3-5 The beginning of the world【世界の始まり】

「いや、そんなことは聞かなくてもわかるだろう? 全くできないよ」


 同じクラスにいる人間で、まして友達であれば、その学力や英語力は手に取るようにわかる。稀によく知った人間同士であっても今まで知らなかった特技を見せられて驚かされることもあるが、学校で英語が出来るのにそれを隠し通すなんて器用なやつはいないだろう。


「じゃあ、ジェシーちゃんとのコミュニケーションはどうするんだよ?」


「それは心配ないよ。今日のジェシーの学校での様子を見れば分かるだろうけど、ジェシーはある程度日本語ができるんだ。イントネーションとかちょっと変だし、語彙とか表現力とか若干おかしなところはあるけど、基本的なコミュニケーションはできるよ」


「ああ、なるほど。お前はもうジェシーちゃんとよろしくやっているんだったな」


「だから、変な解釈するなよ」


「でも、もうジェシーなんて呼び捨てにしているじゃないか!」


 言われてみれば、このクラスの面々はみんなジェシーのことをちゃん付けかさん付けで呼んでいるから、ジェシーと呼んでいるのは僕だけである。


「まあ……、それは……、ほら! 向こうではわざわざいつでも敬称を付けて人を呼んだりしないでしょう?」


「ここは日本だ! かなり仲が良くならない限り、人のことを呼び捨てで呼んだりしない!」


「成り行きだよ! しょうがないだろう! これでも一応家族っていうことになるんだし! お前は家族のことをさん付けで呼ぶのかよ!」


「まあ、呼ばないな……。畜生、なんで、ジェシーちゃんは譲二の家に行ったんだよ。うちに来れば、俺がジェシーって呼び捨てにできたのに」


「僕も知らないよ。昨日、突然来たんだから……。でも、ジェシーと英語でもコミュニケーションができたらいいなとは思うよ。日本語でもある程度は、コミュニケーションは取れるけど、英語ができたらもっと深いコミュニケーションが出来ると思うしね」


「ふうん」


 翔は何やら訳知り顔である。


「なんだよ……。でも、翔だって英語ができるわけじゃないだろ。翔はどう思うんだよ?」


「英語ができれば、世界は広がるなぁって思うよ。英語ができないせいである足枷(あしかせ)というのは誰もが実感していることだろう。それがなくなればもっと自由に世界を翔(と)べるんだろうな」


 翔のその言い方が、マンガを読んで感動したジェシーの物言いとあまりに似ていたことに僕は驚く。


 色が見えなくても生きていくことはできるが、世界はちょっとだけ単調になる。


 英語ができなくても生きて行くことはできるが、できれば世界は少しだけカラフルになる。


 どちらも生きていくのに必要ではないかもしれないが、単調な世界が少しだけ豊かなものになり、鮮やかなものになる。


「翔、お前はジェシーの目のことを知っているのか?」


「目? ああ、あれは綺麗だよな。綺麗な透き通るような碧眼。うん、素晴らしい……」


 呆けているわけでもなく、翔はジェシーが色盲であるとは知らないらしい。コートでバスケットをするジェシーの目の色が翔に見えるはずもないが、翔は何やらジェシーのことを想像して遠い目をしている。翔とジェシーの間に直接のやり取りがあった覚えはないが、ずいぶん細かいところまで見ているんだなと僕は思う。


「そうだな……。俺も、ジェシーちゃんと英語でしゃべってみたいし、この一年で英語やってみるか?」


 冗談っぽい翔の言い方であったが、その心のこもり様はマジであった。


「いいや、半年だ」


 翔の決意も相当なものだと思ったが、僕はその条件にさらに上乗せする。


「半年だと!?」


 僕が宣言した期間は、翔の半分しかなかったのだから、翔が驚くのも無理はない。


「一年後に英語ができたって、それじゃあジェシーと別れの挨拶をいうだけで終わってしまう。それだけじゃあ意味ないだろう? ジェシーと本気で英語で話そうと思ったら、半年くらいである程度は英語ができるようになっていないといけないんだよ」


「それは、そうかもな……。でも、そんなことができるのか?」


「まあ、できないかもしれないな……。でも、半年で英語がある程度できないと、結局、ジェシーと英語で深いコミュニケーションもとれないんだよ。だったら、やるしかないじゃん」


 一方、試合のほうでは、ジェシーがボールを持っていたがインサイドをがっちりと固められてさすがに厳しいかと思っていたら、ジェシーはその場で思い切り飛び立ちふわりとボールを放った。スリーポイントラインの外から見事な放物線を描いたボールはリングの中心を射抜き、ネットだけを鮮やかに揺らした。


 その姿に僕の目は奪われる。


 翔にもある程度考えがあって一年と言ったであろうものを、半年でというのは、言った僕自身でも無謀に思える。


 しかし、僕がその少女のことをより深く知りたいという思いは、ジェシーがマンガの世界に魅了された気持ちにも負けていない。


「やれるやれないはともかく、やるしかないか……」


 翔もそのことに懐疑的ながらも、納得したようにつぶやく。


「じゃあ、半年で英語やってみるか!」


 こう思うことは人生で何度かあったが、その全てが本当にちょっとの意思でなんとなくというものであり、ここまで本気でそう思ったのはこれが初めてであった。

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