第9話【基本は『事件現場に戻ること』です】
『高二男子・水神元雪から見える光景』
「現場はどの辺?」お巡りさんがグラウンドの真ん中へと歩きながら言った。
既に夕方の弱々しい光さえ消え失せ、薄暮・トワイライトゾーンな世界の中に自分達はいる。グラウンドの上は肉眼でものが見えるギリギリの時間帯。地面が黒々とし始めている。早くその場所を見つけないと検証は明日以降に持ち越しになってしまいそう。
「場所はすぐ分かります」自分は言った。
「なぜ?」お巡りさんが訊いた。
「たぶん僕のスクバが落ちている辺りです」
スクバは重かった。テスト期間中、机の中をからっぽにするべく全ての教科書をスクバの中に詰め込んでいたから。本当ならテストが終わった時点で机の中に戻すところ、教室で眠り込んでいたため中身はそのままだった。挙げ句に偶然深見さんの姿をグラウンド上に発見、教科書の移動などいつでもできるとばかりに教科書がつまったままのスクバを持って行動に奔っていた。
本当ならそんなもの持っていく必要は無かったはずだ。きっと持っていったのは心のどこかに『いっしょに下校できるかも』という想いがあったからだ。それを持たずに行っても『スクバをとってくるからちょっと待ってて』なんて言えない間柄なんだ。瞬間芸みたいなものだけど咄嗟の判断としては極めて妥当だったと思う。
この重いスクバを捨てなければ逃げ足も遅くなり危なかったかもしれない。
そんなことを考えながらなおも三人まとまって歩いていく。
「なるほどあそこにあるのがそうか?」
お巡りさんの指さした先、確かに自分のスクバが地面の上に転がっていた。そこへ向かって全員揃って小走りで距離を詰める。
「うおっとっとっとっとっととっ!」村垣先生が何かに蹴躓きかろうじて転倒を逃れた。GKで鍛えた反射神経のたまものか。
「しっかりして下さい——」とお巡りさんが言いかけ言葉がそこで途切れた。次に声を出してしまったのは自分だった。
「何だこれ⁉」驚くほどよく通る声が出てしまった。そこにあったのは村垣先生が蹴躓いた原因————
お巡りさんが巻き尺を取り出し地面の上に置いていた。
「長さ約二メートル十センチか」
そう言ってお巡りさんは小型のデジタルカメラをなにやらセッティング中。
「近頃の警官は鑑識まで自分でやるのか?」村垣先生が怪訝そうな声で訊いた。
「やりませんけど、〝鑑識〟を引っ張り出せない時のための『言い訳アイテム』ってやつです」
お巡りさんはそう言いながらデジタルカメラを操作し、巻き尺もろとも写真に収めたようだった。パパッと何回かフラッシュが光る。
「なんだそりゃ?」と村垣先生。
「『自転車が壊された』『車が傷つけられた』少し変わったところでは『ウチに来たツバメの巣が壊された』とか種々雑多な様々な案件が警察には持ち込まれるわけです」とお巡りさんはなおも写真を撮りながら言った。
「それで?」
「あぁ水神君、この巻き尺、こういう感じで持っていてくれないか? この穴の深さを計りたい」
お巡りさんは地面に置かれた巻き尺を両手に取って、地面と垂直、縦方向にしてみせた。
自分はお巡りさんに頼まれるまま巻き尺を穴の中に垂らす。穴の中半分ほどは砂のようになった土がたまっていた。その土をかき分け巻き尺の先端を最深部へ。
「深さ、最深部で約十三センチ。すいませんそのままで、これも写真に撮るので」
お巡りさんは再び何度かフラッシュを焚いた。
「それでその後は?」村垣先生がさっきの問いの回答をするよう急かした。
「その全ての案件で鑑識さんに出張ってもらうわけにはいきません。要は『警察官が写真を撮ってくれた』ということで相談者の市民の方に満足感を感じていただけますね」
「満足感だけか?」
「実際に撮った写真を何に使うとか、まず使いようがないですかね」お巡りさんはそう言いながらあらゆる方向から写真を撮り続けていた。さらにお巡りさんは少し離れ、学校の校舎ともどもデジタルカメラに収めているようだった。フラッシュを焚き感度を最大限上げてギリギリといったところだろうか。
「だったらもういいだろう。この暗さじゃ見張りなどいてもいなくても同じだ!」村垣先生が怒気を隠そうともせず言った。
無理もない。お巡りさんとしては『鉄パイプを手にした異常者』がこの辺りを徘徊しているという認識なので周囲の見張りを村垣先生に依頼した。
村垣先生は渋々それを引き受けたが、この暗さになってしまっては確かに不審者が近づきつつあっても〝見えにくい〟、というかもうそろそろ見えない。
ヘンな言い方だけどお巡りさんは〝生き生きと写真を撮ってる〟ようにしか見えない。そんな若造にあれこれ指図されるのを村垣先生が嫌ってるのかもしれない。
お巡りさんの行動は確かにヘンだ。ヘンな人だ。
だけどこのヘンな人に自分は感謝している。こんな人がいっしょじゃなければこの時間にここに戻ってこようとは思わなかったろう。ここに戻ってきたからこそ解ったことがある。
グラウンド上のこの傷は異様だ。
ここに長さ二メートル十センチ、深さ最大十三センチの三日月状の傷がある。そんな傷がグラウンドに刻まれていた。村垣先生はこの穴に躓いた。
「センセイ、この学校にはグランドにこうした穴ぼこを掘る必要のある部活はありますかね?」お巡りさんが写真を撮るのを止め、訊いた。
「そんな部活あるわけないだろう」怒ったように村垣先生が言った。
「分かり切ったことをわざわざ訊くのは念のためってやつですよ」そう言うとお巡りさんは〝地面の傷〟の傍から離れることのできなくなってる自分の横にしゃがみ込んだ。
「水神君、知ってることは全て話してくれないか? だってこれは現場の状況から見て殺人未遂事件じゃないか」
この異常な状況が決断させたとしか思えない。
「すいません。嘘、ついてました」
「なにっ? お前っ——」と村垣先生が言いかけたところでお巡りさんが制止させた。
「振り回されたのは鉄パイプじゃありません」
「だろうね」お巡りさんが『驚かない』といった調子の声で返事した。
「この近くに『剣』が突き刺さっていたんです。探せばその穴も見つかるはずです」
「なに? ケン?」と言ったのは村垣先生。
「斬ったり突いたりする武器のことです」と言った。「『剣』じゃ本気にされないだろうと思って……」ここまで自分は言った。
「日本刀の類じゃないということかな?」懐中電灯を取り出し地面を投射しながらお巡りさんが念を押して訊いてくる。
「日本刀は反ってます。あのカタナは真っ直ぐ、直線でした。だから剣です」
「日本ではあまり見ない型の刀剣だね」とお巡りさん。
「ちょっと待ってくれ!」村垣先生が話しを止めた。
「何でしょうか? センセイ?」
「あのな、いくらどんなに切れ味の鋭い剣でも刀でも、こんなに地面をざっくり傷つけられるわけないだろう? 砲丸投げの球を落としたってこんな穴ぼこにはならない」
「でも実際傷はついていますよ」お巡りさんは尚も懐中電灯による投射を続けながら平坦な調子で言い、次いで、
「これが剣が刺さっていた穴かな?」と独り言のように呟いた。自分もそれをのぞき込む。
長さ約五〜六センチといったところか、深さは分かりそうもない。すぐにグラウンドの砂で埋まってしまいそうな小さな穴だった。確かにそれはそこに実在していたという証拠だ。お巡りさんは再びデジタルカメラを構え撮り始めた。またもフラッシュが光る。その作業をしながらお巡りさんは訊いてきた。
「念押しついでに訊くけど、その剣を振り回した人物、知っているよね?」と。
言いたくないような。言わなければならないような僅かな迷いの後、
「……深見さん……。三組の深見さんです」誘引されるように自分は言ってしまっていた。
この地面の傷が言わせてしまったのだと自分に言い聞かせるしかない。
その名前を聞いて村垣先生は驚愕しているようだった。理由は分かる。村垣先生は今三組の担任だから。
「あのコがそんなことをするものか?」実に率直な感想を村垣先生は発していた。確かに普通そう思う。良い意味での先入観だ。しかしお巡りさんは変な言い方だけど警察の人だった。無慈悲に訊いてきた。
「その深見さんという生徒と連絡はとれますか? センセイ」
なにかを言おうとしてかろうじて村垣先生は何かを言うのをやめたようだった。
「深見さん、逮捕したりしませんよね?」
自分は深見さんを恨みたくない。幸いに怪我もしていないし……だがお巡りさんは、
「深見さんという生徒の居場所を確認したいのですよ」と、実にあっさり言ってのけた。
自分のスクバを拾い上げる。
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