小指一本動かせない状態。一人の警官がコピー用紙を深見さんの手の平と剣の柄の間に通そうとしたが、コピー用紙は手の平の下に潜り込むことなく、あえなくぐにゃっと曲がってしまった。

 少し時を置き、同じ箇所で再びコピー用紙を潜らせようとしてもやはり失敗。箇所を指の方に変えてもまた同じ。それさっき散々お巡りさんがやっていたことだ。延々繰り返している。今日、初めてここへやって来た第三の警官が言う。

「ダメです。完全にくっついてしまっています」


 ここに『剣の柄と両手の平とがほんの僅かの隙間も無くくっついていること』を都合三人の警官が確認した。公的機関がこの摩訶不思議な事件を公式に認知したことになる。


 さっきお巡りさんと一緒に来た歳をとった方の警官が、

「自分で離そうと思っても無理なのかね?」とお巡りさんが訊いたことと同じことを訊いている。指と柄の間を細かく観察しながら。ここで村垣先生が介入した。

「これで事態はご理解いただけたかと思います」

「しかしこんな事例は……」と初めてここに顔を見せた警官が困ったような顔をし、泣き言のような事を言い始めたとき、ぱたぱたと音が近づいてくる。役者が揃ってきたようだ。



 最初にやって来た保護者は仁科ってのの母親だった。

 入って来るなり怒りの表情が困惑へと一瞬にして変化する。

 そりゃ誰だって驚く。制服姿の警官が三人もさほど広くもない面談室に詰めていたんじゃあ。娘から事情を聞いて目を白黒させているようだったが、それでも簡単に理解などしやしない。しばらくああでもないこうでもないと言い争いをしていたが、突然仁科が言った。


「〝みーしゃ〟はわたしの友だちなのよ!」


 これが決定打となったようだった。村垣先生からの口添えもあり一晩限りの外泊の許可が出た様子だった。『わたしの友だちなのよ』、か……

 じゃ、自分の場合はなんて言えばいいんだ? しかし考えている時間はあまり、ない。



 次に来たのは深見さんの母親だった。ある意味真打ちの登場だ。

「これはどういうことなの? みーしゃっっ‼」

 来るなり言ったことばがそれだった。これは衝撃だった。『みーしゃ』はあだ名などではなく本名なのか。この人が自分の娘を『みーしゃ』などと名付けた張本人か、と妙な感慨が湧いてしまう。とは言えそれで深見さん本人を自分が嫌うはずもないんだけど。


 この母親は仁科の母親と違って、制服姿の警官が三人もいる物々しさなど気にも掛けず、深見さんの側に来るなり言い放った。

「なにをしてるんです? 早く家に帰りますよ!」

「なにをしてるって見ればわかるじゃない! でんわで言ったじゃない! これが手にくっついて離れないんだよ!」

「瞬間接着剤でくっつけたんでしょうっ!」

 うわぁ、それはない、と思ったとき、

「どうしていつもそうなの! だいたいそれで後でどうするの? 手の平と指の生皮が剥けちゃうよ! そんなのも分からないの? お巡りさんだってなんでくっついて離れないのかって不思議がってるのに」

 深見さんが涙声になりながら怒ってる……この声で怒るんだ……と言ったらすごく失礼だけどそう思ってしまった。

「そんなもので遊んでいるからこうなるんですっ」

 深見さんの手に握られた剣のことを言っているんだろう。もしかしたら演劇をやることを快く思っていないのかもしれない。深見さんの家庭の事情に思いを馳せてしまった。だけどとばっちりはこっちにやってきた。


「あなた誰です?」


 深見さんの母親に似合わないきっつい目がこちらを見た。どうやらこの場に『男』がいることと関係があるのでは? と疑われた様子だ。でなけりゃこんなこと訊かない。


 どうすればいい? 誰? 誰って、自分はどういう立場なんだ? なんと言えばいいんだ? まさか『深見さんに好意を寄せている者です』などと言えるわけもない。



 その時こんな時に限って、という間の悪い人が来た。他ならぬ自分の母親だ。

「もとゆきっ!」来るなり名前で怒鳴られた。

 それで誰がやって来たのか深見さんの母親にも分かってしまったようだ。一瞬、自分の母親と深見さんの母親の間に閃光が走ったような気がした。間髪入れずお巡りさんが介入した。自分の母親に向かい状況の説明を始める。


「本官は東王署の中司巡査です。彼はこの事件の目撃者でして、それでここに残ってもらっているというわけです」

「事件? この毛布で巻いた『剣とかいうの』が手から離れないというのが警察が扱う事件ですか?」言ったのは深見さんの母親。会話の当事者ではないはずなのに横から切り返してきた。

「まさか。敢えて事件名をつけるなら殺人未遂事件ですよ。凶器はあの手から離れない剣、襲われたのはここにいる彼です」

「なんですって‼」これを言ったのは自分の母親。

「いま本官が何と言ったか覚えていますか、『敢えて』と言ったんです。それに彼のことを目撃者と言ったんですよ。被害者とは言っていません。ここにいる彼が事件化を望んでいないのですよ」

 そう言うとお巡りさんは自分の方をチラと見た。確かに深見さんを警察になど突き出したくない。だからお巡りさんの言っていることは本当だ。でもそんな自分の思いなんてお巡りさんには伝えてなどいない。そういう意味では嘘だ。お巡りさんには自分が深見さんのことをどう思っているか伝わっているのだろうか。


「被害者って言ったって傷一つ負ってないようじゃないですか!」深見さんの母親が突っかかる。これに反応し自分の母親がずいっと前に出ようとしたが再び間髪入れさせないお巡りさんに、

「ちょっと待って下さい」と諭され引き下がらざるを得なくなる。


「——もし『女子がこんなに長く重そうな剣を振り回したとしても男子がよけられるのは当然だ』、とお考えでしたら本官の後に着いてきて頂ければ疑問は氷解します。なぜ警察が動いているかが分かるでしょう」


 これもお巡りさんの嘘だ。動いていたのはお巡りさんだけで警察は動いてなどいないはずだ。それを察したかのようにお巡りさんは各人の保護者三名に加え、同僚の二人の警官にも着いて来るように促した。


「それではセンセイ、少しお願いします」お巡りさんはそう言うと、都合五名を引き連れ、総勢六名で現場視察に行ってしまった。




 途端にあれほど荒れた面談室はガランとした空間に。しばらくみんな黙っていたが深見さんが嫌なことを口にした。

「もしさ、あのグランドの傷が無くなっていたらどうなるのかな?」

「そんなバカなこと……」仁科が言う。

「だけどこんな不思議な剣だよ。なにが起こっても不思議ないよ」

「あなた、頭がファンタジーになってるから」


 深見さんが窓の方へと目をやる。すっかり真っ黒になった窓に深見さんと自分たちの姿が映っている。


「だけどもう夜だよ。こんな夜はなにが起こっても……」深見さんが心細そうに言う。自分が思いつきで喋り出していた。

「切った傷がすぐに治ってしまう剣じゃ切る意味がない。それじゃ敵を倒せない。だからグラウンドの傷は今でもある」

「ちげえねぇ」村垣先生がすぐさま相づちを打つ。深見さんもけたけたと笑い始める。ひとしきり笑い終えると言った。

「ほんとうね、水神くんの言うとおり」

 場の空気がぱっと明るくなる。やっぱり深見さんの笑顔だよ。



 自分が言ったからでもないだろうけど、ほどなくして六人が戻ってきた。お巡りさん以外、といっても警官の人も二人いたけど、その五人の顔色はどれも蒼いように見えた。蛍光灯のせいだけじゃないと思う。

 深見さんの母親は「どうぞよろしくお願いします」と観念したように言っている。自分の娘を家に連れて帰るということは得体の知れない凶器も家に持ち込まなければならなくなるという現実が言わせたんだろう。きっと。


 自分と仁科の母親は「ここにいて大丈夫でしょうか?」という意味のことをごにょごにょと、ことばをずいぶんたくさん付け足し言っていた。ともに本音では連れて帰りたいと思っているに違いない。

 しかし仁科の方は既に『友だちだから』で決着をつけていた。

 自分の方はひと言、こう言うしかなかった。「事件解決に協力したい」と。


 かなり強引な言い草だと思う。でもさすがに母親も自分のウチの子だけを連れて帰りにくい雰囲気だったのか、渋々成り行きで学校での一泊に許可を出す方向へと向かいつつ、しかし尚くどくど喋っていたが、その最終的結論を喋り終える前にお巡りさんが、

「本官が一晩中付き添いますから」と力強く宣言していた。

 これが背中を押したことになった。もちろん自分がここに残った本音は、『深見さんを残して家に帰れるわけがない』というこのたった一つの理由のみ。



 やがて警官二名、保護者三名は帰って行く。

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