4-4 Curry and rice【カレーライス】
バレー部の体験をしていたジェシーは、陽が沈む頃に、大勢の女子に連れられて家に帰ってきた。
ちなみに、学校の女子が僕の家に来るというイベントはこれが初めてのことである。
「譲二君、ジェシーちゃんに何かしたら許さないからね」
クラスの中でも気の強いリーダー格の女の子は、僕にキツイ言葉と視線を投げかけてくる。同時に周りにいる女の子達も似たような雰囲気を発散してくる。この初めてのイベントは、甘い視線を投げかけてくれる女の子とドキドキワクワクしながら迎えるものだと思ったが、なぜこんな緊張感のあるものになってしまったのか……。いや、ドキドキはするけどなんか違うぞ……。
「ジョージ、ナニをしようというんですか?」
ジェシーは純粋にその言葉の意味を僕に問いかけてくる。
「べ、別に何もしないよ……」
弁明しているのに、女の子達の僕に対する威圧感はより強くなる。
「お兄ちゃんには、私が絶対に何もさせませんから安心してください」
誰も味方はいないと思っていたら、愛が仲裁に入ってくれる。ジェシーが来てからずっと様子がおかしいと思っていた愛だが、一日が経っていつもの礼儀正しい落ち着いた愛に戻ったらしい。
「へえ、こんな妹さんがいたんだね。とりあえずは安心かな」
大人顔負けの丁寧な口調と態度を見せる愛に、女の子達の表情は緩む。僕は、女の子達からの威圧感から解放された安心感と、愛がいつもの愛に戻ってくれた二重の安心感に包まれる。
「じゃあ、また明日ねジェシー」
「さようならー」
女の子達が各々に別れを告げると、ジェシーは丁寧に別れの挨拶をする。
楽しそうに手を振るジェシーを見て、とりあえず留学生活一日目はうまくいったようだと僕も嬉しくなった。
その日の夕食は牛親子ネギトロうなカレーカツ海鮮天丼……、ではなく、ただのカレーライスであった。
「牛親子なんとか丼じゃないんだね……」
激動の一日の後で、そのことをすっかり忘れていたが、とにかく普通のものでよかったと僕は安堵する。
「ジェシーだけなら、牛親子ネギトロうなカレーカツ海鮮天丼にしたかったんだけど、これは私も食べるものだからね……。ただのカレーライスになりました」
愛の料理のことは他ならぬ愛が一番分かっているわけだし、愛自身も自分の作った牛親子なんとか丼を食べたいとは思わないだろう。
「わお! これが日本のカレーライスですね!」
僕にとっては特に感動の無い定番のメニューであったが、ジェシーにとってはこんな普通の食事でもワクワクするものらしい。
「うまい! やっぱりアイの作る料理は素晴らしいですね」
昨日と同じように丁寧ないただきますの後に、喉を詰まらせるのではないかと心配になるほどの勢いでカレーライスを掻き込んだジェシーは、開口一番、幸せそうにつぶやく。
「でもジェシーだけなら、牛親子なんとかスペシャル丼が準備されていたかもしれないんだよ?」
「いえいえ、オレだけじゃなくてジョージも食べる料理ですから、絶対に大丈夫です」
愛はあくまでも愛自身のためにカレーを作ったわけで、僕のためというのはジェシーの勘違いも甚だしいとは思ったが、なんにせよ、ジェシーは安心していたようだし、僕も普通の食事で良かったと思う。
「お兄はどう? おいしい?」
愛に促されて、僕もカレーを一口食べる。
「うん、いつも通りおいしいよ。愛の料理はやっぱり最高だね」
食べ慣れた味に僕は舌鼓を打つ。三人の間でどういうすれ違いがあるにしても、やっぱり食事はおいしいのが一番である。見た目にはシンプルな愛のカレーは、その中に愛オリジナルの配合のスパイスを仕込んだ深い旨味のあるカレーであった。
「ありがとう」
愛はちょっと照れくさそうに微笑む。いつも愛の手料理を食べている身としてお墨付きを与えられるくらいに愛の料理の腕は確かなものだったから、愛はもうちょっと自信をもってもいいんじゃないかなと思う。
「いつも通りおかわりもあるからね、お兄」
「今日は、おかわりは遠慮しとこうかな。一杯でも十分だし、ジェシーが食べたそうだしね」
普段の僕なら愛が勧めるままにカレーの日はおかわりするものだったが、僕はそんなに多く食べるほうではないし、一杯で満足できる。それなら、子どものようにガツガツとカレーライスを食べるジェシーに食べてもらったほうがよいと思ったのだ。
何がきっかけになったのかは分からないが、その後、愛は露骨に不機嫌になる。
いつもなら、僕がおかわりというと愛がよそってくれるのだが、ジェシーにはカレーを自分でよそうに言った。ジェシーはそれすら楽しそうにやって、カレーもおいしそうに食べていたが、やっぱり愛の機嫌を読むのは難しい。
「ジェシーは、なんで日本語ができるようになったの?」
僕はカレーを食べ終えて、後に用意されたヨーグルトドリンクを飲むだけとなっていたので、気になっていたことを聞いてみた。ちなみに、この飲み物は愛がその時を見計らって準備してくれたわけだが、ますます愛の機嫌はよくわからなくなった。
「ん? どういう意味ですか? 昨日、マンガのことは話しました」
ジェシーはカレーを食べる手を止める。そのきっかけ的なものは確かに昨日の夜聞いたが、英語をできるようになることを決心した身として、もっと詳しいことが聞きたかった。
「だって、マンガなら英語でも読めるよね? ジェシーの持っているマンガは英語版も多かったし」
「日本語と英語で読むのは全然違います。英語で出版されてないマンガもたくさんあります」
「それはそうだろうけどさ。それだけで、日本語がやりたいって思う程だったの?」
日本では英語をほぼ全ての人が教わるが、できる人は少ない。そのことからも二つの言語間にはかなりの距離感を感じる。アメリカでは普通に生活していたら日本語を学ぶ機会はないだろうし、アメリカ人であるジェシーが日本語に対して感じる壁はそれ以上だろう。その壁を破るのは並大抵のことではない。
そう考えて投げかけた僕の疑問に対して、昨日出会ってから初めて、ジェシーは眉をひそめるような表情を見せた気がした。
「オレは日本語をやりたいとは思っていませんよ。ただ、マンガをもっと深く知りたいと思っただけです」
「日本語は難しそうとか考えなかったの?」
「……考えてないです。オレの世界は普段は白黒ですけど、時々、違う色がついた世界を見たくなります。日本語もそうです。普段とは違う色を見せてくれます」
「へえ、すごいね」
ジェシーのマンガ感を甘くみていたのか、それとも言語間の感覚を甘く見ていたのか、僕はジェシーの世界感にただ感心することしかできない。
「このカレーも、色がつくとよりいっそう美味しく見えますね」
ジェシーはメガネを掛けて、カレーの色を確認すると、再びカレーを食べ始めた。
「それでも、オレには日本のわびさびとか細かいところは、よくわかりません。そういう細かいところまで見えればと思って日本に来たんですけどね」
「ジェシーは日本に来たことはないんだよね?」
「もちろん、これが初めてです。日本に来れることを楽しみにしてましたし、今後、ジョージ達とどんなことができるのかと楽しみにしていますよ」
うーん、異言語間の具体的なアプローチの参考はなかったわけだが、感情的なところはなんとなく共感できるところはあったし、何より僕もジェシーとどんなことができるのかと考えると楽しみであった。
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