第14話【くっついちゃってます】
『高二男子・水神元雪から見える光景』
「トイレの中から出て十分な距離をとってください」自分としてはそう言うしかない。
しかしそう言ってもお巡りさんと村垣先生はまるで合点がいかないようで動く様子がまったく無い。
「この剣が人を襲っちゃうんでーす」と再びトイレの中から深見さんの声。
いや、剣を手にしてる人が言ってもダメなんじゃあ……
「剣がそれを持った人間の意思とは無関係に……持ってしまった人間の身体を勝手に動かす……んだと思いますたぶん」と自分がフォローした。
「そうっ、それだよ水神くん!」と深見さん。
「『妖刀村正』か?」と村垣先生。
『妖刀村正伝説』って持った人を正気のままにしておかなかったような……深見さんは普通に深見さんで正気のような感じがするけど……まぁ口きいたの今日が初めてだけど……
「では深見さんでしたか、その剣を手放し、トイレの上から外に投げてくれませんか」お巡りさんが言った。しかし深見さんからは、
「それができれば苦労しませーん」と戻ってきた。
深見さんの声質で緩和されちゃってるけどとんでもないことを言ってる。まさか深見さん、正気じゃないのか?
「それは剣を手放すつもりが無いということですか?」お巡りさんがそう声を掛ける。
「手放すつもりはあるんですけど、見てもらった方が早いんでーすっ」と深見さん。
深見さんの言うとおりトイレのドアを挟んでのやりとりは音声のみで、声以外の様子はまるで分からない。
「グラウンドのあの傷、思い出してくださーい」と続けて深見さんから戻ってきた。
「深見さんの言うとおりにしてあげてください」と自分もお願いする。
『さす又』を持ったまま村垣先生はどうしようかと逡巡していたがお巡りさんが、「ここは一旦下がりましょう」と言い、自分の提案に同意してくれた。
三人ひとかたまりになって後ずさりを始める。女子トイレの入り口から離れることおよそ四メートル。深見さんの『少し遠くに離れて』という要望通りに距離をとった。お巡りさんと村垣先生に促され代表で自分が言った。
「距離をとったよ!」深見さんによく聞こえるよう、大声で言った。
深見さんが女子トイレの入り口からゆっくりと廊下へ出てきた。黒々とした人の形をしたものが暗い校舎の中をゆっくりと歩いて来る。窓から入る弱々しい蒼い光が廊下を照らしてる。その光の中に深見さんが入った。足が止まる。
「水神君、センセイ、本官の後ろに下がってください」お巡りさんが言った。自分と村垣先生は言われるまま下がる。
少し震えるような仕草で蒼い光の中に立っているのは確かに深見さん。間違いない。外見でも確認した。しかしあの剣をしっかり握りしめたままだ。お巡りさんが『下がるよう』言うはずだ。
深見さんが手にしているその剣は薄暗い中でもギラと一瞬だけ銀色の反射光を放った。まるで自己の存在を主張しているかのよう。なんでそんなもの持ったままなんだ?
「その凶器を速やかに手放しなさい」とお巡りさんは〝凶器〟というドギツイ表現で行動を要求した。
「離せませーん」深見さんから答えが戻ってきた。その返事で身体が強ばる。
「放せないとはどういうことか?」このお巡りさんでもだんだんとことばが厳しくなってくると感じた。
「とれないってことでーすっ」
「とれない?」
「これ手にくっついてしまってるんですっ」
なんだってっ?
「くっついてどうしてもとれませーんっ」
「冗談はよせ深見!」村垣先生が口を開いた。
「冗談じゃありませーん」と深見さんからの返事。
深見さんが喋ると緊張感が無くなるなぁ深見さんらしいけど。とは言えこうした会話でハッキリしたことがある。深見さんは剣を手にしたままだけど、決して襲撃はかけてこないということ。
しかしこの状況は決して安心できる状況じゃない。
「手には得体の知れない凶器か、まずいな」とお巡りさんが言った。
「これから何をするか考えを訊きたい」村垣先生が問う。
「身柄を確保するのにあの凶器はね」
「さっきから凶器だの確保だの深見は犯罪者じゃないぞ‼」
「しかしこの状況、なりかねませんよ犯罪者に」
「深見さんの身体に触らないようにしないと」、言ったのは自分だった。
「際どいことを言うな。水神君」と、お巡りさん。
際どい。誤解されるような物言いをしたかもしれない。でもこの状況を打開するために少しでも役立ちそうな情報なら言うしかない。
「触れた瞬間、斬り掛かられました」自分は言った。
そのひと言で全員が黙りこくり校舎内に静寂が戻る。
「それは重要な情報だ——」と、まずお巡りさんがその静寂を破った。「——だが水神君も本官もセンセイも同じく『男』です」
このお巡りさんは本当にリカバリーが上手いと思う。
「『男』がだめなら『女子』ならいいんじゃないかな?」深見さんがヘンなことを言い出した。
「それは?」とお巡りさん。
「〝みあ〟に、同じクラスの仁科美愛さんに頼んでみて! いえっわたしが頼みますっ!」
「なるほど友達どうし、女子どうしなら〝敵〟だと認識しないかもしれない」
そう言ったお巡りさんに村垣先生が噛み付いた。
「オイあんた、一般市民に確保させるつもりか! だいたい『女なら安全』だなんて、どこにそんな確証がある⁉」
「親しい人が説得するという効果はバカにはできません。できればあの彼女の友だちに来て欲しいのですが、連絡とれますか?」とお巡りさん。
そう言われてしまい村垣先生は迷い始めているようだった。
「夜がやって来ちゃうよぉ」深見さんが頼りなげな声を出す。
廊下の窓の外を見れば西の空と地との境のあたりに茜色が残るのみ。夕闇から本当の闇への境界線辺り。今まで生きてきて夜が来るのがこれほど怖かった日があったろうか? 夜がこれほど心細いとは。
夜がやって来ちゃう——夜がひたひたと向こうからやって来るような言い方が怖すぎる。
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