2-3 Self-introduction【自己紹介】

 寿司パーティーが終わって、入浴も済ませ、もう寝るだけとなったのだが、なんだか落ち着かない。


 ちなみに、お風呂については、異性である僕がジェシーのお世話をするわけにもいかず、全てを愛に任せっきりだったため、お寿司の後はジェシーとはほとんど会っていない。


 思い返せば長い半日であった。


 突然、金髪の女の子が尋ねてきたと思ったら、その子はうちに来たホームステイで、ぎこちない日本語を交えながらも、荷物の整理をして、一緒にお寿司を食べて……。


 たった半日なのに、この夏休みの他全部を集めたよりも濃密だった気がする。


 嵐のような半日が過ぎて、ようやく落ち着ける時間が来たというのに、全く落ち着かないのはどういうわけだろう。


 ジェシーと愛の後に入ったお風呂のあとはいつもと違う香りがして、引っ越し作業の疲れを癒すべくゆっくり入浴したはずなのにほとんどリラックスできなかったし、眠気は全然襲ってこない。


 明日学校があるから楽しみや不安で寝付けないというわけじゃない。入学式のときならいざ知らず、もう高校生活にも慣れきっていて、そうした焦燥感はない。


 僕はなんとなく、何が目的であるのかもわからなかったけど、隣の部屋をノックする。昨日まで倉庫代わりだったそこには、今日からは隣人がいる。


「はい?」


 部屋からは、聞きなれたちょっとだけぎこちない日本語が返ってくる。ジェシーもまだ起きているようだ。


「今、入っても大丈夫?」


「いいですよ。どうぞ」


 部屋にはお風呂で感じたのと同じ、いつもと違う香りが漂っていた。


 お風呂あがりのジェシーはまるで、別人であった。いや、ジェシーはジェシーであるのだけど、その姿は全く違う。


 風呂上がりのジェシーは当たり前のことだが、服を着替えていた。白のネグリジェのワンピースは、見るからに楽そうで寝るのに最適な服ではある。


 でも、その服装は昼間の服装と比べて露出度がさらに高い。大きなおっぱいの上の部分がかなり見えているし、足も腕もそのほとんどが露出しているし、その白がなんか透けて見えるんじゃないかっていうくらいのものであるから困る。


 というか、これノーブラなんじゃないの? 否応なくおっぱいに惹きつけられる目線を外そうと必死になるが、なにか強力な力が働いて目線を動かすことが出来ない。


 女の子を家に招いたこともない僕が、寝る直前の無防備な女の子の部屋を訪れたことなど当然あるはずもなく、それがこれほどの破壊力を持っているのかと思い知らされる。

 いや、でもこれがたぶんアメリカンスタイルなのだと、僕は心の内の僕をなんとか抑えつけた。ここでなにかをしてしまったら、ホームステイ一日目からジェシーを異国の地の路頭に迷わせることになってしまう……。


 そうして、少しだけ冷静になってみれば、ジェシーの他の姿もよく見える。お風呂からあがって髪を下ろした姿はポニーテールの時の子どもっぽさが少し抜けて見える。この姿を見ればジェシーが僕と同年代というのも納得がいく。


「お風呂は覗きにこなかったですね?」


 僕の心の中での葛藤を知ってか知らずか、しばらくしてジェシーから声がかかった。


「いや、そういう間違いが万が一にもないように愛に一緒にお風呂に入ってもらったんだよ!」


「そうなんですか? 本当は、そういう振りをして、自分は覗こうって考えていたんじゃないですか? 一緒に入ったら覗くことはできないじゃないですか?」


 僕が今決死の思いで抑えた怪物のことをジェシーはまるで楽しみにしていたように言うが、万に一つにもその怪物と会わせるわけにはいかない。いや、会わせてもみたいけど……。


「だから、なんで覗く前提なの! 大体、そんなことしたらジェシーもこの家にいられなくなっちゃうよ」


「だって、マンガではよくあるシーンですよ? そういうルールを破る背徳感がいいんじゃないですか?」


 背徳感なんて言葉を日常生活で聞いたことは皆無である。それをまさかアメリカ人であるジェシーから聞くとは思わなかった。どうしてこうもジェシーの語彙は偏っているのだろうか。


「絶対しないからね!」


「うーん、譲二は意気地なしの草食系男子ですね。それも最近の日本人によくあるとは聞いています」


「そういうことにしといていいよ」


「でも、こっそり覗いたんじゃないんです か? 部屋の外側から覗くのも鉄板ですよね?」


「大体ね、そんなことしたら僕も愛に殺されちゃうからね」


 愛は普段は大人しいが、怒ると怖い。今日、ジェシーのことについて文句を言った時もそうだが、たぶん怒るということに対しても真摯なのだ。その感情にも一切の手を抜いてくれない。もし、覗きがばれたらどうなってしまうのか想像するのすら恐い。


「そうですか。初日は様子見ということですね」


 とりあえず、ジェシーからかけられた覗きの容疑はなくなったようだ。


「それで、ご用件はなんでしょうか?」


 今日初めて出会った時に使った僕の日本語をジェシーが再現してくれると、なんだか嬉しい。


「ええと、明日は学校でしょう? 準備は大丈夫かなあと思って、何か手伝うことはない?」


 本当は、何か用事があってきたわけではなかったけど、僕は思いついたことを話す。


「うーん、いろいろと気になることはありますけど、結局、行ってみないとわかりません。今更できることもありませんからね。当たって砕けろというやつです」


 言われてみれば、何事も最初にするときはそういうものではある。


「そうかもね、。じゃあ、なにも用意できることはないかな」


 ジェシーがそういう行動力に溢れていることは、今ここにいることから明らかである。アメリカから単身日本にホームステイにくることなど並大抵の人にはできないことだし、その行動力があれば初登校だからといって心配することもないだろう。


「そうだ。では、自己紹介の練習に付き合ってくれませんか? アメリカで練習はしてきたのですが、日本人がどう感じるのかご感想をお伺いしたいです」


 活発なジェシーにしては遠慮がちにお願いしてくる。


「そうだね。いいよ」


 僕はジェシーのお願いにはなんでも応じるつもりだったから、断る理由はない。


「それでは……」


 ジェシーは一呼吸置いて、自己紹介を始める。


「はじめまして、オレ はアメリカから来たジェシーです。これから一年間ここでお世話になります。日本のマンガが大好きで、いつか日本に来たいと思っていました。日本語は難しくて、間違えることも多いと思いますが、みなさんよろしくお願いします」


 ジェシーの日本語は、日本人である僕が聞いても違和感がほとんどないくらい丁寧だった。ジェシーの普段の会話は話していて結構違和感があるが、あらかじめ準備していたらここまで完璧にできるらしい。


「すごくよかったよ。ほとんど完璧じゃないかな」


 僕は拍手して、ジェシーを褒める。


「ほんとうですか? ありがとうございます」


 ジェシーは余程、日本人がどう感じるか気になっていたようで安心したようだ。

「でも、どうやって準備したの?」


「日本語の先生と一緒に準備しました」


 ジェシーがなぜアメリカに居ながらにして、これほど流暢に日本語がしゃべれるのかとずっと疑問だったが、少しだけ謎が解けた。その先生というのはよほどいい先生なのだろう。


「何か他に意見はありませんか? 」


「うーん……、そうだね……」


 ジェシーの自己紹介は、外国人がやるものだと思えば文句無しと言えるものであったが、日本人視点でみれば、やっぱりケチをつけなければいけないところがある。明日からの学校生活もあるし、僕は思い切ってそのことを指摘することにした。


「『オレ』って自分のことを言うのは止めようか。女の子は、普通、自分のことを『私』っていうんだよ」


 相手が外国人だと知っていれば、細かいところが間違っていても別に構わないと思うし、オレも私も自分の言葉を指すことに違いはないが、やっぱりジェシーがその言葉を使うのには違和感がある。


「そうなのですか? 日本語は、一人称がたくさんあります。私、オレ、僕、拙者、吾輩、我。オレはオレっていう表現が一番のお気に入りなのでそれを使っていますがよくないですか?」


「よくそんなに一人称を知っているね……」


 ジェシーの一人称が拙者とか吾輩でなくて本当に良かったと思う。


「はい、日本語をいっぱい勉強しましたから」


 ジェシーは自信満々そうに胸を張り、おっぱいがぷるんと震える……、って、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「それで、なんで『オレ』を選んだの?」


「マンガの主人公は、みんな自分のことを『オレ』と呼びます」


「な、なるほど……」


 確かにマンガの主人公に、オレと呼ぶキャラは多い。そういうキャラクターに憧れて、ジェシーが『オレ』を使うのも分からなくはない。


「本当にマンガが好きなんだね」


 一人称を拝借するほどジェシーはマンガが好きらしく、その気持ちを知らずにジェシーの一人称を矯正するのは容易ではないと思ったので、もうちょっとジェシーの内面に踏み込んでみることにする。


「はい、大好きです」


「なにか、マンガが好きになるきっかけとかあったの?」


「きっかけですか……」


 ジェシーは悩んだように言葉を詰まらせる。


「ええと、契機って言ったほうがいいかな? 最初に読んだマンガは何だったの?」


 うまく言葉が伝わらなかったのかと、言葉を変えて尋ねようとするが、なかなか適当な言葉は思いつかない。


「ケーキ? ケーキは分かりませんが、言っている意味は分かっていますよ?」


「あっ、そうなの」


 なんでとっさに『契機』などという難しい言葉が出てきたのか、自分ですら分からなかったが、ジェシーにはその真意は伝わっていたようだ 。


「最初に読んだマンガは何かを忘れました。しかし、このマンガで表現された世界が素晴らしいものだと思いました」


「そんなに感動したんだ……」


 確かにある創作物に影響されて感動するということはよくある。しかし、日本のマンガがそれほど強くジェシーに影響したのだと思うと、同じ日本人として感慨深いものがある。


「それに、オレは目が見えません」

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